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第2節 日本語の自動詞文と他動詞文の<主体>10

2010-04-10 08:45:00 | 日本語言語文化
第2節 日本語の自動詞文と他動詞文の<主体>

2.1 状態変化主体の他動詞文・再帰的他動詞文の<主体>
 本項で<主体>は、「文の主体」をさす。文の表現主体(話し手・語り手)が文の主体と重なる場合もある。「昨年、会社の集団検診で私は左肺の上葉に豆粒大の空洞を発見されたのだ。幸い肋骨が癒着していなかったので、肋骨を切らずにすんだが、ここに来る前に住んでいた経堂の医者から半年間気胸療法を受けていた。」(『海と毒薬』4)において、「私は肋骨を切らずにすんだ」は、自分自身で「切る」という動作を行うのではない。医者が「肋骨を切る」という行為を行い、「私」はその行為を受ける側である。しかし、日本語では「私は肋骨を切る」と、「私」を<主体>にした他動詞文で表現する。この他動詞文は、<主体>の「私」と<客体>の「肋骨」が所有関係にあることで成立する。この他動詞文を稲村(1995)は「再帰的他動詞文」として分析した。

2.1.1 状態変化の再帰的他動詞文
「主語+補語(直接対象語)+動詞述語」という構文の他動詞文は、<主語>であらわされている<主体>の引き起こす動作が、他者である<客体>にその結果・影響を及ぼす。しかし、<客体>が<主体>の所属物(主体の一部分・所属物・関連物)であるとき、<主体>の引き起こした動作は、他に向かうのではなく、<主体>自身に向かう。このタイプの他動詞文は「再帰動詞文」「再帰構文」と呼ばれ、典型的な他動詞文とは文法的に異なる性質をもつことが指摘されている。

(1) 卓夫は、廊下で運動靴をはいた。(『Wの悲劇』37)
(2) その泉にすいこまれたようにメロスは身をかがめた。(『走れメロス』144)
(3) 宏男は巻子の前に手を突き出す。(『向田邦子TV作品集Ⅰ』10)
(4) そうよ、こないだ綱子姉ちゃん、あげもちでさし歯ガツーンて欠いたものね。(『向田邦子TV作品集Ⅰ』39)

 <主体>に対し他者である客体をもつ典型的な他動詞文は、「ビーバーが木のみきをかじっています。(『新しい国語二14』」という能動文が「木がビーバーにかじられています」という受動文と対立するのに対し、(1)~(4)の文は、受動文との対立が消極的であったり、対立を持たなかったりする。自動詞文は、<主体>のみにとどまる働きであり、他者への働きかけを文の出来事に表現しない。それに対して他動詞文は<客体>(他者)への働きかけを表現する。再帰的他動詞文は、文の形式として「主語・補語・述語」という他動詞能動文と共通の構造を備えているが、主語で示されるものの引き起こす動作が他に対するものではなく、<主語>で示されるもの自身に及ぶ動作である。再帰的他動詞文は、自動詞文と他動詞文の中間的なもの、と考えることができよう。
 「主語+主語の所属物である補語+述語」という構造をもつ再帰的他動詞文をまったくの自動詞相当とみなしてよいかというと、そうではない。他動詞の構造を持つということは、他動詞で表現されなければならなかった理由があり、<主体>から<客体>への関わりが何らかの形で存在するからこそ他動詞文として表現されているのだ。再帰的他動詞文の<主語>から<客語>(対象補語)への働きかけは、典型的な他動詞文の場合と同じではない。<主語>が補語を運動の中に引きずり込んでいるとして、その強さは一葉ではない。すなわち<主体>から<客体>への働きかけの度合いが段階的に存在する。再帰的他動詞文の中にも、動作主体から動作対象(客体)への働きかけが実行されているとみられるものも存在するし、対象への働きかけをまったく表現していない文もある。述語動詞の自動詞化の程度が段階的に存在し、他動詞文から自動詞文まで連続的に「働きかけ」の度合いが異なっていくのである。(3)の文は、宏男が自分の身体部分である手を動かし、述語動詞は手の動き「突き出す」を表現している。手の働きとは、すなわち手の持ち主である<主体>自身の動作である。(4)の文では、綱子から「綱子のさし歯」への働きかけ性はゼロである。「歯を欠く」という出来事に対して、綱子は自分からは意図的に行動していない。綱子は「歯が欠ける」という出来事を経験しているにすぎない。このように、<主体>と<客体>が所属関係にある再帰的他動詞文は、典型的な他動詞文とは、意図性、他動性が異なった表現である。本節は、現代日本語の他動詞文のうち、再帰的他動詞文を観察し、これらの文の特徴や成立条件を考察する。日本語の<主体>が<客体>との関係を自動詞文から典型的他動詞文まで見渡すことは、日本語の<主体>のありかたを考察することとなるであろう。
 再帰的他動詞文について、高橋(1975)、高橋(1989)、仁田(1982)、天野(1987b)、児玉(1989),工藤(1991)などの考察がある。これらの論文において「再帰構造の文」や「状態変化主体の文」とされているものは、典型的な他動詞文とは文法的に異なる面が存在することが考察されている。主語と補語の対立がこれらの文の中ではやわらげられており、補語が典型的なものとはいえないものであることなど、再帰的他動詞文を考える上で重要な指摘が為されてきている。しかし、状態変化他動詞文の文法的な性質、成立条件等について、「働き動詞は状態変化他動詞文にはならない」(天野1987b)、「主体以外に実質的な引き起こし手が明示されていること」(児玉1989)などの指摘が確実なものであるかなど、再検討を要することがらも多く残されている。細江逸記が「日本語の所相の成立過程について、原始中相(反照性・再帰性)から発達した」と述べているように、古くから日本語の再帰的な面について言及している研究も存在するが、再帰的動詞文についての研究において、十分に論議し尽くされたとは言えない面も残されている。
 本論では、直接対象語としてのヲ格補語をとる動詞を他動詞と考え、その他のものを自動詞とみなす。三上章は自動詞を所動詞と能動詞に分けたが、ここでは一括して自動詞として扱う。「道を歩く」「橋を渡る」などの、ヲ格補語をとる移動動詞は、自動詞として扱う。他動詞文のうち、ヲ格補語が主体の身体部分、側面、所有物、生産物、関係者などを主語と所属関係にあるものを補語としてとる他動詞文を再帰的他動詞文と呼ぶ。側面を表す名詞補語は、人の性質、身なり、心情など具体名詞ではない語も含め、再帰的他動詞文として扱う。

2.1.2 再帰的他動詞文の引き起こし手と<主体>の変化
 再帰的他動詞文は、①~⑦に記述する文が存在する。<主語>として文に表現されているものが動作の引き起こし手となっているのではなく、何らかの原因が作用している場合がある。

(1)主体が意志的に引き起こし主体自身が変化する出来事を述べる文
主語が意志的に自分自身の身体部分に働きかけて、主語自身の状態の変化を引き起こす。「テイル」の形では、姿勢の持続や身体部分の動きの持続などを表す。主体は人。客体は身体部分。述語は主体からの働きかけと客体の変化を表す他動詞(物理的な変化を表す他動詞、移動・位置の変化を表す他動詞、設置・取り付け・取り外しを表す他動詞など)、主体の働きかけのみ捉え、客体の変化は捉えない動詞(打撃、接触を表す動き動詞など)
①姿勢の変化
  (5)近く寄れという晴信の言葉で、彼は立ち上がると、躯を折って晴信の間近まで進んだ。(『風林火山』26)
②視線の変化
  (6)利休は道具畳をぬけ、待合からつくばいまで目をくばってからりきが朝げの用意をととのえている座敷に戻ってきた。(『秀吉と利休』8)
③身体部分の動き
  (7)みねは掌に視線を落とし、ゆっくりと指を折りながら、値踏みをしているように見えた。(『Wの悲劇』121)
  (8)そう思いながら実るは掌で目を擦った。(『青葉茂れる』12)
④身体状態の変化
  (9)じいさまは、いろりのうえにかぶさるようにして、ひえたからだをあたためました。(『新しい国語二』41)
⑤社会的な状態の変化
  (10)彼は勝負師から物語作者に身をかえた。(『秀吉と利休』70)
⑥姿勢の持続(テイル形)
  (11)秀吉はびろうどの長枕に後頭部をのせ、布団を胸にずらし、左右の手を組み合わせて額にのせている。(『秀吉と利休』43)
 これらの文では、<主体>が自分自身で出来事を引き起こし、動作を行っている。動作は他へ及ばず、主体自身が変化する。

(2)主語の内部的な原因で発生した出来事、事前発生的な出来事を述べる文
 主体は無意図的に、内的な変化や身体からの喪失などを経験する。<主体>は自分から意図的に出来事を引き起こしたのではない。無意図的な行為である。<主体>は人。客体は身体部分、所有物。動詞は主体の働きかけと客体の変化を表す他動詞。
①心理的・主体的な変化
  (12)宗二は尋常に通った鼻柱を赤く染め、口をくいしめていた。(『秀吉と利休』217)
   (13)白血球を減らさないようにするために、太陽に照らされるのをなるべく避けてトマトをしきりに食べているのもある。(『黒い雨』232)
(14)次にガス・マスクが鼻に当てられ、私は意識を失った。(『乳がんなんかに負けられない』103)
  (15)朝、縁側のところから僕を呼ぶ声で目をさました。(『黒い雨』144)
②無意識の身体の動き
  (16)針を腕にいれるたびにおばはんはぴくっと躯を動かす。(『海と毒薬』39)
  (17)(漁夫や雑夫たちは)仕事をしながら,時々、ガクリと頭を前に落とした。(『蟹工船』45)
③生理的な出現
  (18)血を流していなかったものは一人もいない。(人々は)頭から、顔から、手から、裸体のものは胸から、背中から、腿からどこからか血を流していた。(『黒い雨』41)
④身体からの喪失
  (19)婦人は腰や肩をなで回し、「かばんを落としました、わたくし」とひそひそ声で云った。(『黒い雨』45)
 これらの文の<主体>は、客体と「全体・部分」の関係にある。「宗二は鼻柱を赤く染
め口をくいしめていた」という文で、宗二は「鼻柱が赤く染まっている状態」の状態主
であり、経験主である。(19)の婦人は、「かばんを落としました」と他動詞文で表現していても、婦人が意図的に落としたのではなく、無意図的にかばんが落ち、婦人はその状態の経験種となっている。内部的な身体の動きや姿勢の変化は、無意図的ではあっても、述語の内容は主語の動作として目に見える。

(3)外的作用をうけての出来事を述べる文
 外的な作用が引き起こした出来事を、主語の部分にうけて、部分が変化することをあらわす文が存在する。部分の変化の結果を所有者である主語の状態つぃて述べている。主語はひと・もの、補語は身体部分・ものの部分、動詞は「主体の働きかけと補語の変化を表す他動詞」「主体の働きかけのみを表し、補語の変化は捉えない他動詞(動きを表す他動詞)」いずれの場合も再帰的他動詞文となる。
①人の状態の変化
  (20)僕は宮路さんが火事の焔で背中を焼いたのだろうと思ったが話を聞くとそうではない。(『黒い雨』82)
  (21)石原は太腿を半分泥に汚しただけで、岸に着いた。(『雁』111)
  (22)たとえば、ある男が倒木を伝わって川を渡っているとき、その気がオレ、男は転落して下肢の骨を折ったとしよう。(「朝日新聞夕刊」92/11/28)
  (23)初老の男があぜみちに横倒れになって、服の胸をびっしょり濡らしていた。(『黒い雨』115)
  (24)彼は何を思ったのか、手を振ったり、わめいたりして、むちゃくちゃに坑道を走りだした。何度ものめったり、枕木に額を打ち付けた。(『蟹工船』11)
  (25)二人は身を伏せ損ね、庄吉さんはもんどり打って足首を舷に打ち付けた。(『黒い雨』27)
  (26)稔が何気ないふりを装いながら隣家の庭先を覗くと、隣家の主の元陸軍少佐は長い山羊髭を潮風になびかしつつ徒手体操をしているところだった。(『青葉茂れる』44)
(27)土曜日だったから、私は午後二時頃、会社から家に戻ってきた路でトラックに追いこされ、白い埃を頭からかぶったのである。(『海と毒薬』7)
②ものの状態の変化
  (28)昼前からしばらく降り続いた雪のために、玄関前の石段と前庭、鉄柵の扉が開け放された門の脇に泊まっている車まで、すべてが再び純白の装いを整えていた。(『Wの悲劇』199)
  (29)一週間前の大嵐で、発動汽船がスクリューを毀してしまった。(『蟹工船』85)
 これらの文では、原因となる現象があり、<主体>の状態変化を引き起こしている。原因となる語に言及されていなければ、「宮路さんは背中を焼いた」の「宮路さん」は、動作主体なのか、状態主体なのか、判断できない。宮路さんが意図的にお灸で背中を焼いたという場合もあるからである。「宮路さんが火事の焔で背中を焼いた」と、状態を作り出す原因となる事象が明示されているとき、宮路さんは、状態の経験主体である。
 では、<主体>の意図的な行為でなく、状態を追っているだけの「状態主体変化」の文では、原因が文中に明示されたり文脈から推察できたりしなければ、成立しないといえるだろうか。児玉(1989)は、状態変化主体の他動詞成立の条件として、「主体の動きの実際的な…直接的な引き起こし手が明示されている、あるいは文脈的・語彙的に暗示されている」という点と、「引き起こしての作用力の発現が、主語によってなんら影響されないものであるという設定(認識)が必要」の2点をあげている。<主体>以外の「主語の状態をあらわす文」にとって、動きの直接的な引き起こし手の明示が必要であるかどうか、(7)の項で検討する。

(4)行為者の働きかけを受けての、結果的な状態をあらわす文
 人の行為の結果を者の状態の変化として表現する文がある。<主語>は擬人的な物、補語はものの部分。動詞は「<主体>の働きかけと補語の変化を表す他動詞」で文が成立する。
①<主語>の状態の変化
  (30)道の両側の店舗もかたく表戸を閉ざしている。(『風林火山』15)
  (31)兵隊は二名ずつ二台のトラックに分乗し、先頭を来た一台はボンネットの先に浅葱色の小旗をたてていたと云う。(『黒い雨』158)
  (32)街灯がほとんどなく、家並みも灯を消している。(『空洞星雲』39)
  (33)この蟹工船博光丸のすぐ点前に、ペンキのはげた帆船が、へさきの牛の鼻穴のようなところから怒りの鎖を降ろしていた。(『蟹工船』5) 
 これらの「非情物の結果の状態」を表している文の<主語>は、擬人的な存在で、<主語>の部分が客語となり「全体・部分」の関係をなしている。実際の働きかけを行っているのは、人であるが、動作が完了した後の状態持続を非情物主語の状態として表現している。出来事の引き起こし手は、<主語>ではなく、<主語>に関わる人間である。

(5)<主語>が他者に行わせた行為を、<主語>の引き起こした出来事として述べる文
①<主語>が使役主的な存在である文
(34)信長は村重の一族三十余人を京都六条河原で切り、婦女子百二十余人を尼崎ではりつけにし、婢妾従僕五百余人を焼き殺した。(『信長と秀吉』117)
  (35)秀吉は二万の大群で、まず出城をつぶし、生育している稲を焼き払った。(『信長と秀吉』125)
  (36)希代子急いで入浴し、マンションの近くにある美容室で顔や髪をととのえてから、タウナスを運転して、海堂産業の本社に行った。(『空洞星雲』143)
  (37)姪の矢須子は町の美容院へパーマをかけに行き、いやにのっぺりした顔になって5時ごろ帰ってきた。(『黒い雨』64)
 信長や秀吉は、行為述語の直接の動作者ではなく、出来事の全体を主宰統括している。ヲ格補語は、信長や秀吉にとって、その命運を握っている「自己の所属物」にあたり「主語の支配下にあるもの」で、<主体>と<客体>は「全体・部分」の関係にある。実行者agentに対する、依頼者principalの関係に近く、<主語>は、事象全体の統括者に相当する。「秀吉は二万の大群で、まず出城をつぶし、、、」という文では、「デ格」の「二万の大軍」がagentにあたる。再帰的他動詞文においては「デ格」補語が動作主体agentになる。「太郎は床屋で髪を切った」の「で格」「床屋」が髪を切る作業をしている。
<人数デ>
  (38)お経を前の晩の漁夫に読んでもらってから、四人の他に病気のもの三、四人で麻袋に死体をつめた。(『蟹工船』79)
<組織デ>
  (39)私のうちでは冬季防寒のため、平たい石または瓦を煮物などするときかまどで焼いて、古新聞紙に包みまして、それを布でまいて 背中に入れました。(『黒い雨』72)
  (40)写真の集まりが悪いので、編集部で美人の写真を捜さなければならない。(『雑誌記者』94)
 agentは雑誌記者個人であるとしても、principalは「デ格」の「編集部」である。「私は病院で胃を調べた」「太郎は、電気屋でテレビを修理した」なども、デ格名詞の病院、電気屋がagentで、私、太郎はprincipalである。このprincipalは、出来事の引き起こし手を<主語>とする使役文に近い。

(6)主語を生産全体の主体として表現する文
 物を生産する動作そのものを行っていない場合でも、生産された物を自分の所有物・作品として、その物の存在に関わる統括主宰者が<主語>として表現できる。主語は人、補語は生産仏、述語は生産を表す動詞の再帰的他動詞文が成立する。
  (41)黄金の茶室を例にとれば、思いついたのはもとより秀吉である。でも宗二の想像のごとく、迎合や妥協やあるいは媚び利休はそれを建てたのではない。(『秀吉と利休』16)
  (42)信長は義昭のために二条に新邸を建て始めた。(『信長と秀吉』54)
  (43)命を助けられた城兵は、やつれはてて見る影もなかった。秀吉は城のふもとに大釜をすえ、かゆをつくってあたえたが、急に食事をあたえられたので、大半のものが急死してしまった。(『信長と秀吉』126)
  (44)京都の高瀬川は、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、角倉了以が掘ったものだそうである。(『高瀬川』124)
 これらの文の主語もprincipalであり、依頼者としてagentに生産活動を行わせている。生産活動の主宰統括者である。「運河を掘る」には、資金を出す、設計、土を掘るなどの関与者のものに、複雑な工程を経て完成する。その統括者を主語として生産の全体を表現できるのである。これらの再帰的他動詞文の成立条件は、生産物が統括主宰者主語の所有物であることだ。「僕はナオミちゃんにいろんな形の服を拵えて、毎日毎日、取り替え引きかえ着せてみるようにしたいんだよ(『痴人の愛』)などの「拵える」も、「僕」はprincipalとして「拵える」のである。

(7)原因や働きかけを行っているものについてふれていない出来事を表す文
 <主語>が働きかけを行わず、<状態主体>として存在する文のなかに、他の原因などは明示されていないものもある。主語は人。補語は主語の部分・所有物である。述語は主体の働きかけと補語の変化をあらわす他動詞。
  (46)次の朝、雑夫が工場に降りて行くと、旋盤の鉄柱に前の日の学生が縛り付けられているのを見た。首を絞められた鶏のように、首をガクリ胸に落とし込んで、背筋の先端に大きな関節をひとつポコンとあらわに見せていた。そして子供の前掛けのように、胸に、それが明らかに監督の筆致で「此者ハ不忠ナル臆病者ニツキ、麻縄ヲ解クコトヲ禁ズ」と書いたボール紙をつるしていた。(『蟹工船』59)
  (47)この境内の脇の往来の人は、みんな灰か埃のようなものを頭から被っていた。(『黒い雨』41)
<主語>と<客語>が「全体・部分」の関係を持つ再帰的他動詞文が「テイル」の形を取ったとき、変化の結果の状態を表す。変化の過程は表さず、結果が完結したあとの「結果的な状態」のみを示す。変化を引き起こした者は誰かということには無関心であって、<主語>の状態を表す。「男女が黒焦の死体となって、二人とも脱糞を尻の下に敷いていた」という文は、「変化が限界に達した後の結果的な状態」を表している。変化を引き起こしたのは誰かということは文の中にも、前後の文脈にも表されていない。これらの文では、出来事の引き起こし手はだれかということは文の成立にとって必要な条件ではない。他者が引き起こしたものであっても、<主語>自身が引き起こしたものだっても、主語の状態を述べるという文の機能には変わりないのである。児玉(1989)が状態変化他動詞文の成立条件を「他者によって発現した客体変化をみずからの状態として持つ」としたことからは、この⑦の文の成立が説明できなくなる。「初老の男はあぜみちに横倒れになって、服の胸をびっしょり濡らしていた。(黒い雨)」は、「濡らす」という変化を発現した他者を明示していない。しかし、<主語>は「変化の結果の状態」の<主体>である。再帰的他動詞文の成立状態は、<主体>と<客体>が「全体・部分」の関係「全体の統括者・統括者と所属関係にあるもの」という関わりを持つことによって成立し、主客は一体となって述語の内容を実現する場となって存在している。

2.1.3 再帰的他動詞文まとめ
 再帰的他動詞文の引き起こし手agentをまとめておく。
(1)<主語>が引き起こし手となっている。「メロスはひょいとからだを折り曲げた」(『走れメロス』」
(2)<主語>の内部的な変化。「宗二は鼻を赤く染めた」(『秀吉と利休』)
(3)外的な作用を受けて<主語>の部分が変化し、そのことによって変化部分の所有者の状態をあらわす。「正体も知れぬ光で、僕の頬も左側を焦がした」(『黒い雨』)
(4)他者が引き起こした変化を<主語>の状態として表現する。「道の両側の店舗は表戸を閉ざしていた」(『風林火山』)
(5)他者に行わせた行為を、<主語>が主宰統括した者として表し、出来事全体を<主語>の意図した文として表している「希代子は美容院で髪をととのえた」(空洞星雲)
(6)<主語>の主宰統括した生産活動によって作り出された生産仏が、<主語>の作品・所有物として存在するとき、生産の出来事全体を<主語>の作り出した行為として表す。「角倉了以は高瀬川を掘った」(高瀬船)
(7)出来事をもたらした行為者や原因にふれずに、<主語>の状態を述べる。「死体は城に下に脱糞を敷いていた」(『黒い雨』)
 身体状態の変化、社会状態の変化、心理的生理的な変化を表す再帰的他動詞文は、他動詞文の形式を使いながら、主体と客体が「全体・部分」を構成することによって、段階的に自動詞表現と同じく状態の表現となっている。「ひとつひとつのものが、ある時間的なありかの中で、一時的に採用するそのものの存在のしかたを指し示している」ことが再帰的他動詞文のありかたである。
 次に、再帰的他動詞文が表現できる範囲を上げておく。
(1)再帰的他動詞文は、文構造は他動詞文と同じであるが、<主体>から<主体>の部分への働きかけを表す場合と、「<主体>をめぐる出来事」、「<主体>を中心とした事象の推移」を表す場合が表現できる。
(2)「主語+客語(対象補語)+他動詞」という文構造をもつ再帰的他動詞文は、客語に<主語>と「全体・部分」の関係をなすものをとり、①空間的位置変化、②姿勢の変化・身体の動き、③姿勢の持続、④、心理的生理的な変化、⑤、生理的出現、⑥身体への取り付け、取り外し、⑦身体、身の上からの喪失、⑧身体の外見上の変化・変化の結果的な状態、⑨社会的な状態変化、⑩社会的な出来事の引き起こし、出来事の主宰者の命令依頼による変化、⑪生産を主体統括する主語による作品・所有物の作りだし、⑫非情物の結果的な状態、を表す。
(3)再帰的他動詞文の<主語>は、「主語自身への働きかけを行う動作主体」「変化の結果小状態の主体」「状態生産の主体」として文中に存在する。
(4)変化動詞と動き動詞のどちらの他動詞でも、<主語>が「状態の主体」として存在する文が成立する。状態の引き起こし手、直接の行為者・原因は明示されなくてもよい。
以上、<主・客>が「全体・部分」の関係所有・所属関係になっている日本語文を精査し、<主体>から<客体>への働きかけが、西洋語とは異なる文の表現を確認した。