白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

[白洲正子文学逍遙記-かくれ里-0011]

2016-05-06 | 日本の伝統芸術

 

「白洲正子文学逍遥記」

 

かくれ里 

-009

 

 

 

漸くゴールデンウイークも終わり、これからは五月晴れから梅雨空へと変わっていく季節!

熊本・大分の余震は相変わらず続いています。可なり長い余震です。

桜島も史上7番目の大爆発!

近所のトカラ列島の「宝島」まで、地震が発生しています。

毎日気になる日が続いています。

ツツジの花が満開を過ぎようとする季節(奄美大島)

 

 

 

余呉湖 

  

 

琵琶湖の最も奥まった奥琵琶湖と呼ばれているところから、

さらに山を越えて北側に・・「余呉湖」は存在する。

 

  

 

本当に小さな琵琶湖の付録のような湖。

静かな佇まい。 木之本からJRですぐの位置。

「菅浦」の真後ろという所であろうか。

琵琶湖と底で繋がっているらしく、水位が連動しているとか・・

賤ヶ岳の戦い

 

この周辺は「柴田勝家」と「羽柴秀吉」との闘い! 歴史的な古戦場でもあった。

元々は浅井長政・朝倉一族 VS 織田信長の戦いが遠因である。

越前織田荘(おたのしょう)出身の織田一族。朝倉一族と確執のあった仲である。

先祖の因縁を背負って、戦いは続いていたのである。

 

織田信長           お市の方

  

柴田勝家           秀吉

        

 

賤ヶ岳の戦いは 羽柴側の勝利で終わった

結果的には柴田勝家とお市の方は、府中(福井)で自害し果ててしまった。

お市は浅井長政へ織田家から輿入れして、柴田勝家にその後嫁ぐ。

政治学的にはそのような政治勢力の確執ではあるが・・・

羽柴秀吉のお市への「恋慕の思い」が多分に有るようだ。何せ中世期を代表する美女の誉が高い。

「食い物の恨みと男女の恨み」は深いものである。

 

柴田勝家は猛将で且つ心暖かい人であったようであるが、秀吉の敵ではなかった。

信長一族を代表して羽柴一族と戦う羽目になった。

お市は柴田勝家の人柄に惚れたのであろう。秀吉無残!

 

茶々(淀君)

 

浅井長政の城が落城の折も、秀吉はお市母娘を裏でこっそり助け出して逃がしている。

信長に知れたら大変な事になったであろう。

後年、秀吉が「茶々」を引き寄せたのも、お市への恋慕から来ている。

秀吉もやはり男だったのである。

 

「淀君」は大阪城落城の際、秀頼と自害したことになっているが・・

そんなことはない。秀頼は九州に逃れ其処で死んでいる。墓もある。

淀君は奥州に逃れている。彼女に惚れたお殿様が居たのである。美女とは良いものだ。

 

 

「石田三成」も京都三条河原で斬首のはずだが・・そんなことはない。彼も奥州に逃れている。

<三っ日天下>の「明智光秀」も、江戸幕府で立派に「大僧正」として生き延びている。

そして、江戸幕府を裏で操った。

歴史は裏が面白い。簡単に役者は死なないのである。

 

今回は「菅浦」の真後ろの余呉湖で展開した、悲しい物語を書いてしまった。

 


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