「白洲正子文学逍遥記」
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& 能面・仏像・日本人形・・etc
秋篠寺-03
穏やかな正月も終わって(とは言っても、奄美地方は旧暦で行いますので、1/31が旧暦の正月になります)から、曇りの寒い日が続くようになりました。とは言うものの、近所の海辺には数多くの魚が群れを成して泳ぎ、水面には烏賊(いか)が泳いでおります。
先回は特集として<白洲正子著・「十一面観音巡礼」>に纏わる、白洲正子夫妻の事共を少しご紹介しました。興味のある方は「白洲正子著作集」を、図書館や古書を買い求めて読まれては如何ですか。日本美術史の勉強に最適ですし、趣味骨董の勉強にもなります。また、能狂言の勉強にもなりましょうか・・・・
それでは、今回からまた、「秋篠寺」に入りたいと思います。
近鉄奈良線に乗って、秋篠川を渡って大和西大寺を過ぎると、進行方向右手の奥に秋篠寺が覗えます。秋篠川の上流は「押熊」で、京都府との県境となります。大和西大寺駅を中心に、周りには西大寺、法華寺、平城宮跡、平城天皇陵、神功皇后稜、秋篠寺が取り囲んで居ります。東の東大寺と丁度対称な位置にある寺院群です。
この辺りは古代神話の数々が、隙間なく並んでいるような土地柄でしょうか。今を去ること1400~1500年以上前に、朝鮮半島から渡ってきた百済人を初めとする朝鮮半島の人々が、越前若狭や近辺の海岸に上陸し、琵琶湖を経由してこの大和の地に達したのでしょう。あるいは九州博多近辺に渡って来て、それから東征して来た者達も大勢居たかもしれません。彼らの高度な文明文化がその後大和の地で花開き、朝鮮半島の遥か北深くの地のそれよりも完成した形になった模様です。
古代史は謎の部分が未だ多く、学者により、研究者により、国により同じ歴史的な事象でも、全く見解が異なっていることが多いのも事実です。<幻の邪馬台国>といっても、九州説、大和説があり、研究者によっては中国・遼東半島の現在の大連辺りとしているのも有ります。平城京も原点は所謂、中国・東北部(昔の満州)の中心である<長春>であるとする説もあるくらい。ただ、これも強ち荒唐無稽な説でもないようですが・・・・極めつけは・・・現在の天皇家の原点は、満州の中央部に君臨した古代中国の殷王朝の流れを汲む、ツングース・シャーマンであるとも主張しております。真実ところは如何相成りましょうか。古代ロマンを髣髴するところです。
大元帥明王
鎌倉時代の作で、木造・像高229.5cm
香水閣
二月堂の若狭井と同じように霊水がコンコンと湧いて、ここも十一面観音と深い関係があるとされている。東大寺のお水取りと線対称な存在なのであろうか。著者はこの香水閣の本尊は、かって現在の大元帥明王ではなく、十一面観音菩薩であろうとされている。位置関係からそのような憶測が成り立つような感じがします。
大元帥明王
「*広野鬼神」とも呼ばれ、国土や衆生を守護するといい、鎮護国家の秘法である「大元帥御修法(たいげんのみしほ)の本尊。毎年6月6日のみ開扉される秘仏。一面六ぴであるが儀軌には説かれておらず、修行僧の独自に生み出したイメージから来るとされる。
* 広野の「広」は、日+広の旧字
この「大元帥御修法」は秋篠寺や高野山、名古屋の熱田神宮でも執り行って来た経緯がある。特に戦時中はこの修法が、怨敵退散調伏の修法でもあることから、各所で執り行われたようです。一説ではアメリカのウイルソン大統領の調伏の為に、軍がこれを取り行い、結果的には大統領は病死したとされている(確かにウイルソンは病死し、トルーマン副大統領がその後大統領になった)。
孔雀明王
真偽のほどは判らぬが、完全に否定できない代物で・・・ このほかに「孔雀明王法」に関わる修法も似たような怨敵退散的な力があると古来よりされている。呪詛は現代科学の取り扱う分野ではないが、古代社会においては大和朝廷、藤原宮などで数多く行われ、陰湿な事件の記録は数多あります。
最後は怖い話になったが、次回は大和西大寺方面を訪れたいと思う。
「ちょっと 一服」
話の喫茶店
このブログを見ておられる方で、実際に面打ちをされる方は、どのくらい居られるのか分かりませんが、上手く行っておられるでしょうか。始めて間もない方はいつも上手くいかないので、頭を痛めておられるかもしれません。例え幾ら本物を何度も鑑賞したところで、三次元的な立体をその通りに再現するのは、並大抵な事ではありません。
傍に師匠が居ればいろいろ指示・指導をしてくれますが、この手のものは生まれながらの能力が、大きく影響しますので、途中で失望して投げ出すか、オカメかヒョットコならぬ能面で何時までも我慢するような方が多いのも現実です。カルチャー・スクール等でも当初の数%位しか、数年後には続けていないものです。我慢・辛抱が重要なところですが、一つ上手く行くヒントをお教えしましょう。
「木型を手に入れる」
「小面」・天下一 友閑
能面の面打ちを師匠について学ぶにしろ、独学でやられるにしろ、能面の細部の三次元的な部分を飲み込むのは、大変難しいものです。現代の最高の能面師・長沢氏春師の場合は、本物の能面を全国を回って買い求め、その能面を師匠として写して、学んだとされております。
女面を一面マスターするのに10年掛かると、自ら正直に述懐されておられました。されば、ど素人は殆ど無理みたいな気がしますね。本物の良い能面は手に入れるのは至難です。安くても30~50万円はしますでしょうし、名前の売れている方や、古能面は桁が一つ違ってきます。長沢師の能面ですと250~300万円は覚悟しなければなりませんし、それでも簡単に手には入らないでしょう。
ましてや、宗家所有の能面は先ず不可能ですし、見せても呉れません。余程のコネクションが有れば別ですが、通常それは無理というもの。資料館に行って何度見ても、手本を何度見てもさっぱり・・・というのが現実だと思います。しからば・・・どうすればよいのか。
師匠に密接に接して学ぶならば、時間と我慢と根性で上手く行くかもしれませんが、そうでない方たちはいずれ脱落しなければなりません。では、打開策はないのか・・・・一つあります。
本面の製作木型
上記の「友閑」の本面と同スケールの木型(長沢 氏春師の弟子の製作)
師匠かあるいは伝手を頼って、能面の「木型」を購入することです。<小面>なら小面の彩色の前の段階の木彫りの完成型を、大金を払って? 購入することです。あるいは専門の能面師の修行をされている(貴方が上手いと思われる)方にお願いして、木型を一個安く譲ってもらうことです。
能面集の写真、概略寸法、貴方の本面の鑑賞記憶を頼りにしながら、面打ちの木彫りの段階を進みながら、何度も何度も木型にスケールなどを当てながら、精緻に彫り上げていくのです。能面は1mm彫り間違っても、面相が変わります。本当に最新の注意を払って、薄皮を剥ぐような心持で進むしかありません。(間違った場合は訂正の仕方はあるのですが)
彫り間違った場合は*木糞を塗って、厚みを取り再度彫りなおす
彫り間違って木糞を塗った小面
* 木糞・・檜の粉を膠で練って団子にして、彫り間違った箇所に盛る手法
初めから上手く行くのは天才以外は無理ですから、何度も彫り間違って、その度に木糞を刷り込んで厚みを取ってから掘り進む連続だと思います。そのときに木型は良い師匠になります。但し、良い木型を手に入れなければ、元も子も有りませんので、十分ご注意を。現在の市場価格は分かりませんが、今から30数年前でも木型一個で、7万円程度でしたでしょうか。現在ですと数十万円にもなりますでしょうか。でも、基本中の基本面ですから、覚悟を決めることですね。
しかし、これは飽くまでも面打ちの彫刻の段階の話で、彩色の技術は師匠に直に学ぶか、自分で研究するしか有りません。長沢師のように能面を購入して、彩色を削ってみて、彩色の秘密を解き明かすしかないと思います。これは本物のプロしか出来ない業ですが。弛まない努力しかないわけでしょうね。迷人は数多く居ても誠に名人は少ないのですね。当然かもしれません。どのような芸術分野でも同じでしょうが。
次回は「当て方」について書いてみましょう。
「能面鑑賞」
男面
堀 安右衛門 特集
は次回以降に致します。
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