白洲正子文学逍遥記
「十一面観音巡礼」編
信州の旅-002
信州 ・ 千曲川河畔
今年は本州、特に西日本・東日本一帯が大雨に狙われました。数ヶ月分の雨量がごく短期間に降った所もあります。ここ数年気象が激変してきているようです。地震・風水害の自然災害が毎年のように頻発しています。大気汚染・放射能などの人災も眼に見えないところで、拡がってきております。慣れるという事が大きな事故に繋がりかねないので、政治経済情勢も含めて、ひごろから防御を怠りなくして行きたいものだと思います。
さて、今回も信州にお邪魔し、千曲川の戸倉温泉近くにある「智識寺」に向かうことにしましょう。
智識寺
智識寺 ・ 山門
「千曲川の西岸、上山田温泉から麻績村へ抜ける山道を行くと、大きな草履が掛かる仁王門をくぐったところに建つ茅葺の建物が<智識寺大御堂>とよばれ・・・・」
奈良時代に聖武天皇が創建したと伝承される智識寺が、鄙びた信州の山里にある。室町時代には村上氏の庇護を受けてきた。新潟県村上市も清和源氏の流れを汲む信州村上氏という説も有る。
↑ 冠着山
智識寺 ・ 本堂
本堂もそれ程大きくなく、いわゆる観音堂といった風情の趣がある。
喫茶店でちょっと一服
その一
冠着山 (姨捨山)
「冠着山」は標高1.252mの山で、冠山、更科山とも言われている。「姨捨山(おばすてやま)」というのは、特にはっきりとした伝承のある名前ではなく、棄老伝説は楢山節考(深沢七郎)などの、全国に広がる伝説の一種であろう。実際は土地の領主・小長谷部氏という呼称がその後訛って、「オバステ」に変化して行ったもののようである。
「冠着山」の由来は、<天照大神が隠れた天岩戸を手力男命が取り除き、九州の高天原から信州の戸隠に運ぶ途中、この地で一休みして冠を付け直した>の神話から伝承による。
智識寺の観音像に関わることであるが・・・・
その二
鉈彫り
「鉈彫り」という仏像をご存知であろうか。<円空佛>といえば全国に拡がる地域に、江戸時代の行脚僧の仏像の作品が保存されている。鉈などの簡単な刃物で、その土地に産する木々を使って、中央の仏師とは一味違った作品を残している。
円空佛 ・ 01
円空佛は北は北海道から奈良県まで及び、約12万体の仏像を製作したとされ、現在5.350体の仏像が残っている。特に愛知県、岐阜県にその数が多い。
円空佛 ・ 02
円空佛と似たような彫刻形式の仏像で、「鉈堀り佛」という仏像がある。一般の中央や地方の有名な大寺には、余り見かけない仏像でも有る。特に地方や東北地方に多い。
仏像は木取り、荒彫り(こなし)、小作り、仕上げの工程を取って、最後に漆仕上げ、彩色仕上げをして完成する。しかし、鉈彫り佛は横縞模様のような鑿跡を恰も、表面のデザインのように残して、完成させる。専門家によっては未完成佛とする方もいるが、実際はこれが製作形式である。
天台寺・聖観音菩薩 宝城坊 ・ 日向薬師如来坐像
用材も中央地域で使用されている桧よりも、カヤ、桂、樟、樫などの地方で多く産する雑木を使用している。一見雑なように見える仏像も、薄暗がりの中ではまったく違った雰囲気をかもし出す仏像でもある。次回は木喰佛について書いてみたい。
智識寺 仏像
智識寺 ・ 本堂 ・ 本尊、周辺佛
かっては冠着山の頂上に祀られていたとされる立ち木佛の原初的形態でもある。
本尊 ・ 十一面観音菩薩 ・ 国宝 301.5cm
抑揚の少ない彫りの浅い仏像で、立ち木佛特有の特徴を持っている。
本尊の十一面観音菩薩像の両脇に祀られている。
聖観世音 地蔵菩薩
次回は一足飛びに美濃の隣、山城の国・京都に到ろうと思う。