白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遙記-かくれ里-003

2016-03-03 | 日本の伝統芸術

 

「白洲正子文学逍遥記」

 

かくれ里 

お知らせ 

次回は3-12に更改いたします!

003

 

 

いよいよ3月に入ると春の訪れが日本中に広がってくる。

梅が咲き、桜前線が豊穣する季節である。

 

南西諸島は緋寒桜も終わりを告げ、葉桜になって来ている。

 

 

 

小野妹子

 

その2

  

 

 

 先回は菅浦の話から急に大津の小野まで話が飛んで、「小野妹子」という歴史上の人物の話になってしまった。この辺り一帯は湖西といわれる地域である。琵琶湖大橋の付け根辺りが小野と呼ばれる地域にかかってくる。

琵琶湖八景で有名な「堅田」もこの付近である。その少し北辺りにJRの小野駅がある。そして、少し北上すると次は和邇である。地図でも分かる通り和邇と小野の間に「小野妹子」「小野道風」「小野篁」の名の付いた神社が、古墳の間にほぼ真北に向かってほぼ一直線に並んでいる。

「小野妹子」という名称よりも。「小野道風」の方が日本国民には通りが良いかも。「小野小町」であれば美人の代表語句だから尚更のことである。「小野篁(たかむら)」となると、突然遠い過去の人となるであろう。いずれにしてもここ小野の地域には、歴史上の小野一族が古墳に祀られ、傍に大きな重要文化財クラスの神社が建てられている。今も多くの方が参拝に訪れている。

筆者はこの傍に住んでいたのである。当然の事ながら始終朝早くから歩きで、参拝して回っていた。険しくはないがここいらは琵琶湖の傍であるが、すぐに急な斜面になっていて、平らかな土地ではない。山道を歩くといった案配になる。すぐそばに1.000m級の比良山が聳えている。

 聖徳太子

 

 この小野の地は小野妹子が聖徳太子からこの地を賜ったという、歴史的に重要な土地柄でもある。実際問題として「聖徳太子」が実在したかどうかも、最近の古代史でははっきりしてはいないようだが、それに類する方は実際におられたことは間違いないであろう。遣隋使が隋に初めて渡った際の、歴史的な史実は中国の地に残っているようであるから、信憑性は高いと思われる。

小野の隣は和邇という地であるが、ここには「和邇氏」という豪族が居り治めていた。古代には玄海灘までが勢力範囲であったとされている。小野妹子が隋に渡る助けになった関係が垣間見える。無事に隋に渡る助け舟の代わりをしたものだろう。現在でも子孫が医者をされており、娘はミス・滋賀となったようである。

 <小野>という名称は京都の北にも在り、奈良県の東大阪の付近にも墓まで存在する。いずれにしても何らかの密接な関係があるからである。土地の方は自分の方が「本物の小野妹子の墓」であると、なかなか煩いが科学的な証拠もないので、確定は今に至っては無理である。しかし、筆者はある事情から、大津の小野の地に祀られている小野妹子の古墳跡が、真正の墓と確信しているのである。

今回は、そのことにまつわる話をしてみたい。

小野妹子神社

 

 小野妹子神社は大きな小山のような高さ数十m余りの山の上にあり、その古墳の上に小さいお宮が立っている。上記がそれである。後日幾分付近を改修しているので、周りの石碑などは移動していると思っていただきたい。下記の写真は実際に現在自宅の茶の間に祀ってある、小野妹子神社のお写真である。365日欠かさず毎朝お参りするのが日課となっている。この写真は何方が撮ったのか今もってわからないのだが、偶然筆者が神社とお墓を掃除して居た時に、近在の方がカメラに収めたようである。後日偶然にWEBで発見して驚いた。

自宅の「小野妹子神社」のお写真

 

上記を拡大して大写ししたもの

 

 お宮の前の右横に白いズタ袋がぶら下がっているのが見える。これは筆者の私物である。お宮を掃除してからお水やお神酒を取り換え、お塩やお米も取り換えて、全ての作業が終わって、このお宮の後ろの横穴古墳(小野妹子父子の亡骸が眠っている)の掃除に入るために、筆者が傍に居なかった時のことである。その際に誰かが写真を撮られたのであろう。自宅のお稲荷様も実際にお宮に長らく祀って在ったそのものである。その意味で自宅の祭壇は小野妹子神社の分身でもある。

この神社は今でも外務省の外交官が、わざわざ東京から礼拝に来られるという由緒のある神社である。人によってはお宮の前で五体投地をされる方もあるという。筆者は7年ほどこのお宮の掃除にかかわっていたが、そのような光景は見たことはないが・・

 小野妹子という方の祖先は、今の奈良・法隆寺の近所の東大阪辺りに勢力を持っておられた一族である。先祖は非常に強い霊能力を持たれたことでも有名である。その影響であろうか小野妹子という方自身も、相当霊力が強い方であったと思う。それは、筆者が実体験しているからである。

少し脱線模様であるが・・次回はその話から「京都・六角堂と如意輪観音と小野妹子の関係」について書いてみたい。

 

  

 

 

 

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