白洲正子文学逍遥記
「十一面観音巡礼」編
<西大寺>
最終回
しばらくご無沙汰しました。本日から通常通りブログを公開致します。
梅は咲いたか桜は未だかいな・・・ とか。もう咲いた!
序にマンゴーもご覧の通り!
南国はもう春真っ盛りです。
では、早速「西大寺」の本堂に安置されている<文殊菩薩像>を礼拝してみましょう。
文殊菩薩四侍者像
木造彩色・きりかね・金泥・玉眼 鎌倉時代作
西大寺中興の祖、叡尊入滅後十三回忌(1302年)に完成した。奈良県桜井市の文殊菩薩とともに有名である。右から二番目の「善哉童子」を先導とし、獅子の手綱を引いた優填王、隣に最勝老人、そして右端に仏陀波利三蔵が続く配置になっている。
文殊菩薩坐像
善哉童子 優填王 最勝老人 仏陀波利三蔵
「文殊菩薩像」としては以前ご紹介した奈良県桜井市の安部の文殊が余りにも有名である。
安部の文殊・快慶 作
仏像単独の場合
文殊菩薩について
興福寺・文殊菩薩坐像
サンスクリット語のマンジュシュリー(maJjuzrii )を音訳して文殊師利と表記する。文殊菩薩は釈迦如来入滅後に生まれた実在の人物とされている。菩薩道を修し経典の編纂と体系付けに深い関係を持った人物とされている。 釈迦三尊の脇侍菩薩として、普賢菩薩とともに祭られる。
インドでは2世紀頃にその信仰が成立しており、「知恵の文殊」として有名。「三人寄れば文殊の知恵」は此処から来ている。付与の経典としては「維摩経」、「法華経」、「華厳経」がある。特に維摩経では「文殊菩薩と維摩居士」との問答が有名である。
9世紀・インド北西部の文殊像
文殊菩薩像は通常獅子に乗っているかたちが多いが、これは平安時代以降の作例である。古代中国では結跏趺坐の維摩経に基づくものであった。上記の興福寺の文殊菩薩はその作例である。
次回は「登美の小河・大和勝林寺」方面に向かうこととする。
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