The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

青い瞳の日本人 10

2016-01-30 02:57:10 | 世界経済
       
 新石器時代から現代までの10000年間、これほどのデフォルメをものにしたのは、ひとり、縄文のこの作者だけでは、あるまいか、
 「ピカソやブラックも 終に 到達できなかった境地だ」

 この発言の原案は、横須賀市のMusiumの元館長、手紙を差し上げると、すぐに返事が来た、どうやら、受け入れられていなかったようだ、私の「縄文のピカソ」は、この方の意見をヒントにしている。

 それに対し、関西のおえらいさん、縄文時代の人口推計を出したのはいいが、
 「これは コンピューターを使って出した空前絶後の推計でタイヘンに価値のあるもんなんです」
 そういった趣旨の発言をしていたが、縄文の各時代の遺跡の戸数に人数を掛けたもの、ソロバンでだってできる、一時は、ブームになっていた、そうそう、彼の著書が三内丸山の売店に山積みされていた。

 今は、あまり、見かけない。

 権威と権力とマスコミを背景にして大衆社会に切り込み、小遣い稼ぎをする、あの推理作家と同じ手口だろう、
 「天下、たった一人の義士なきか」

 かっての日本なら、こんなことは許されなかったはずだ、表通りを歩けなかった、浣腸プレイに緊縛プレイ、ホテルを汚しっぱなしでチェックアウト、しかし、こんなケースを弁護する人々もテエヘンだなあー

 さて、縄文時代の人口推計だが、中期が最高で27万人ほどか、だが、ニューギニアにはカマドを持って移動するグループがいる、そして、この国にも、つい最近まで、戸籍を所有しない数十万人の集団がいたようだ、俳優の三国連太郎さんの父方がそれで、おばあさんが亡くなった時、「畜女」という戒名をつけられてしまった、
 「それが 少年の目に焼きつきました」
 「それから 長い長い旅が 始ったのです」 - わが煩悩は火と燃えて ー 

 ところで、「ハート型の顔をした土偶」は、今、東博にあるが、あまり大切にはされていないようだ、さびしそう だった。

The PIKASSO of Jyoumon
Through the 10000 years , this may be one of greater workes ,
" Even Picasso looked childish compaired with this one ."

SHE seemed to be unhappy in the dark room , most of Japanese might be unable to understand the value of Jyomon art .
I think that the education of elementary and junior high school make them so timid about thinking , they became the weary and sicken Japanese .





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