日本の真実

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日本の記念すべき日 其の十九 8月30日 戦後初の国産旅客機 YS-11が初飛行

2007-08-30 00:20:38 | Weblog
◎現在も飛び続ける名機が初めてのフライト(昭和37年:1962年)

太平洋戦争の敗戦後、我が国は連合国占領軍総司令部 (GHQ)によって、民間機を含めた航空機の開発・生産等を一切禁止されました。さらに中島飛行機など世界有数の航空機メーカーが解体され、世界のトップレベルにあった我が国の航空機産業は崩壊してしまいました。
1956年、航空禁止令が全面解除されると、当時の通商産業省は「中型輸送機の国産化計画構想」を発表。1957年5月、「財団法人 輸送機設計研究協会」(輸研)が設立され、我が国戦後初の小型旅客輸送機の設計が始まりました。設計には戦前に零戦や隼などの名機を設計した5人のエンジニアが参加し、1958年12月「YS-11」と名付けられた機体のモックアップ(実物大模型)が発表されました。
1959年6月、日本航空機製造株式会社が設立されて、輸研から開発を引継ぎ、本格的な開発作業が始まりました。試作1号機は1962年7月11日に完成。1ヶ月に亘る各種検査を経て、8月14日にエンジンに初点火。その後、滑走路での各種試験が行なわれました。そして8月30日、YS-11試作1号機は愛知県小牧の名古屋空港から離陸。伊勢湾上空を56分間飛行して、戦後初の国産旅客機は無事、初飛行に成功しました。10月には全日本空輸から初めて20機の受注を受け、量産を開始。1973年5月の生産終了までに182機が製造されました。
YS-11は操縦面でやや難がありましたが、耐久性が非常に優れた旅客機でした。また1200mの短い滑走路から離発着出来、最大64名の乗客を搭乗できる点で、当時の同クラスの外国機に勝っていました。ですので、世界に誇れる名機と言っていいと思います。しかし残念なことに、営業面での失敗で赤字が重なり、製造中止に追い込まれてしまいました。更にYS-11に続く国産旅客機開発計画が進まないまま、1982年に日本航空機製造は解散し、我が国の航空機産業は停滞したまま現在に至っています。
2006年9月30日、日本エアコミューターの沖永良部~鹿児島間のフライトを以って、YS-11は国内の民間定期路線より引退しました。しかし、その頑丈さ故に自衛隊や海外では現在も飛行を続けています。
(信)
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