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世界に誇る日本人の発見 医学生物学編 その六 脚気の予防法

2007-03-03 00:26:30 | Weblog
◎脚気の予防法を確立:高木兼寛

明治時代、日本では脚気が大流行し、多くの死者が出ておりました。特に海軍将兵の脚気の罹患率は3割近くに達していました。しかし当時脚気の原因は不明で、治療法や予防法も無く、罹ると死に至る恐ろしい病でした。
1849年、現在の宮崎県に生まれた高木は医学を志し、鹿児島医学校でイギリス人医師ウィリアム・ウィリスについて医学を学んだ後、1875年にイギリスに留学しました。1880年帰国し、海軍軍医に着任した高木は脚気の研究に取り掛かりました。
彼は海軍で脚気に罹るのはほとんどが兵卒、下士官で、士官が罹らないことに注目し、食事の違いに気付きました。当時、士官は西洋式の食事だったのに対し、兵卒、下士官は白米中心の和食でした。このことから高木は、脚気は蛋白質の不足が原因で起こる病気であると考えました。
折りしも1883年、軍艦「龍驤」が航海中に船内で脚気患者が続出し、死者が25名発生するという大惨事を引き起こしました。これを受け、高木は兵食の改善を提案しましたが、脚気の原因を細菌とする陸軍と対立したため、大規模な航海実験を計画しました。それは軍艦「筑波」に「龍驤」と同じ条件で航海させ、食事だけは麦飯やパンに代え、副食をきちんと摂らせるというものでした。
1884年、軍艦「筑波」は出港し、数ヶ月後1通の電文が届きました。
「ビャウシャ、イチニンモナシ。アンシンアレ」
「筑波」では一人の脚気患者も発生せず、高木の食事原因説がこれで立証されました。これにより海軍では兵卒の食事に麦を加えるなどの改善を行い、脚気の発生数はゼロになりました。
一方、細菌原因説を主張する陸軍は高木の航海実験の後も、軍医の森林太郎(鴎外)などが麦飯の導入に強硬に反対し、白米中心の食事が続けられました。その結果、脚気による死者がその後も続出し、日清・日露戦争で大量の犠牲者を出しました。特に日清戦争では脚気による死者数が戦死者数を上回るという結果になりました。
その後、ビタミンが発見され、脚気の原因は高木が考えた蛋白質不足ではなく、ビタミンB1の不足であるということが分かりました。高木の業績は世界的に評価され、「ビタミンの父」と呼ばれるようになりました。彼の業績を称え、南極大陸の岬の一つには「高木岬」という名前が付けられています。
高木は他にも現在の東京慈恵会医科大学の創設や、日本初の看護学校の設立などの業績を残しました。
そして、高木はこんな言葉を残しています。
「病気を診ずして病人を診よ」
(信)
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