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世界に誇る日本人の発見 医学生物学編 その十 「小麦農林10号」の開発

2008-01-11 00:06:11 | Weblog
◎「小麦農林10号」の改良品種が数千万人の命を救う 稲塚権次郎

1897年、富山県城端町の農家に生まれた稲塚は東京帝大農科大学農学実科に入学。卒業後、秋田県の農事試験場に勤務し、稲の品種改良に従事しました。ここで冷害に強い品種である「陸羽132号」や「農林一号」を開発。「農林一号」は海外の寒冷地でも多く栽培されました。「農林一号」が改良されて、現在の「コシヒカリ」や「秋田小町」といった銘柄米が作られています。
その後、岩手県農事試験場に移った稲塚は小麦の研究を始め、1935年「小麦農林10号」を開発。これは背は低く丈夫で倒れにくい、成長が早い、寒さに強い、収穫量が多いという長所がありました。しかし、やや病気に弱いという欠点があり、雨の多い日本の気候には合わず、あまり普及しませんでした。
終戦直後の1946年、「農林10号」はGHQの目に留まって米国に送られ、多収品種として注目されました。その後、ノーマン・ボーローグ博士は「農林10号」とメキシコ小麦を交配させた新種を開発。この新種はメキシコで年々収穫量を上げ、近年では500万トンに達しています。
1960年代中頃、大規模な飢饉が予想されたインドやパキスタンなどへボーローグ博士はこの種子を送りました。これらの国の小麦生産量はそれまでの4倍になり、数千万人の命を救ったと言われています。これは「緑の革命」と呼ばれ、ボーローク博士にはこの功績により1970年、ノーベル平和賞が贈られました。稲塚にも翌1971年、勲三等瑞宝章が贈られました。
現在、「農林10号」の遺伝子を受け継ぐ品種は、世界50ヶ国で500品種以上が栽培されています。
飯塚は1988年に91歳で他界しました。その2年後の1990年、稲塚の生家を訪れたボーローグ博士は、稲塚の業績を称え、感謝したそうです。
(信)
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