日本の真実

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日本の記念すべき日 其の十 4月28日 サンフランシスコ講和条約発効

2007-04-28 00:20:34 | Weblog
◎正式名称「日本国との平和条約」:我が国の主権が回復 
 (昭和27年:1952年)

1945年(昭和20年)8月15日、我が国はポツダム宣言を受諾。以後、我が国は米国の占領下にありました。
1951年(昭和26年)7月、米英両国は共同で我が国を含む50ヶ国に講和会議への招請状を発送。その後追加があり、最終的に52ヶ国が参加して、9月4日から米国カリフォルニア州サンフランシスコ市で講和会議が始まりました(中国、インド、ビルマ、ユーゴスラビアは不参加)。8日、条約に49ヶ国が署名して会議は閉幕(ソ連・ポーランド・チェコスロバキアは署名せず)。
11月18日、同条約は国会で承認され、内閣が批准。翌1952年4月28日、同条約は発効し、我が国は正式に主権を回復しました。
同条約の第十四条に規定された賠償請求権について、特筆すべきお話があります。第十四条(a)1では大戦当時我が国の占領下にあった連合国に対する補償を規定していますが、これをいち早く放棄したのがセイロン(現スリランカ)でした。
講和会議の席上、同国のジュニアス・リチャード・ジャヤワルデネ前大統領(当時蔵相)はブッダの言葉を引用して、次のように演説しました。「実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない。怨みをすててこそ恩む、これは永遠の真理である。」
こうしてジャヤワルデネ氏は我が国に対する寛容と愛情を説き、セイロンは我が国に対する賠償請求権を放棄することを宣言しました。インドなどその他の国もこれに続き、賠償請求権を放棄しました。また氏は会議の中で一部の国々が提案した日本分割案に反対し、これを退けました。
今の我が国があるのはジャヤワルデネ氏のお陰であり、氏は正に我が国の命の恩人です。改めて感謝致します。
(信)
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