日本の真実

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日本の記念すべき日 其の二十二 9月16日 軍艦「エルトゥールル号」遭難事件

2007-09-16 00:32:43 | Weblog
◎沈没船の生存者たちを住民が徹夜で救出(明治23年:1890年)

1887年に皇族の小松宮殿下夫妻がオスマン帝国(現トルコ)のイスタンブールを訪問した返礼として、オスマン帝国皇帝アブデュル・ハミット二世は、使節団を我が国に派遣することを決定しました。1889年7月、使節団を含む609名の乗員を乗せた軍艦「エルトゥールル号」はイスタンブールを出発。翌1890年6月、横浜港に無事入港しました。使節団は熱烈な歓迎を受け、3ヶ月間我が国に滞在しました
9月14日、使節団を乗せたエルトゥールル号は、帰路に就くため横浜港を出発。2日後の9月16日夜、エルトゥールル号は和歌山県串本町沖合の熊野灘を航行中に台風の暴風雨に巻き込まれ、紀伊大島の樫野崎灯台近くの岩礁に衝突、機関部が爆発して、午後10時半頃に沈没しました。
乗員は荒れる海上に投げ出され、特使オスマン・パシャを含む乗員540名が犠牲となってしまいましたが、一部の乗員は樫野埼灯台下に流れ着き、断崖を這い登って灯台に遭難を知らせました。灯台守からの連絡を受けた大島村(現在の串本町)の住民たちは夜を徹して救助活動に当たりました。住民たちは生存者を背負って島の崖を登り、冷え切った生存者たちの体を自らの体で暖めて、命を救ったそうです。
またこの時、大島村は台風により出漁できなかったために食料が少なく、生存者たちに食料を提供して、村から食料が無くなってしまいました。すると住民たちは、いざという時の為に蓄えていたサツマイモや鶏まで提供して、生存者たちの看護に努めたそうです。衣類も浴衣をある分だけ供出するなどして、救出に尽力した結果、69名の乗員が無事救出されました。
遺体の収容作業にも手を尽くし、引き揚げられた遺体は、遭難現場の岩礁近くの樫野埼の丘に丁重に埋葬されました。
この事件の報を知らされ、大いに心配された明治天皇の命により、69名の生存者は軍艦「金剛」「比叡」の2隻に乗せられて、無事オスマン帝国に帰還しました。
それから95年後の1985年、イラン・イラク戦争の最中、イラクのサダム・フセインは「今から40時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」と宣言。イラン在住の外国人が自国機で続々と脱出する中、我が国は政府の対応が遅れて救援機が飛ばず、日本人は現地に取り残されてしまいました。その時、2機のトルコ航空機がテヘラン空港に到着、残っていた日本人216名全員を乗せて離陸し、全員無事に帰国することが出来ました。
トルコの人たちはまだイランに大勢残っていたのに、日本人を先に助けてくれたのは、この95年前の出来事があったからでした。トルコの人たちは歴史の授業でこの出来事を教わり、皆知っているそうです。
私たちも1985年のことを忘れず、トルコの人たちを見習って、何かご恩返しが出来ればと思います。
(信)

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