日本の真実

日本人自身が知らない「世界に誇るべき日本の真実の姿」を様々な面から紹介するブログです。

「スクールボーイ・サワムラ」 世界をかけ巡る

2006-07-04 05:25:36 | Weblog
1934年11月20日、静岡 草薙球場にて、アメリカ大リーグ選抜チーム 対 日本選抜チームの第8戦が行われました。それまでの7試合は大リーグ選抜チームの全勝でした。大リーグ選抜チームは伝説のホームラン王ベーブ・ルースや鉄人ルー・ゲーリックといったそうそうたるメンバーを揃え、一方の日本選抜チームはまだプロ野球リーグ発足前で寄せ集めのチーム編成だったので、この結果は致し方ないところだと思います。
この日の先発はまだ弱冠17歳、日本選抜に加わるため京都商業を中退したばかりの沢村栄治でした。沢村は立ち上がりゲリンジャー、ルース、ゲーリック、フォックスら強打者を連続三振に取り、6回までに許したヒットはルースの1本のみ、0点に抑えました。大リーグ選抜は7回にようやくゲーリックが沢村のカーブを右翼席へ本塁打し、この試合唯一の得点を記録。日本選抜チームはこの日も1対0で大リーグ選抜チームに敗れました。しかし沢村は敗戦投手になりましたが8回を投げ、被安打5、失点1、9奪三振の好投でした。
沢村のこの好投はアメリカに打電され、「スクールボーイ・サワムラ」の名前が大リーグ関係者の間で一躍有名になりました。日本の野球が初めて世界にその名を知らしめた瞬間でした。

沢村は翌年のアメリカ遠征の際、大リーグのスカウトに契約書にサインさせられそうになったという逸話が残っています。

沢村はその後、巨人軍に入団し活躍しましたが、1944年、東シナ海にて戦死。1947年、巨人は沢村の功績を称えて背番号14番を日本プロ野球初の永久欠番に指定しました。
(信)