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二宮正治の十代の若者のための相談コーナー 8月22日

2011-08-22 08:28:12 | 日記
十九歳の男子大学生からの質問

 昨日の女子大生の質問は恐らく広島市安芸区矢野の事だろうと思います。私が住んでいる町だから分かります。
昨日の二宮正治さんの回答を読んで涙がこぼれました。
「やっぱり」
 残念です。でも仕方ないですよね、とんでもない事ばかり長年してきたのですから。
広島では昔から、
「矢野の人間をまともに相手にするな」
 と言われているのは知っています。
今、村十分に遭っているのも知っています。ひとつだけ言わせていただくと問題のあるのは江戸時代の安芸郡矢野村ではなく、大井村(女児殺害事件があった地区)です。
 この大井地区のために矢野地区までがたがた言われて広島市民からボイコットされ村十分に遭うのは合点がいきません。
 二宮正治さんが呉線矢野駅でコンサートを開催して十代の女の子の気持ちを束ねてくれたので今や矢野は日本国における文化の発信地です。あなたが育てた競輪の大スター三登誉哲も出てきました。
「これでも広島市安芸区矢野には明日はないのですか。広島市の一員として向かい入れてもらえないのですか」
 二宮正治さんの偽らざる本音を聞かせてください。ずっと村十分が続くのならどうすればいいのですか。


二宮正治回答

 真剣に答えます。広島県はいまだに毛利氏の影響を受けています。ただ安芸区矢野だけは違います。
私は矢野の人がどこから来てこの街に住み着いたのだろうといろいろと調べました。あなたが言うとおり旧安芸郡矢野村の人々は安佐北や安佐南および呉の人々と同族であり接点があります。
しかし大井村の人々は江戸時代の終わりに紀州のほうから来た人達で他地区から嫁のやり取りもなく自分達だけの文化を有してきました。
この人たちが、
「我々以外の者は地元の人間ではない」
 こう広言してはばかりません。
「広島や呉の人がどう思うか言わなくても分かるでしょう」
 広島市安芸区矢野をすばらしい町にするには、
「あなたのような地元出身の若者が町の将来を真剣に考える事です」
 このまま広島市民を続けたいのであれば、
「飛び地」
 を何とかしましょう。
この広島市安芸区矢野が飛び地である限り、将来は暗いのです。

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