日々のこと。

オカメインコのココとククとキキとの暮しを徒然なるままに。
(ククは闘病の末2012.6.5に旅立ち、キキが来ました。)

いつか会えるかな。

2017-07-07 17:06:48 | 日記
前回アップしたついでに、これまでの思い出の子達の写真等。


1978年の写真、白文鳥のピーコ。


ピーコと、我が家で生まれ育ったセキセイの男の子。

このセキセイ君は5羽兄弟で、両親と4羽の兄弟に先立たれ、一羽残った子でした。
この後まもなく亡くなってしまい、我が家の鳥はピーコ一羽だけになりました。

ピーコはとてもよく懐いた男の子で、歌と踊りが得意。
当時誰が世話しているか曖昧だったもので、誰か餌を入れただろうと思っていたら、殻付きの殻だけになっていることに気づかず、学校から帰宅して籠に手を入れても乗ってこなくて、よく見たら亡くなっていました。
3歳でした。
あまりにショックで、「私のせいだ~!」と叫んでピーコを握りしめたまま部屋へ駆け込み、布団ににもぐり、眠っては目が覚めると号泣してを繰り返していた私を見かねて、とうとう母親まで号泣してしまい、もう充分だからと慰められ、翌日両親に、小鳥屋に一緒に行こうと連れ出され、白文鳥らしきヒナを購入。

それがこの子、名前はやっぱりピーコ(と父)。

確か女の子で一度卵を産んだような記憶があります。
白文鳥っていってたのに、いつまでも頭の羽が一部分ちょこっと黒いままでした。
この子は8年か9年くらい生きました。
大学で上京し、そのまま就職してしまったため、ずっと離れたままとなってしまいましたが、兄が結婚して、兄夫婦と父とでとても大事にしてくれて、当時としては長生きできた方なのかもしれません。
一時元気がなくなったことがあったらしく、死なれたらまた私がおかしくなってしまうことを懼れた兄が、必死で色んなものを食べさせていたらまた復活したと、後から聞きました。
今でも、亡くなった文鳥を握りしめて一晩泣いて家族を心配させた私のことを、「おにーちゃんはそういうお前が嫌いだ!」と厳しくつっこまれます。
当時の父の日記にも、私のあまりの嘆き様が心配だ、受験に響くのではと心配、なんて書いてありました。
その事件があったおかげで、白文鳥もどきのピーコは家族みんなにとてもとても大事にされたのでした。
死に目には会えませんでしたが、きっと幸せだったんじゃないかな、と思っています。

十姉妹のピーコ。



就職してすぐの夏、窓から飛び込んできた子で、最初栄養失調の白文鳥かと思いました。
近くのスーパーで籠と餌を買ってきて、飼うことに。
全然慣れてなかったのですが、毎日無理矢理握りしめてナデナデしていたら、ベタベタの手乗りになりました。
私の顔の上や、ぬいぐるみのうさぎの耳の間で寝ちゃったりもします。
女の子だったため、保護して三年目に、軟卵を無理矢理医者に取りだされた後、帰宅して様子を見ていたら、翌日亡くなってしまいました。

そしてオカメのルル。これはまだ十姉妹のピーコもまだ元気だった頃です。



十姉妹のピーコを飼い始めて暫くして、昔から憧れていたオカメを飼いだしたものの、最初の子が一週間で亡くなり、次の子が一ヶ月で亡くなり、三番目にお迎えしたのがルル。
二羽亡くしていたため、過保護にし過ぎたのか、3歳になった頃、よくわからない咳をしだして、一ヶ月ほど看病したのですが亡くなってしまいました。
飛ぶのも上手だしパニックも起こさないし、よく慣れて誰とでも仲良くできる、可愛い子でした。
三歳になる前に一個だけ卵を産み、それから体調を崩したように思われます。
夜はブランコで寝るので、のったまま卵を産んだようで、朝見ると割れた卵が落ちていてびっくり。

看病していた頃に書いた、ルルの絵。







じっとそばについているしかなくて、見守りながら絵を描いて過ごしていました。
ルルが生きていたら、今頃27歳となります。

ちなみにピピは酉年生まれで、生きていたら今年24歳です。

いつか虹の橋でみんなに会えますように。










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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (teisuke)
2017-07-07 21:25:10
そうそう、こちらの絵です。ルルちゃんだったんですね^^
(カメさんはお父さん似?優しそうなお父さん^^)

家も初めて飼った鳥・・本当は文鳥が良かったんだけど、お店に行ったら居なくて、セキセイ2羽(緑ノーマルとルチノーです)を迎えてきました。
名前は、ピーコ、ピースケです。
(私のH.N,teisukeは、本名+初代のセキセイから来ています^^)

初めて飼う鳥にはいろんな思い出がついてまわりますよね・・。
飼ってなかったら今の人生は無かったと思います。

それにしても、やっぱりカメさんは絵を描くのがとても上手。せっかくだからまた今、ココ君、キキ君を描いてみたら・・?
返信する
Unknown (teisuke)
2017-07-07 21:55:22
>いつか会えるかな
きっと会えますよ・・と、なんとなくそう思います。

でも実はもう会っていたり。

※こちらの怪しい書き込みはお返事不要ですよー
返信する
Unknown (カメこと世話係)
2017-07-07 22:55:13
ていすけさん

随分昔に見ていただいた絵をまだ覚えて下さっていて、ありがとうございます。
そうなんです、私は父親にのようです。
昔はそんな風に思っていなかったのですが、輪郭や表情、顔の造りが結構似ているようです、兄は母親似かな。
とにかく優しい父でした。

昔は文鳥かセキセイ、十姉妹やカナリアがよく飼われていましたよね。
うちは私が物心ついた時には既に玄関に鳥かごが8個から10個近くあったような記憶があります。
産まれた頃からもういたのかも、もう確かめようもありませんが。
父の話では、床屋さんからもらったカナリヤが最初だったとか。
カナリヤは何代も孵りました。
セキセイも譲ってもらったペアで、メスが強くて最初のオスが死んでしまい、後妻ならぬ後夫くんとの間にヒナが5羽産まれ、でも夫婦仲は悪く、またオスが亡くなってしまいました。
目白、ソウシチョウ、うぐいす、文鳥、色々沢山いて、粉ミルクの缶に餌を保管していて、虫の駆除にと、もう出回らなくなっていたはずのDDTがあって、粉をかけるのを手伝ったものです。
私の鳥として初めてお迎えしたのが、ふごに入れた文鳥のヒナでした。
そのヒナを嬉しさのあまりあちこち連れまわしていたら逃げられて、次にお迎えした子が何年か生きてくれて、写真の白文鳥のピーコがその次にお迎えした子でした。

ていすけさんのところはセキセイのペアが最初だったのですね?その子達がヒナを孵していったのかな。
やはりピーがつくところは同じですね、
うちはオスでもメスでもピーコと節操ないですが・・。
ていすけさんの名前の由来を初めて聞けて嬉しいです。

絵は下手くそです、図工はいつも3でした・・。
小学校の図工の時間が来るのが恐怖でした。

鳥の絵だけはたまに描いてたかも、へたくそな文鳥とか・・。
兄が絵がうまくて字もうまくて手先が器用で、羨ましかったです。

いつか会えると私も思います。
今すでに、一緒にいる中にみんなが混じっているのかもとも思ったり。
魂はずっと寄り添えるのだろうと信じています。
ただ、その時に今の自分の記憶があるのだろうか、とも思います。
こちらが覚えていても、あちらが覚えていないとか、両方覚えていないまま、それでもちゃんと寄り添えているんだろうとか。

だから、寄り添える、会えると信じつつも、二度と戻れない今を一緒に過ごしていくことを、精一杯満喫しないととも思います。
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うまい! (みぃーたろう)
2017-07-17 08:41:59
あたさん!絵がうますぎる!
美大でしたか?
感動しました(*゚▽゚*)
返信する
Unknown (世話係あた)
2017-07-17 18:28:26
みぃーたろうさん

笑ってしまいました、ありがとうございます。
美大どころか図工3でした。
でも、この時描いた絵を今描けと言われても絶対もう描けません。
絵の下手な自分がどうしてこんな絵を描いてたのか、自分でも謎の絵なもので、大切な思い出のスケッチブックとなっております。

この絵に描いたルルが生きていたら、ぴーたろうくんより一つ上になるんです。
そう思うと、やっぱりぴーたろうくん、スゴイです、それこそそのパワーに感動します。
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