二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

マーラーとショスタコーヴィチ

2020年02月27日 | 音楽(クラシック関連)
   (縁側で心地よさそうに眠っているケンタ♪)



この10日ばかり、マーラーとショスタコーヴィチにはなはだ手こずっている。
わかるようで、わからない。5回6回と聴いてみる。
マーラー 交響曲第5番
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

どういうわけか、どちらも5番が入口となっている。5番だけは、数回聴いただけで、しっくりと耳に馴染んだ。ごくポピュラーなので、レコード店にもいろいろなCDがたくさん置いてある(^^♪
しかし、そこからさきへすすもうとすると、マーラーとショスタコーヴィチは、どちらも険しい山脈。

仕事はリタイアしたし、今年の冬は野鳥撮りをしないので、時間はけっこう捻出できる。そこで新たにCDを買ってきて、いままで苦手意識が強かった音楽を相手に対話しようとしている。
12月以降、100枚を超えるクラシック音楽がやってきた。
むろん本と同じで、2/3はリユース。持ち運びできるCD用プラBOXを5-6個追加した。そうしないとリビングにCDがあふれてしまう(=_=)

かつての上司で群響のメンバーだった人としばらく交流が途絶えてしまったし、昔クラシックが好きだった友人が、クラシック離れしてしまい、相談相手がいなくなった。
おもに一般初心者向けの本がたより、少々心許ない。
現代はクラシック・ファンが激減しているのだろう。わたしなど、恐竜時代の生き残り生物?
まあそれでいっこうにかまわないのだけれど。








このほかにも読んでいる。しかし、書評(レビュー)を書いてUPしても仕方ないと考えて、こころのうちだけで処理。
マーラーとショスタコーヴィチ。交響曲の大山脈。
5番以外にもそれぞれ、3曲、4曲と聴いて、高い峻厳な山によじ登ろうとしているわけだ(ノ_σ)

■マーラーのCDの一部


マーラーは一つの曲に、種々雑多なものをつめこみすぎている。ニヒリズム、エロス、情熱、不安、敵愾心、よろこび、悲嘆、孤独感etc.
太宰治ではないが、要するに自意識過剰な作曲家なのだ。モーツァルト好きのわたしには、こういう男につきあうのは骨が折れる。
有名な「大地の歌」だって、好悪相半ば。
あの歌詞は李白の詩ではなく、マーラーが作り出した幻影なのだ。その幻影と戯れている。李白はエピキュリアンなのに、作曲家は李白的快楽の世界を、自分の自意識で黒く塗りつぶしてしまった。

だいたいドイツ語のできない人間に、歌曲の人マーラーが理解できるのか!?
そう自問自答しながら、器楽のみの交響曲を聴きこんでいる。

■ショスタコーヴィチのCDの一部。


5番につづいて評価の高い7番を5回6回と聴いてみたが、しっくりと胸に響かないところの方が大きい。
マーラー同様、巨大な音と響きの大山脈。途中でついていけなくなって、おいてきぼり。
4番がややおもしろかった。しかし、70分のあいだ集中力をもって聴きこむのはまだまだつらい(^^;)
詩でも書いたように、世界の不幸の半分を背負い込んでいるような楽想が、耐えられなくなることがある。音楽的に充実しているのはわかるが、根っこにあるのはペシミストの音楽♪ 
気分が暗くなりすぎると、ファンにはあきれられるだろうが、やむなく、モーツァルトとかブラームスとかでお口直し。

ところでこのところ、R・シュトラウスにも関心が芽生えている。
■アルプス交響曲(作品64)
クリスチャン・ティーレマン指揮 ウイーン・フィル盤(ライヴ・レコーディング)

これが素晴らしかった! おまけに収録されている「歌劇<ばらの騎士>組曲」も愉しい、「サンキュー、ステキな音楽堪能いたしました」って感じかしら。
これは聴く人をシアワセにしてくれる音楽なのだ、いささか映画音楽っぽいところもあるが。
音楽はこうでなくちゃ・・・R・シュトラウス侮るべからず。

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