二草庵摘録

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半藤一利「あの戦争と日本人」(文春文庫2013年7月刊)レビュー

2019年11月10日 | 歴史・民俗・人類学
半藤一利さんの本は、これで何冊目になるのだろう。
昭和史、戦争史は、わたしの場合、半藤さんから教わったようなもの♪
たいへんな見識の持ち主として尊敬している。ローマ史の塩野七生さんと、この半藤さんが、日本史、世界史の先生といえる。
Amazonには58個のレビューが置いてある。「日本のいちばん長い日」「昭和史」ほどではないが、大勢の読者に感銘をあたえているのだ。

《歴史とは、前の事実を踏まえて後の事実が生まれてくる一筋の流れである―明治維新、日露戦争、統帥権、戦艦大和、特攻隊。悲劇への道程に見える一つ一つの事実は、いつ芽吹き、誰の思いで動き出したのか。名著『昭和史』に続き、わかりやすく語り下ろした戦争史決定版。日本人の心に今もひそむ「熱狂」への深い危惧が胸に迫る。》

ネットのBOOKデータベースには、そう書かれてある。
兵隊さんと民間人併せ、300万人もの日本人を死に追いやった“あの戦争”とは何であったのか!?
それが半藤さん終生のテーマ。
くり返し、くり返し問いつづけている。一部の突出した軍人だけが戦争に邁進したのではない。マスコミが鉦や太鼓を叩き、それに載せられたほとんどすべての日本人が、戦争に熱狂したのだ。

いまさらいうまでもないことだが、あのとき、日本はいったん滅びた。
無条件降伏を受け入れ、米軍に占領されたのである。
「日本のいちばん長い日」「昭和史」を読んでいるとき、“つい昨日”のことのように、戦争が悪夢となって蘇ってくる思いを味わった。
しかし、夢ではなく、すぐそこにあった現実なのだ。

本書の目次を掲げておこう。

第一章 幕末史と日本人
第二章 日露戦争と日本人
第三章 日露戦争後と日本人
第四章 統帥権と日本人
第五章 八紘一宇と日本人
第六章 鬼畜米英と日本人
第七章 戦艦大和と日本人
第八章 特攻隊と日本人
第九章 原子爆弾と日本人
第十章 八月十五日と日本人
第十一章 昭和天皇と日本人
新聞と日本人(長い「あとがき」として)

このあとがきをふくめ、文春文庫で383ページ。
語り下ろしした内容を、文春の編集者数人がまとめたものが、本書である。
おおよそは、半藤さんの別の著作ですでに目にしている。しかし、ここで新たに知り得た、笑うに笑えぬ悲しい“舞台裏”もある。

《問1. 太平洋戦争の戦闘員の戦死者は、陸軍165万人、海軍47万人とされている。このうち、広義の餓死による死者の比率は?
a.10% b.30% c.50% d.70%

《問2. 同じくこのうち海軍の海没者は18万人、陸軍は?
 a.5万人 b.18万人 c.25万人 d.40万人》

問1はd、問2はbが正解!!
そして半藤さんはこう付け加えている。
「海没とは、派遣・増援などのため乗船した輸送船が撃沈され兵士が空しい死を死んでいったことを意味します」と。
戦闘ではなく、餓死で死に、海没で死ぬ。
こういう事実をほとんどすべての日本人が“忘れること”で、戦後民主主義なるものがはじまった(;´д` )
日本人はそういう民族なのである。
こういった過去を単純に自虐史観といってすますことはできない。

半藤さんは史料をじつによく調べている。「日本のいちばん長い日」や「昭和史」を書きおえたあとも、昭和史の知られざる闇を、営々として探求しているのだということが、本書からありありと伝わってくる。
東日本大震災の死者がおおよそ2万人、太平洋戦争の死者が300万人。

特攻や原子爆弾についても、そういったものがどのように生まれ、どのような結果をもたらしたか、追及の手をゆるめない。300万人もの同胞の犠牲の上に、戦後の平和と繁栄があることを認識すべきである。
2万人対300万人ですぞ(=_=)
「ああ、そうでしたか」といって、本書を閉じ、そして忘れることなどできはしない。
「あの戦争と日本人」はずっしりと重い、おもい本である。半藤一利さんと、文春の編集部が、こういう一冊を世に送り出した。

後悔などというべきではない。
空しい、無意味な死であったと、平和を謳歌する現代の日本のだれがいえるだろう。
御前会議で侃々諤々とやりあった海軍大臣米内光政(よないみつまさ)陸軍大臣阿南惟幾(あなみ これちか)の攻防。(防衛省にあった記録に、阿南は「米内を斬れ」と遺命したことを、本書ではじめて知った。)

だがついに決着がつかず、天皇に“聖断”を仰ぐ。
昭和天皇びいきの半藤さんは、つぎのように述べている。
《昭和の軍部と政治指導者たちは、天皇のこの温和にして優雅なよき人柄につけいったといって間違いじゃない》と。

天皇のひとことがなければ、あの戦争をやめることができなかった政治指導者、そして陸海軍のトップたちの無能が、300万人の死という、歴史上未曾有の悲劇をもたらした。
目次にあるように、11章の角度から半藤さんは光をあてている。
そしてあとがきで、書きもらした「新聞と日本人」について語り、“遺言”(そうとしか思えない内容をふくんでいる)を終える。

昭和20年8月、半藤一利さんは15歳であったという。



評価:☆☆☆☆☆

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