こういったどこからとなく滲み出てくる粋なセンスというのは、覚えようとしても叶うものじゃないんだろうなあ。
そんな余裕綽々とした雰囲気が隅々まで漂い、久しぶりに大人を感じさせてくれた映画、それがこの「寝ずの番」。
父親は時代劇スターの沢村国太郎。母親はマキノ省三の娘・マキノ智子。兄は長門裕之。そして父方の叔父が加東大介で叔母が沢村貞子。母方の叔父にはマキノ雅広監督と松田定次監督、ついでに嫁さんは朝丘雪路と、まさに日本娯楽映画そのものの環境のもとで生まれ育った俳優の津川雅彦。
そんな彼がマキノ雅広監督の名を継ぎ、マキノ雅彦の名義で監督に挑んだこの作品、観る前は好々爺のお遊び映画になっていなければ良いけれど、などといらぬ危惧もしたものだったけれど、そこにはいろんな遊びを遊び尽くした後にたどり着いたであろう監督の思いが全編に漂っていて、「ちょいワルおやじ」などと言われて喜んでいる猪口才な馬鹿なオヤジどもが足元にも及ばない、見事な世界観があってすっかり堪能させられた。
昔々、大学に入って初めて先輩から春歌を聴かされたとき、何となく大人の第一歩を踏み出したような思いがあったけれど、(東映のプロデューサーで「任侠映画の首領(ドン)」と呼ばれた俊藤浩滋の娘である)富司純子さんの都都逸を聴かされたり、(「松竹戦後の三羽烏」と言われた二枚目俳優、佐田啓二の息子の)中井貴一と(200本以上の映画に出演し、名バイプレイヤーとして活躍した堺駿二の息子の)堺正章との艶歌合戦を聴くにつけ、かくも粋な世界があるんだなと再認識させられ、極端に言えばこれからの人生すら考えさせられてしまった。
とにかく、ここ最近の若年層に擦り寄った志の低い企画や才能すらないのに人を見下すばかりの似非芸人が跋扈するこの日本において、(中島)らもさんのこうしたある種アナーキーな(「崩御」ネタなんて特にスゴっ!)原作を、決して力むことなく、はんなりと描いて可笑しくも切ない人情ものに見事仕上げたマキノ雅彦監督に拍手。
今日の1曲 「いとしのマックス」 : 荒木一郎
『春歌』と言えば思い出すのは、やはり大島渚監督作品「日本春歌考」。
あの映画の中で、大学に入りたての主人公を演じていたのがいろんな意味で知る人ぞ知る荒木一郎。
そんな彼の「空に星があるように」とか「今夜は踊ろう」といった数あるヒット曲のなかでも一番有名なのがこの曲。
たまたまはじめて寄った彼のファンクラブのページによると、この曲が発売されたのが1967年の今日(5.15)だそうで、このちょっとした偶然に少しびっくり。
歌謡曲っぽいペラペラなアレンジがあの時代を感じさせてくれてナイスな感じです。
試聴はコチラ
そんな余裕綽々とした雰囲気が隅々まで漂い、久しぶりに大人を感じさせてくれた映画、それがこの「寝ずの番」。
父親は時代劇スターの沢村国太郎。母親はマキノ省三の娘・マキノ智子。兄は長門裕之。そして父方の叔父が加東大介で叔母が沢村貞子。母方の叔父にはマキノ雅広監督と松田定次監督、ついでに嫁さんは朝丘雪路と、まさに日本娯楽映画そのものの環境のもとで生まれ育った俳優の津川雅彦。
そんな彼がマキノ雅広監督の名を継ぎ、マキノ雅彦の名義で監督に挑んだこの作品、観る前は好々爺のお遊び映画になっていなければ良いけれど、などといらぬ危惧もしたものだったけれど、そこにはいろんな遊びを遊び尽くした後にたどり着いたであろう監督の思いが全編に漂っていて、「ちょいワルおやじ」などと言われて喜んでいる猪口才な馬鹿なオヤジどもが足元にも及ばない、見事な世界観があってすっかり堪能させられた。
昔々、大学に入って初めて先輩から春歌を聴かされたとき、何となく大人の第一歩を踏み出したような思いがあったけれど、(東映のプロデューサーで「任侠映画の首領(ドン)」と呼ばれた俊藤浩滋の娘である)富司純子さんの都都逸を聴かされたり、(「松竹戦後の三羽烏」と言われた二枚目俳優、佐田啓二の息子の)中井貴一と(200本以上の映画に出演し、名バイプレイヤーとして活躍した堺駿二の息子の)堺正章との艶歌合戦を聴くにつけ、かくも粋な世界があるんだなと再認識させられ、極端に言えばこれからの人生すら考えさせられてしまった。
とにかく、ここ最近の若年層に擦り寄った志の低い企画や才能すらないのに人を見下すばかりの似非芸人が跋扈するこの日本において、(中島)らもさんのこうしたある種アナーキーな(「崩御」ネタなんて特にスゴっ!)原作を、決して力むことなく、はんなりと描いて可笑しくも切ない人情ものに見事仕上げたマキノ雅彦監督に拍手。
今日の1曲 「いとしのマックス」 : 荒木一郎
『春歌』と言えば思い出すのは、やはり大島渚監督作品「日本春歌考」。
あの映画の中で、大学に入りたての主人公を演じていたのがいろんな意味で知る人ぞ知る荒木一郎。
そんな彼の「空に星があるように」とか「今夜は踊ろう」といった数あるヒット曲のなかでも一番有名なのがこの曲。
たまたまはじめて寄った彼のファンクラブのページによると、この曲が発売されたのが1967年の今日(5.15)だそうで、このちょっとした偶然に少しびっくり。
歌謡曲っぽいペラペラなアレンジがあの時代を感じさせてくれてナイスな感じです。
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映画に対し、優しさあふれる映画評、ありがとうございます。これからも宜しくお願い致します。 冨田弘嗣
>落語「らくだ」のかんかん踊りで師匠が足を動かすカットなんて、天才だと思う。
と書かれると、やはりそうなんだと思わず納得したりしています。
こちらこそよろしくお願いします。
ちなみにマキノ雅弘監督作品の中では、ありきたりながらやはり「昭和残侠伝 死んで貰います」が一番好きでした。
津川さん、おっと、マキノ監督だからこそ作る事が出来た作品だと思います。
お兄さんの長門さんの死人もインパクトありました。
男の人たちが艶歌を歌い出したら、奥さん方も当然のようにそれにノッてきたのが驚きでした。
知ってて普通の世界なんですね~。
ほとんどの人が(約一名を除いて)きれいな関西弁で、
見事に「おしゃみ」を弾くのにびっくりしました。
『約一名』の関西弁は聴いていてちょっとつらかったですね。
彼は彼で好演していたとは言え、やはりここは関西の芸能人を使うべきだったのでしょうね。