虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 25

2014-09-20 19:17:16 | 日々思うこと 雑感

 

 子どもが最初に『戦士』のアーキタイプと出会うのは、反抗期でしょう。

『戦士』のアーキタイプは、「これは自分だけのもので他人のものではない」という

アイデンティティーの感覚を養ってくれるものです。

芽生えたばかりの自我は、簡単に親の願望や他者の要求に侵略されてしまいますから。

 

子どもの反抗期に、精も根も尽き果てるほどまいってしまっている親御さんに会うと、

その方自身が、「自分の境界線」という感覚を持ち合わせていないように見えることは

よくあります。わたしの母もそうだったなと思いだされます。

「自分の境界線」という感覚がない場合、子どもの個性が芽を出すたびに、

子どもとの隔たりを感じたり、子どもに問題があるのではと心配したり、

過干渉になったりするかもしれません。

自分の境界線の警護するよう促す『戦士』のアーキタイプが子どもの中で動き出す時は、

それまで『戦士』のアーキタイプを抑圧してきた人の心を揺るがすのでしょうか。

 

子どもの自己主張を脅威のように感じている方の相談に応じる時、

子どもの問題はいったん脇に置いて、

親御さんが「本当は何を望んでいるのか」をより明瞭になるように話しあって、

周囲からどう思われてもそれを守るよう励ますと解決することがよくあります。

 

たとえば、「自分の境界線」を持っていない親御さんの場合、

最初の悩みは「子どもに発達障害があるのではないか」というものでも、

よく話を聞いてみると、こんな背景が浮かびあがってくることがあります。

気の合わないママ友仲間との付き合いから抜けられず、

ママ友たちの言動への不満やそのママ友たちからわが子を

「変わった子と見られたくない」という思いから

子どもを過剰に干渉しがちになり、ゆったりとかわいがる時間が減って、

子どもがひんぱんに癇癪を起したり、そわそわと落ち着きがなくなったり

しているのです。

 

親御さんが最も深刻に悩んでいるのは、子どもの困り感を減らすことではなく、

その方や子どもに対して見下すような態度で接するママ友たちに

「変な子」という目を向けられたくない、悪い噂を立てられたくない、

ということです。

 

こんな場合、子どもの発達障害の有無の関わらず、

親御さんが自分が望まない状態から離れる勇気を持ち、

少しずつでも他者との境界線を設けることができるようになっていくと、

悩みの半分くらいは自然に消えてしまうようです。

 

 

 

 


2歳9ヶ月~3歳1ヶ月の子らの遊びの発展 と 算数遊び

2014-09-19 15:13:15 | 通常レッスン

2歳9ヶ月のAちゃん、3歳0ヶ月のBちゃん、3歳1ヶ月のCくんのレッスンで。

教室に着くなり、Bちゃんが「ピッピッピで遊ぶ」と言いました。

Bちゃんのお母さんは何のことやらわからず、

「ピッピッピってなあに?」と聞き返していました。

「Bちゃんのピッピッピは、これのことでしょう?」と、レストランで注文を聞き取る

機械のおもちゃをだしてくると、Bちゃんは目を輝かせてそれで遊びはじめました。

 

そこでBちゃんと、レストランの注文ごっこ。

「熱い、熱いコーヒーをください」と頼むと、Bちゃんがボタンを押す真似をしました。

「コーヒーを入れるカップがいるね」と、紙コップにモールで取っ手をつけました。

Bちゃんいわく、取っ手ではなく、「コップのお耳」。

 

ままごと机の引き出しのミーキーの取っ手は氷のボタン。

ミニーの取っ手は熱いコーヒーが出てくるボタンということにして、

ボタンを押して、コーヒーを作ってもらいました。

「あったかーいあったかーい熱いコーヒーをちょうだいね」と頼むのに、

Bちゃんはわざと氷のボタンを押して、「ガラガラガラ~」と氷を入れて

冷たいコーヒーばかり作って、ケラケラ笑っていました。

 

「Bちゃん、もう秋だよ。風がびゅうびゅう吹いて、寒くなってきたよ。

暑いね、暑いねって海やプールで泳いだ夏は終わってしまったのよ。

秋がきたから、氷のいっぱい入ったコーヒーは冷たいよ。

あったかいあつあつコーヒーをくださいな」と言うと、

Bちゃんいわく、秋になったのを知っているそう。

もちろん、わかっています、わかっています……というように

大きくうなずいてから、いたずらっぽい笑みを浮かべて、再び、氷のボタンを押して

「ガラガラガラ~」。

 

Bちゃんのお気に入りの注文用の機械をかまぼこ板ふたつで作りました。

テープで貼って、開いたり閉じたりできるようになっています。

 

ついでに、飲み物が出てくる機械も作りました。

色画用紙に切り込みを入れて、折ったらできあがり。

ボタンを押して、裏からひもやビー玉などを注いで遊びます。

 

Bちゃんが、「靴が作りたい」と言いました。

そこで段ボールに足型を取って、ひもをつけて、サンダルを作りました。

サンダルをはいて歩きまわりながら上機嫌のBちゃん。

今度はお人形の足型を取って靴を作ってあげよう、ということになり、

紙でピンガ(ピングーの妹)のサンダルを作りました。

 

猫とAちゃんとAちゃんの妹とお弁当箱をぺったんテープでひっ付けた

電車を手に、Bちゃんの靴屋さんごっこを真剣な表情で観察していたAちゃん。

「Aちゃんの猫ちゃんにも靴を作ろうか?」と声をかけると、

身を乗り出してうなずきました。

 

猫の靴は、ペッタンテープでペタリ。

「あれっ、猫の足は、1,2,3,4だから、靴が1,2,3,4……4いるね」

と言うと、Aちゃんも数えてから、「4いるね」と言いました。

数についてよくわかっているようです。

その後、Aちゃんはお母さんといっしょに自分の足型を取って、

サンダルを作ってもらっていました。

「Aちゃんの足は、1、2……2だね。Aちゃんの靴は2いるね。

猫の足は、1,2,3,4……4だね。猫の靴は4いるね。どうしてだろうね」

と言うと、横からBちゃんが、「どしてか、わからないよ!」と茶目っ気たっぷりに

言って笑いだしました。

 

「夏は終わったね。秋が来たね」と言いながらごっこ遊びをしていたら、

Bちゃんが、夏の遊びを思い出したようで、「浮輪、作る」と言いました。

そこでピンガの浮輪を作ってあげたところ、Bちゃんは自分の浮輪にしたかったようで、

自分の腕に通してから、胴体を通すことができないことに怒っていました。

 

Aちゃんが、Bちゃんとわたしの浮輪作りの一部始終を目を皿のようにして

見つめていたので、Aちゃんの遊んでいた人形にも浮輪を作ってあげました。

 

3歳前後の3人さんを夢中にさせていた手品の小道具。

中に入れた人形が消えた瞬間、口をぽかんとあけて目を見開いて驚くので

おかしかったです。

「普通はどうなるか」(箱の何か入れたら、再び開けてもそれが入っている)

という常識がしっかりわかるようになったからこそのびっくり顔なのでしょう。

 

 

想像力豊かでとってもおしゃべりなCくん。

お母さんといっしょに電車の駅を作って遊んでいました。

 

新幹線が大好きなので、新大阪の駅を通る時は、入場券を買って、

新幹線を見学しに行っているそうです。ちょっとしたマークの違いや

駅のアナウンスなどよく知っています。

ブロックで駅の階段を作っていたので、ブロックのお人形で、

「ママ、ママ、階段をのぼるのしんどいよう。おんぶしてよう」と子どものお人形に

言わせてはお母さんの人形におんぶさせてのぼるシーンを見せていたら、

子どもたちがみんな集まってきて、何度もこのシーンで遊んでいました。

 

「階段、のぼるのしんどいよう」と人形に言わせてから、「Cくん。どうしよう。

しんどくて階段のぼれないんだって。どうしたらいいのかな?」とたずねると、

一生懸命頭をひねっていたCくんは、「牛乳飲んだらのぼれるよ」と答えました。

ポパイのほうれんそうじゃないですけど、牛乳はCくんの

パワーアップのもとのようです。

そこで、新幹線内の販売用ワゴンということにして遊んでいた

おもちゃに牛乳を乗せて人形に届けました。

 

 

 お片づけも兼ねて算数タイム。

「1、2、3……と数えながら、1台、1台新幹線たちをお片づけ。

「向きの違い」や「向きをそろえること」に敏感な時期のようで、

わざと反対方向に置いてみせて、笑ってから、正しい方向に

置き直していました。

「あれあれ、こっちが前かな?こっちかな?こっちにも顔がある。

おしりのほうにも顔がある!」と言うと、

前後ろが同じの電車について、首をかしげて悩んでいました。

ここでも、Bちゃんは、「わかんない~!」と茶目っ気たっぷりに言って

笑いだしました。

10台ずつ列車を入れてふたをしめるようにしていると、

Cくんがもう一台入れたがりました。

「10、11!11になっちゃうよ」と言うと、みんな真剣な表情で見守り、

「10より多くなってしまう、どうしよう。11でもいいか、11入れようか」

という展開では、訳知り顔にうなずいていました。


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 24

2014-09-18 20:14:27 | 日々思うこと 雑感

親が自分の中にどんなアーキタイプを成長させているか、意識に統合しているかは、

どのような情報を信じ実践するか、○○法で育てるか○○式で教育するのかといった

差よりも、大きな影響を子どもに与えることでしょう。

 

話が少し脱線しますが、先日、『自分づくりと保育の構造』という本を読み返していて、

保育の場に深刻な影響を与えている、保育者同士の保育観のズレについて書いている

個所で、保育者の「人格・人間性のブラックボックス」という言葉が使われていて、

興味を引かれました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(「言葉にされた一般的な目標」のレベルでは一応一致していて)

同じ言葉を使い、同じ活動を展開しているにもかかわらず、

保育者の「人格・人間性のブラックボックス」を通過すると、

とたんに保育実践は異質なものへと変容していく……。

そうした関係が、「保育観」不一致の大きな要因になっていると

考えることができるのです。

この場合、保育者の「人格・人間性のブラックボックス」というのは、

保育者個人の「教育的センス・力量」は、実際にはその人の成育歴や育った環境の

違いを背景にしながら、保育者個人の人格や人間性をまるごと投影する形で、

実践のなかに反映してくるのでした。

              『自分づくりと保育の構造』 加藤繁美 ひとなる書房

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この本でアーキタイプの話が扱われているわけではありません。

でも、「人格・人間性のブラックボックス」という言葉を目にして、

それぞれの親や保育に関わる職業に就いている人が、

自分の内面でどのようなアーキタイプを成長させてきたのか、

どのアーキタイプとアーキタイプを意識の中に統合してきたのか、

今現在、活発に活動しているアーキタイプは何なのかが、子どもとの関わり方に及ぼす

影響について、いろいろな思いがめぐりました。

 

 教室でも、子どもに対する価値観を共有し、同じ空間で活動を共にしていても、

それぞれの親御さんによって、何に関心を持ち、何を考え、何を理解し、何を表現し、

子どもとどのように関わり、その日したことをどう評価するかは千差万別なのです。

わたしが伝えたひとことも、親御さんというひとりの人のフィルターを通過したとたん、

わたし自身の捉えとは180度異なるものになるのもめずらしくありません。

あたり前といえば、あたり前のことですよね。あたり前だし、伝えることのほとんどは

それぞれの親御さんの個性でアレンジしてこそ価値があるものでしょう。

でも子どもの育ちにとって急所ともいえる部分で生じるズレを、

どのように縮めて解消するかは、常に頭を悩ましている課題でもあります。

 

次回は、前回の記事の続きに戻しますね。

 

 

 


子どもの発想は、大人とずいぶん違うもの……!? 1

2014-09-17 22:08:19 | 工作 ワークショップ

 子どもの発想は大人とはずいぶん違います。

それぞれの子の個性や成長段階によって、思いもよらないものに関心を抱き、

それを遊びや物作りの場面で表現しようとする姿が面白いです。

 

年中のAくんが、「セブンイレブンのお店(おもちゃ)に、

これ(段ボールを切ったもの)貼ってもいい?」と聞いてきました。

「あとではずすのなら、セロテープか養生テープでつけてもいいわよ」と言うと、

「あのね、お店の屋根の部分がずーっと前の方まで伸びていくようにしたいんだよ。

そうしたら、雨が降っても濡れないから。それでね、この屋根の下のところに

テーブルとか椅子とか置いて、お茶を飲んだり何か食べたりするんだ」とのこと。

 

屋根は大満足の出来だった様子。

ところが、木片でテーブルを作って屋根の下に設置しようとしたところ、

いくらなんでも大きすぎることが判明。

切りかえの速いAくんは、「だったら、屋根の上で何か食べたり飲んだりすることに

するよ」と言って、上の写真のようにテーブルを乗せました。

すると、今度は椅子を置く場所がないことに気づきました。

 

あとからAくんのお母さんに伺ったところ、旅行先で前にせり出た屋根付きの

コンビニがあったそうで、2日に渡ってその屋根の下のテーブルで、

飲み物を飲んだのだそうです。

普段、見慣れないつき出した屋根のあるコンビニ……

Aくんの心によほど強いインパクトを与えたのでしょう。

 

椅子を置くスペースがないことに観念したAくんは、

上の写真の左に写っている通り、テーブルを真ん中にして

教室の子供椅子を向かい合わせに置いて、「これでいい」と言いました。

Aくんにすると、この解決案は冗談でも何でもなかったようで、

算数タイムの際にお友だちがこの椅子を使おうとすると、激しく抵抗していました。

思わず、「この椅子、大切な作品の一部だったんだ。」と納得。

 

別の日、こんなことがありました。

4歳になったばかりのBくん。

「何がしたい?」とたずねると、「こんなにこんなにこんなに大きな恐竜が作りたい」

と言いながら、両手をいっぱいいっぱいに広げました。

そこで、エアコンが入っていた大きな段ボールを用意して、いっしょに

巨大恐竜の絵を描きました。

 

自分の身体より大きな絵に心から満足した様子のBくんは、

その絵の上にブロックの基礎板や恐竜のフィギアを並べだし、

「ここは、恐竜博物館ってことにするよ。それから、この輪っかの中が大昔の海の中の

生き物がいるところ」と言いました。

 

恐竜の絵を描いたあと、恐竜を作るのかと思ったら、その身体の各部分を通って

見学してまわる恐竜博物館にするとは……子どもの発想は、全く読めません。

 

BくんといっしょにレッスンしていたCくん。

ラップの空き箱に丸いわっかを貼り付けて、

「宇宙ステーションのやつ作ったから、吊り下げて!」とのこと。

「銀や金のキラキラしたきれいな色紙があるから貼ってみる?」とたずねると、

「いらない」とのこと。

Cくんにとって、自分で作ったということは何より大切な様子。

 

くねくね曲がるへびといっしょに天井からぶらさげました。

 

 

 

 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 23

2014-09-16 21:40:19 | 日々思うこと 雑感

二つを統合させることが、子育てと関わりが深いアーキタイプに、

『戦士』と『援助者』があります。

 

『英雄の旅』の文章の一部を要約したものを青文字と赤文字、

わたしのコメントは黒文字で書かせていただきますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『戦士』と『援助者』は、どちらも内界と外界の子どもの安全を気にかけている

アーキタイプで、この二つが揃うと責任感という美徳を学ぶことができる。

戦士が先頭に立っている時は、競争や自己主張や達成を通じて努めを果たそうとし、

援助者が主導権を握っている場合は、

他人に与え、慈しみ、力を与えるというやり方を好む。

戦士の力が強すぎると、他人を犠牲にしてでも成功を勝ち取ろうとするおそれがあり、

援助者が強すぎれば、自分を犠牲にして他人を助けようとするかもしれない。

だからこそ、自分に対するものであろうと他人に対するものであろうと、

責任感という美徳には慎重なバランスが求められる。

 

この二つのアーキタイプは、他人への責任を負うことによって成長を遂げる。

現実に、優れた親や教師や療法士や企業経営者たちは、

そろって戦士と援助者の要素を統合させているものだ。

彼らには、個人の成長を育みながら限度を設定する能力がある

この二つのアーキタイプの融合は、

パワーと同時に寛大さと慈しみの側面が強調された父なる神や、

命を産んで育む力とその命に死をもたらす力を併せ持った母なる女神といった

元型的なイメージ見られるものだ。

一人ひとりの人生でこの二つの元型的なエネルギーが融合されれば、私たちは

理想的な親に——わが子にとっても、自分のインナーチャイルドにとっても、

——なれるだろう。幼い時は、親を信頼して自分の身を託す。その後は親の役割を

内面化して、親ならこうするだろうと思う方法で、

自分を慈しんで守っていく。最終的には、親を超越した元型的なエネルギーを利用できる

ようになり、その力を借りれば、それまでのスキルをはるかに凌ぐ方法で自分や他人を

守って慈しむ方法を学ぶことが可能になる。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『援助者』のアーキタイプについては、

子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 18 で少し取り上げています。

『戦士』についてはこれから『英雄の旅』の一部を紹介させていただきますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ほとんどの人にとって、『戦士』と『援助者』は、

初めて出会う大人のアーキタイプとして意識に統合される存在だ。

少なくともどちらか一方を成長させなければ、ほとんどの人は、

感情面でも肉体面でもいつまでたっても子どものままだ。

内なる『幼子』は壮大な夢を思い描く。『孤児』はその夢の障害を見極める。

だが、『戦士』が現れなければ、予期せぬ幸運や他人の親切にでも恵まれない限り、

夢が実現する可能性は皆無に等しい。

『戦士』は、『幼子』が描いた夢や創造的なアイデアを受け継いで、

目標とプランを設定する。

さらには、そのプランにこだわり、

いざという時は戦略的な撤退を選べるような自制心を授けてくれる。

 『戦士』の神話は、充分な知恵とスキル、立ちはだかるための勇気と自制心を

身につけ、充分な支援を取りつければ、この世の悪や不正に打ち勝つことができると

私たちの心に訴える。


自我(エゴ)に関わる4つのアーキタイプ(幼子、援助者、孤児、戦士)が

そろって成長を遂げていれば、『戦士』は非常に高いレベルで活動を行い、

本当に必要とされる時だけ闘いを始めるはずだ。

ところが、『幼子』や『孤児』がひどい傷を負っていて、

『援助者』が未熟なままであると、

『戦士』が設定する目標や計画や構想は独りよがりで意地の悪い、

独善的なものになってしまう

 

『幼子』も『孤児』も、自分の境界線という実際的な感覚を持ち合わせていない。

『幼子』は、宇宙やまわりの人々との一体感を感じている。

『孤児』は、空間の隔たりを傷や欠落としてしか理解していない。

他者との隔たりを感じると、力を得るどころか無防備になってしまう。

『戦士』は、自分の境界線を見つけたり設定したりする手助けをして、

私たちが攻撃されないように守ってくれるアーキタイプなのだ。

 

心理学的な観点から言えば、自分自身の境界線を設定するまでは、他の誰かに準備を

整えてもらうことが必要だ。それに圧迫を感じても、境界線を創造する能力がなければ、

そこから脱出することはできない。

立派な親であろうと、ろくでもない親であろうと、親は子供のために境界線を引く。

私たちの自我が幼い子供のままでいるうちは、私たちのためを思ってくれる誰かに

境界線を設定してもらうことで、安心感を得るが、

自立する準備が整ってくると、囚われているような気分になって抵抗する。

理想的な形は、子供が成熟して自主的に活動できるようになったら、それに合わせて、

両親や学校を始めとする社会的機関が空間を広げて規則を少なくしていくというものだ。


現代では、有能なはずの『戦士』のアーキタイプが、すっかり人気をなくして

しまったが、それは私たちが文化的なずれを体験しているせいだ。

現代社会で『戦士』を活性化させるには、

道徳的に複雑で曖昧な世の中で総合性をもつことが必要だ。

絶対的な悪や善が存在しない状況で決断を下し、

その決断に基づいた作業に献身できる『戦士』で、

最終的には「関係者全員にとっての最高の選択とは何だろう?」という問いを抱く。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



年長さんの算数レッスン と 郵便ごっこ

2014-09-15 19:24:05 | 日々思うこと 雑感

年長の女の子たちのレッスンの様子です。

キラキラした小物を並べて大きな数を学んでいます。

 

☆36のふたつ前の数は?

☆35+25=

☆30-3=

☆10円みっつ分はどのくらい?

など。


最レベ1年生の少し難しい問題にもチャレンジしました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1から 2つとばしに 19までのばんごうをつけた犬がいます。

こやの中には なんばんの 犬が かくれていますか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


最初に、飛ばす数のところで手を叩きながら、「1つとばし」「2つとばし」の数を

唱えました。


それから、問題にある「2つとばし」の数を1から紙に書いていきました。

ふたりとも、「2つとばし」の意味は理解してどんどん書けるけれど、

19までの番号をつけた犬がいるということは、どこまで書いていけばいいのかは

難しいようでした。

 

紙を切って作った犬(紙を重ねて一度に切ります)に番号をつけて、

問題にあるイラストを見ながら、犬を置いていきました。

「4番はいる?次は16番。その次は、13番……」という具合に。

7番と13番の犬がイラストにはなかったので、小屋の中にいることがわかりました。

 

問題集のイラストには小屋の中の犬のしっぽがひとつ見えるだけなのですが、

答えは、2ひき分の犬を当てなくてはならないのです。

こうした子どもが勘違いしそうなところは、

「しっぽはひとつしか見えないのに、実は2ひきも犬小屋にいた!」という事実を

存分に面白がって、「絵を見たらだまされそう、だまされそう、でも、

答えのところに、(  )ばんと(  )ばん……って書いてあるから、

わかったよね」など、話をしています。

そんなふうに算数の問題を楽しむことで、問われていることに興味を抱き、

注意深く問題を解くようになっていきます。

 

算数タイムが終わった後で、AちゃんもBちゃんも教材だった犬に目鼻をつけたり

犬小屋を作ったりしはじめました。

 

3歳くらいから親しんでいたブロック遊びの影響か、

何でも立体で表現するのが大好きなAちゃん。

犬2ひきをつなげて、隙間に紙を入れて立つようにしていました。

 

犬小屋も立つようにしたいから……と試行錯誤して、木片を貼って落ち着きました。

 

おしゃれで渋い柄の折り紙を選んだBちゃん。

時計を作って貼りました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

Bちゃんが沖縄旅行で購入したという魚のスタンプを持ってきていました。

そこで、画用紙を折って、ミニブックを作ることになりました。

 

市販のはんこ遊びをするうちに、オリジナルの型が作りたくなりました。

 

<ステンシル風のはんこ遊び>

折り紙を型抜きで抜き、

アイスの棒などにティッシュを巻いて、上から布でくるんでゴムでとめて、

色をつける道具を作りました。

 

小さい文字を覚えている最中のAちゃん。

 

<折り紙で作る封筒>

折り紙で封筒を作りました。

上の2枚の写真のように折って、余分にはみ出ている

部分を中に折りかえします。

 

上の写真のふたりが手にしているのができあがりです。糊づけをしています。

 

<便せん作り>

封筒のサイズに合わせて、折り紙を折って切ります。

正方形と長方形の違いがわかるようになります。

 

<切っ手作り>

なみなみばさみで切っ手の外枠を作ります。シールを貼ったらできあがり。

 

小学生の子らと郵便遊びを楽しむ時は、切っ手の上から押す

日付入りスタンプを作って楽しんでみてください。

作り方は、お菓子の袋などに水性マジックで逆さまになるように

日付を書いて、切っ手に押し付けて、上からこすります。


時間内に正解しなかったことを褒める時

2014-09-14 06:35:52 | 通常レッスン

1年生の女の子たちのグループレッスンで。

どの子もこの半年ほどで考える力がとても伸びてきました。

『最レベ問題集』を解いている時、こんなことがありました。

 

Aちゃんは言語能力や理解力が高くややこしい文章題も、自力で解いていく子です。

が、この日解いたのは、水を大きさの異なる容器に移し替えた時に、

水の中に立てた棒が濡れる高さがどう変化するか選ぶものや

棒に針金を巻き付けた絵がいくつかある中から2番目に短いものを選ぶ際、

違いが微妙なもの。

どちらも言葉を介さず考える問題だったため、何を基準に判断したらいいものか

困ったようです。

「これかこれ」というところまで答えを絞った段階で、

どうも腑に落ちない様子で首をかしげたり、

「ああでもない、こうでもない」と迷ったりしていました。

 

よく似たいくつかの答えから正しいと思うものを選んで丸をつける時、

たいした根拠もなく、「これかな」と丸をつけてみて、大人の表情を見て、

「ちがってそう、やっぱりこっちかな」と変える子や

「ほかの子は何を選んだのかな」と隣の子のプリントを覗き見て

丸をつける子は多いです。

点数や評価にこだわる子や、「時間内に正解しなくてはならない」

「間違えてはいけない」という気持ちで問題を解く子は、特にそうなりがちです。

 

Aちゃんは大人のいうことをよくきく真面目な優等生タイプの子なので、

少し前までは、何かするごとに、良い成果を出さなくてはならないと思うあまり、

わからない問題にぶつかると、考えて納得するより、先に書いたような困った態度に

陥ることがたびたびありました。

でも、この半年ほど、自分の頭で考えることに自信がついてくるにつれ、

時間内に正解しようと焦らず、「何がどうわからないのか、どのような理由で迷って

いるのか、何に納得していないのか」を言葉にして考えを練るようになりました。

 

Aちゃん、よく悩んだので、

「棒に針金を巻き付けた絵がいくつかある問題」の場合、何となく直観的に

長短を比べるのではなく、巻きつけるスタート地点になっている部分と

巻き付け終わりの地点のそれぞれを慎重に見比べて判断することを理解しました。

こんなふうに、判断の根拠を理解した上で正解すると、今後、どんな応用問題が出ても

大丈夫でしょう。

もし適当に選んだものが正解してしまうと、今日の成績は良くても、

応用問題の引っかけにかかってしまうかもしれません。

 

「水を大きさの異なる容器に移し替えた時に、

水の中に立てた棒が濡れる高さがどう変化するか」の問題は、

Aちゃんだけでなくほかの子らも混乱していました。

そこで、実際にサイズの異なる容器で問題をシュミレーションしてみたり、

みなで「こうじゃないか」「ああじゃないか」と話しあううちに、

「わかった!」とひらめいた子らが一生懸命、ほかの子らに説明しようとしていました。

 

でもAちゃんは、どうしても腑に落ちない部分があったようで、

「こうだし、ああだし……」と言いながら、考え込んでいました。

その言葉から、Aちゃんは、家に帰ってもじっくりこの問題を考え、

近いうちに、心から納得する瞬間を迎えるに違いない、と思えました。

 

そこで、時間内に正解した子らを褒めたのはもちろんなのですが、

Aちゃんが、時間内に正解せず、腑に落ちない部分を何としても突きとめて分析して

答えようとがんばっていた姿勢を褒めて、

「家に帰ってから、お風呂で実際に試して、答えを出してね」と、

その問題は答えを書きこまない状態で持って帰るように勧めました。

Aちゃんの表情には自信と意欲がみなぎっていました。

 

キラキラしたものが大好きで、鉱物図鑑を持ってきていた子がいたので、

化石や鉱物を発掘する絵本を作ることになりました。

 

 

化石は、古生物や恐竜の骨のフィギアや本物の貝殻を

紙の下に敷いて、クーピーペンシルでこすって型を取っています。

 


子育ての迷いや悩みから抜け出すため の あれこれ 22

2014-09-12 10:49:04 | 日々思うこと 雑感

わたしたちが問題に直面して何か悩んでいるとき、

アーキタイプという概念を取り入れて眺めると、

それまでのライフステージ(幼年期、青年期、成人期など)の

どの時点で未解決のままだった課題が、今に影響を与えているか気づくかもしれません。

 

ここから、『英雄の旅』の文章の一部を要約したものを

青文字と赤文字、わたしのコメントは黒文字で書かせていただきますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしたちは、幼年期、青年期といったライフステージごとに、

成長に必要な特定の課題の習得を迫られ、

それぞれの課題と関連があるアーキタイプの力を借りて

知恵や技能を身につけていきます。

 

たとえば、幼年期の重要課題は「安全」で、依存から相互依存へと

成長を遂げることが課題となります。

この途上で力を貸してくれるのは幼子と孤児のアーキタイプです。


幼子の力が強いと、楽観主義に傾いて他人を盲目的に信頼し、

まわりに潜む危険に気づかないおそれがあるし、

孤児の力が強いと、危険や脅威に敏感になって悲観主義に陥りやすく、

信じても大丈夫だという状況でも不信感がぬぐえずにいます。

幼子と孤児、それぞれの二元性の融合が果たされると、

状況を正しく評価して、信頼すべき時と信頼してはいけない時を

見極められるようになります

自分や周囲の人々が痛みや苦しみを抱えていることを察知して、それでいてなお、

希望と信念の力で互いに与え合おうとする意欲を呼び起こせるのなら、

幼子と孤児は統合されています。

幼子と孤児の統合から生まれる美徳は、洞察力です。

幼子と孤児のそれぞれの二元性の融合が果たされるのは、善と悪を区別できるように

なるのはもちろん、二元性そのものが崩れ始めて、人間は善と悪とを併せもった存在で

あるという認識を全面的に受け入れた時です。そこで初めて、「人間は思っていたよりも

複雑な存在なのだ」と実感します。

幼児と孤児が統合すれば、人生の難題や苦しみから目を背けることも、それによって

失望を味わうこともなくなり、外界に困難な現実があることを認めて向き合っても、

心の中には安心感が根を下ろしています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 幼年期に関連するアーキタイプである『幼児』と『孤児』は、

統合を果たして信頼と警戒のバランスが取れるようになるまで活動を続けるそうです。

教室で子どものことで悩みの相談を受けるとき、悩みが、

「解決すべき子どもの問題」というより、

「相談主さんが、子どもの問題を通じて、

自分の中の『幼児』と『孤児』を統合しようとしているところ、つまり

信頼していいことと警戒しなくてはならないことに

対して明晰な判断力を培っているプロセス」として映ることがあります。

 

たとえば、子育て初心者のお母さんが、

雑誌やネットやママ友から得た情報に捉われるあまり、

その人なりの親としての判断力や人間らしい反応が鈍くなっている時というのが

あるとしますよね。

すると、当然、子どもの大人をためすような問題行動が増えるでしょうし、

子どもが大きくなるにつれて、

「情報をそのまま当てはめていいものか……」と迷う場面に遭遇しやすくなるでしょう。

そこで、『幼子』のアーキタイプに偏って他人を無条件に信じようとすれば、

信じた情報が間違っていたという絶望感を味わったり、

次から次へと情報源を乗り換えていって、親そのものの内面が空洞のように

信頼できないものになったりするかもしれません。

また依存できる相手を見つけて、

いちいち「これで、いいですよね」と承認しながらする、

大人としての親が存在しない子育てに陥る可能性もあります。

 

そうなった末、『孤児』に傾いて、無力感にさいなまれたり、

被害意識に苦しめられたりすることでしょう。

誰かが手を差し伸べてくれるのを待っているけれど、助けてもらうとなると、

「もっと力になってほしい」と不足感ばかり募らせることになるかもしれません。

 

いろいろなお母さんたちに会ってみて感じるのは、だいたいどの方も8割くらいは

自分の子に合った育て方をしている、ということです。

親子で似たところがある上、

子どものことを一番身近で見守り、愛情を注いでいるのが母親ですから。

アドバイスを受けるとしても、1割ほど新しい考え方を取り入れたり、

頭の片隅に置いておいて、過干渉や過保護の行き過ぎを防ぐ程度が

ちょうどいいはずです。

自信が揺らいだときは「うまくいっていない」「ちゃんとできない」という思い込みや

「理想通りの子どもを作り上げられる方法があるはずだ」という幻想を脇に置いて、

自分への信頼感を取り戻すのが先決かもしれません。

外から入ってくる情報に自分を明け渡すのではなく、それを栄養にして自分のやり方に

磨きをかけたり、偏ったりゆがんだりしていないかチェックしたりするくらいで十分。

思い通りにいかないときにも、おたおたしないで、

適度に他者の意見や助けも取り入れながら、

自分で判断して、考えて、工夫して、微調整していくと、

子どもとの関係から、考えてみなかったようなすばらしいものを発見するかも

しれないし、自分の能力に自信が持てるようになるかもしれません。

 


自閉症のトムくん  しゃべりたい気持ち と 初めてゼロから工作をするまで 6

2014-09-11 18:20:58 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

かなり間が空いてしまって申し訳ないのですが、

自閉症のトムくん  しゃべりたい気持ち と 初めてゼロから工作をするまで 5

の続きです。

 

以前、自閉症の子とする工作について、こんな文章を書いたことがあります。(もう読んだという方は

青い文字の部分を飛ばして読んでくださいね)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしは、子どものために工作見本を提示するとき、

その子がその時期に環境にある「アフォーダンス」の何を探求しているかを観察しておいて、

その行為をさらに追及して洗練していけるように

しています。そうすると、たいていどの子も物作りに夢中になります。

アフォーダンスについて説明は、過去記事った書いていたものがあるので、コピペしておきますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アフォーダンスとは、知覚心理学者のギブソンによる造語で、
環境が動物に対して与える「意味」のことです。

世界にどのような意味があるのか、
人間の脳がそれを作り出しているかのような印象がありますよね。
でも、ギブソンによると、
環境の側に 客観的な構造として「意味」が存在していて、
生き物がその一部をピックアップしているのだそうです。

アフォーダンスの理論はまだ仮説ではありますが、
幼い子たちと接している私には、とてもリアルに実感できるもののひとつです。

たとえば、ひもがあると、それ自体に、物を束ねたり、物と物を密着させたり、結んだり、縛ったり、音を伝えたりする行為の可能性が備わっていますよね。その構造に意味や価値が潜在しているとも言えます。
動物が生活の場を探索することによって獲得することができる
そうした意味や価値が、アフォーダンスと呼ばれているのです。

この概念に出会ったとき、
私はこれまで勘で、

「漠然としていて目には見えないけれど、
子どもの能力の伸びに大きな差を与える何か」

として敏感に捉えて
自分の内面にだけ体系化してきたものの
正体がわかったように気がしました。

私は自閉症の子への教育法を学んできたわけではないのですが、
言葉がほとんど話せない自閉症の子といっしょに過すときがあります。

そんな時、その子の行動から、「教えるときに役立ちそうな情報」として注意深くチェックしているのことがあります。

「教えるときに役立ちそうな情報」というのは、
アフォーダンス……
つまり「その子が環境にある客観的な構造にある意味の
何をピックアップし、どのように使っているか」ということです。

といっても、アフォーダンスという概念を知って、
そうするようになったのではありません。

仕事柄、0歳~2歳の子と関わることが多いので、
言葉がなくても、作業手順や物事の意味を子どもに理解させるために、
私の内部で進化してきた方法が、
アフォーダンスという概念と関わりが深そうだと
後から気づいたわけなのです。

言葉を介さない漠とした世界でも、
アフォーダンスに注目すれば、

相手がどのようなことができそうで、
どのような方法なら理解しそうで、
どのような形で教えればよいのか、
どのようにして一人で学んでいくのか、

の目処が立ちます。

また、障害はないと思われる幼児も、
親御さんの過干渉や、早期教育の影響で、
自由な探索活動が減って、
アフォーダンスの理解が進まないと、
「地頭力が弱い」という状態になりやすいことも
経験的にわかってきました。

これまで記事にしてきた性格タイプの違いによっても、
アフォーダンスのピックアップの仕方や理解の仕方に特徴的な違いがありそうだということにも気づきました。

アフォーダンスという言葉へのくわしい説明がないまま
次々カタカナ語を出してきて悪いのですが……

ターンテイキングという

非言語的なコミュニケーションの方法があります。

ターン・テイキングとは、相手から身振りや目線によるサインが示されているときは受け手となり、サインが途切れたら今度はタイミング良く相手へサインと送り返すといった、
瞬間的に自分の役割を理解してサインを出し合うことです。

このターンテイキングは、言葉を獲得する上で
非常に重要な役割を担っているようです。

それにも関わらず、現在、さまざまな理由で親の側が
ターンテイキングをほとんど行わずに、
子どもの成長を遅らせているケースを
よく見かけます。

これについては、次回にくわしく書きますね。

親御さんに問題がなくても、
自閉症の子の場合、
ターンテイキングをほとんどしないか、したとしても
ぎこちないです。
こうした能力にハンディーキャップがあるのでしょうね。

そのように自閉症の子たちは、ターンテイキングはほとんどしないけれど、
環境や物からアフォーダンスは理解している……

つまり、環境とか物に潜む客観的な構造としての「意味」は
ちゃんとピックアップして利用する力を持っているんだな
と気づくことが多々あります。

人と人として、私と自閉症の子が直接、教え教えられの
関係を作ろうとすると難しい場合でも、
自閉症の子が環境や物のアフォーダンスを理解する姿から、
それを私が利用して
自閉症の子に教えたいものを理解しやすい形に変化させることが可能です。

場合によっては、私自身が、体を使って、
意味を含んだ客観的な構造を示すことができるようになります。

たとえば、自閉症の子が、くぼみのある器の形に、
何かを注ぎ込むという行為の可能性を見出すことができるのなら、
私が手でおわんの形を作れば、
そこでひとつのコミュニケーションが成立するかもしれないのです。
また、近づくと後ろに下がる、押すと倒れるといった
物に潜在する構造をピックアップできているようなら、
人の私がそうした動きを再現することで、
コミュニケーションが成り立ってくる場合があるのです。

自閉症の子が、筒の形から、一方に口を当てて、
「フウッと息を吹き込む行為ができる」という可能性をピックアップできているとすると、
私が、「筒状のものに口を当てて、息を吹き込んで、何かを移動させる」といったお手本を見せて、それに注目するということができる可能性は高いし、

もしそれが可能なら、そうした「本人が構造からわかっていることで見本を見せる」ことを繰り返して、

「一般的な学習課題の手本を見せるときに注目する」という
学習の型を身に付けさせることも可能です。

前にも書いたように私は自閉症について専門的に学んだ経験がありません。
でも、教室には自閉症スペクトラムの診断を受けている子たちも通っています。

虹色教室での活動は、

『アスペルガー症候群・高機能自閉症の人のハローワーク』という著書で


テンプル・グラディンさんらが、自閉症スペクトラムの人がその能力を

十分に生かしながら適職を見つけるためのガイドラインとして

力説している次の3つへの支援をしやすいものです。

★ 才能を伸ばす

★ 自分の強みをみつける

★ 一番得意なことを仕事に生かす



といっても、自閉症スペクトラムの子は、他人から学ぶことが苦手ですし、
好きなことや強みにつながりそうなこだわりも、
自由にさせていると、感覚遊びに終始してしまいがちです。



そこでさまざまな自閉症関連の本に目を通して、
「後々の問題行動につながりそうなことには慎重に接する」
「理解しやすい提示の仕方をする」といった
関わり方の指針にしています。

ただ、そうした本から得る知識だけでは、障害特性も違う、個性も違う、発達段階も環境もこれまでの経験も違う子に
対応するのはとても難しいです。

そこで私にとって、とても役に立ったのが、

「一般的な赤ちゃんが非言語の世界で身近な大人と交流しながら
言葉や知識を学んでいくプロセス」や

「赤ちゃんが身近な環境のアフォーダンスを利用する姿」

といった子育てや仕事で得た体験にもとづく知識です。

そうした私の中でとても微細な点まで体系化している
言葉のない世界の「人と人」、「人と物」の間で交わされるやりとりは、
自閉症スペクトラムの子の「できる」と「できない」の境界線を見極めて、
越えられそうな課題を用意するのに役立ちました。


たとえば、一般的な赤ちゃんは、おっぱいを飲んでいる最中に、ちょっと休憩して、
お母さんがちょっとゆすったり、愛情を込めてつっつくと、急に思いだしたようにまた飲みはじめます。

休憩ついでに、お母さんの表情をうかがったり、くるんと首をまわして、周囲の様子をうかがったりしますが、
お母さんの自然なサインで、「あっ、そうだった、そうだった。おっぱいを飲んでいるんだった」と察したかのように
再び吸いはじめます。

また、まだねんねの時期の子も、ちょっと頬や手の先などをつっつくと、
たちまち「かわりばんこごっこをしようよ」とでも言いたげな様子で、

「あーあー」などの声を出して交互に反応しあうゲームに誘ってきます。
「あーあー」と応えると、手足をばたつかせて、「あーあー」と返し、
こちらも「いないないばぁ」をしたりして積極的にあやしはじめると、
体をねじらせて笑うなどします。

こうしたやりとりがターンテイキングと呼ばれることは、
最近になってしったのですが、
この名前を知らない時期も、自閉症スペクトラムの子たちは、
この交互にやりとりする形が苦手なために、

能力があってもできないことが多いんだな、と気になっていました。

何か教えるにしても、理解力が弱くてつまづくのではなく、
この「人と交互に交わすやりとり」がネックになって、
学習がうまく進まないことがたびたびありましたから。

そこで、
「いったいどのあたりから苦手なんだろう」
「何ならできて、何ができないんだろう」
「教えればできそうなことは何だろう」
「どのような形ならできるようになるのだろう」とターンテイキングということを意識して
自閉症スペクトラムの子たちと接するようになりました。

「トントン」と背中などを軽く叩いて、本人のするべきことに気付かせようとすると、

感覚に過敏さや鈍感さがあるために、ビクッとして自分に攻撃をされたかのような構えになったり、
叩かれているのさえ気づかず、それまでの行動を続けていたりして、

そこで、「あっ」とこちらの伝えたい意図を察するのが難しい子が多いのです。

これって、赤ちゃんがおっぱいを飲むのを休むときに、ゆすったりつついたりすると、
「あっ、そうだった」と自分にとって今必要な行動に気づくのと同じような気づきですよね。

この相手からの小さな刺激を受け入れる時点で、
やりとりがプツンと切れてしまうのだとしたら、
自閉症スペクトラムの子たちが、いくら叱られても
「教え教えられる」という関係をうまく築くことができずに困っているのも納得しました。

でも、いっしょに過ごしていると、自閉症スペクトラムの子たちも、
「心地よいと感じて、自分からもフィードバックを返して、
それに応えると、また返ってくる」というやりとりにつながるものがいろいろとあることがわかりました。

体全体でゆっくりギューッと圧迫されて、ギューと押し返すとか、
ブランコに乗ったり、トランポリンではねたりするときには、
いっしょにいる側が、やりとりにつながるように工夫すれば、交互に楽しくやりとりがつながっていくことがあるのです。

また、段ボールの間仕切りに開けた穴を向こうとこちらで覗きこんだり、
積み木やブロックが今にもぐらぐらと倒れそうな瞬間をいっしょに感じあうときには、
あちらがこちらの意図や反応を察して返して、こちらもそれに応じて返すということが
たびたびできました。

ものすごくささいなことなんですが、
そうした小さな突破口のようなものを探し出して、
こうした非言語の世界のやりとりで息を合わせたり、同時に笑ったり、交互に何かすることが
できるようになってくると、
それまでどうしても教えることができなかったようなことが
スムーズにどんどん教えていけるようになることがあります。

会話がでなかった広汎性発達障がいの子が、おしゃべりを覚えだしたり、
全く遊びが成り立たなかった子が、上手におしゃべりを交わしながら遊べるようになるなど、
それだけが理由で良くなっているのかわかりませんが
急に成長した実感を得たことが何度かあります。


写真は、紙飛行機をくぐらせる輪っかに的を取りつけている★くんです。

★くんは、何かを教えようにも
忙しく動き回るか、一方的にわめき続けるかで、
交互にやりとりすることが
とても難しかった子です。

交互のやりとりの型については、
最初は見えないほどの小さな進歩しかありませんでした。
本人がやりたがる糊や砂といった素材をぐちゃぐちゃ混ぜるとき、
「もっと糊を入れて!」「もっと砂!」といった要求にこちらが応えて、また要求するのを、
次第に、交互に目を見てやりとりする形に変えていき、
だんだん目的や意味のある工作へとつなげていったのです。

工作に2年あまり親しむうちに、
ようやくこちらのお手本を見て、自分でしてみて「これでいい?」とたずねて、また続きを作ると、
それに応じて見本を見ながら作ったり、
地面の下の模型を作るときに、こちらに相談しながら、計画を立てたり、
思うものがなくても癇癪を起さずに納得して、あるもので制作するようになってきました。

自閉症スペクトラムの子の就学準備というと、
字を教えたり、計算を教えたりすることを重視している親御さんもいますが、
工作やブロック制作、日常のごっこ遊び(自閉症スペクトラムの子たちも慣れるとごっこ遊びを好みます)
などの場で、
他人と交互にやりとりする形を覚えたり、相手の話を聞いて、それにフィードバックを返したり、
共同作業ができるようにして
学ぶために必要な型のようなものを身につける支援をすることは
とても大事だと感じています。

一朝一夕には上達しないのですが、
「好き」な活動を繰り返しできるようにして、
その活動のなかで、身近な大人が、知的な向上を目指すだけでなく
そこで交わされる非言語のやりとりを少しずつ向上させるように調整していくと、
子どもの困り感がかなり減ることを実感しています。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

写真: 出張虹色教室。  はじめて、ゼロから、自分で工作。  飛行機だそうです。  感激。

これまでトムくんは、ゼロから自分で何かを作ったことはありませんでした。

長い間、遊びは感覚的なものが主で、おもちゃで見立て遊びをすることは皆無に等しかったので、

「こういうものが作りたい」とイメージし、バラバラの材料を組み合わせて、何かに見立てたものを作り命名する

のは、不可能なほど難しいことのように見えました。

 

それで、できそうな手本を見せて、トムくんが作業に興味を持ち出したら、

2、3手順の作業工程を、写真等を使って目で見てわかる形にしようと思っていました。

その日はこちらも、手本通りにする工作か感触を楽しむ工作以外、頭になかったのです。

 

そんな矢先に、トムくんが長い風船を膨らませ、交差させて、テープでとめて、

「飛行機」と名づけたのにびっくりしてしまいました。

トムくんのお母さんも、「初めて、トムがゼロから工作をした」と

目を丸くしていました。

 

トムくんが飛行機を作ったのは、こんな流れがありました。

わたしは長い風船と風船を膨らませる道具を用意していました。

トムくんは手にグッと力をこめてする作業時、集中しやすいので、

これは大ヒットでした。

風船が長い分、トムくんの達成感につながったようで、

自分で風船をセットして何本も膨らましていました。

 

トムくんは風船を手に、ベランダ出て、風にそよがせて遊んでいました。

トムくんのお母さんの話では、以前、そのベランダから風船が飛んでいってしまった

ことがあるそうです。その出来事を思い出すのか、風船を膨らます度に、ベランダに出て、

風になびく風船を眺めていました。

 

その日、トムくんが何度も図鑑の飛行機のページを開けて

凝視する姿を目にしていました。

わたしは、「トムくん、工作で飛行機作る?」と声をかけたのですが、

トムくんの関心が次に移ってしまったので、わたしもそのことはすっかり忘れて、

長い風船にポンキーペンシルで窓を描いて、「新幹線よ」とトムくんに見せました。

トムくんはチラッとそれを見ただけで関心がない様子でした。

その後、しばらく、風船を膨らましたり、ベランダで風船を風にそよがせたり、寝転がって図鑑を眺めたり、

ゴロゴロしたり、ソワソワ歩きまわったりしていたトムくんは、

風船を十字に交差させてテープでとめたがりました。

それから、できがあがったものを飛ばす真似をして、「飛行機」と言いました。


絵本作りブーム

2014-09-09 21:03:04 | 通常レッスン

教室では、今、絵本作りがブーム。

『ピッケのつくるえほん』というアイパッドのアプリケーションで

作ったり、コピー用紙を束ねて簡易絵本を作ったりしています。

時間がない時は、子どもたちがおしゃべりした内容をわたしが書きとる形で

作っています。

 

小4のAちゃんのイラスト。上手ですね。

 

 

学校の席替えで、意地悪な男の子が後ろの席になったというBちゃん。

『せきがえしたときあったじけん』という絵本を作りました。

作った後で、まだ書き足りないから……と、「イジワルシリーズ」という

シリーズものにしていました。

 

絵本は、『虹色文庫』として、みんなで閲覧する予定です。