虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

2、3歳の子となぞなぞをして遊ぶ方法

2011-08-26 20:20:46 | 国語

性格タイプとラーニングスタイルの続きは次の記事で書きますね。

3歳3ヶ月と3歳8ヶ月の子のレッスンの様子です。
3歳代の子は、「なぞなぞ」の本の問題をするのはまだ難しいですが、
ちょっとした工夫で楽しくなぞなぞ遊びができるようになります。

絵カードを使います。

動作も交えてわかりやすく問いながら
同時に、さまざまな難しい言葉や概念も使って問題を出します。

「公園にある遊具です。シューっとすべって遊びます。
最初に す がつくものなあに?」

「き のつく野菜のなかまです。緑色で長くてポツポツがあります。
なんでしょう?」

と問い方は自由ですが、子どもが楽しいと思う難易度で遊びます。

子どもにも「なぞなぞ作って」というと、なんとか説明しようとします。
まだ難しいでしょうが、子どもの表現を少しずつフォーローしてあげていると、
言葉の力がアップします。


算数を忘れてしまっている親のもとで、算数が得意な子って育つんでしょうか~?

2011-08-26 19:37:50 | 算数

次のようなコメントをいただきました。

算数って、どんなことを習ったか、ほとんど覚えてないんですよ~・・・。こんな親のモトでも、算数が得意な子って育つんでしょうか~?

算数が得意ということは、

英語と社会科が得意な子になるように
子どもに働きかける方向と、

真逆の方向に子どもに働きかけることが大事になってくるように思います。


真逆って……???

英語も社会科も大人が子どもにどんどん知識を与えていく、教えていくという形で

習得できる科目ですよね。

でも算数は……理科や国語もですが、

親が「教える」ことをがんばるほど、「教わる」「覚える」に依存して、
子どもがシンプルに「考える」ことから遠ざかっていくことも起こりがちなのです。

もちろん、算数を学ぶには基礎の習得が大切です。それには「教える」部分ももちろんあります。

でも算数が本当に得意になっていくには、

そうした机の上での訓練だけでなく

シンプルに日常の中で「考えるワザ」を身につけていく必要があると感じているのです。

以前、
★お正月番組で、いくつもの点と点がつながりました~♪ 2
の記事の中で、外山滋比古氏の『思考の整理学』について取り上げさせていただいたことがあります。

この外山氏が「思考」と「知識」は別次元とおっしゃっていて、
「知識」を頭に詰め込むことで、
「考える」ことを肩代わり
している人は、本当に考えることにならないとおっしゃっているのです。

知識のある人は、問題が起こると、「それはこういうことだ、あの本に
書いてあった」と知識で処理してしまいがちです。
それが高度に知的なように思われがちですが、知識の先に「ものを考える」

という次元があってはじめて、「考える」ことになるのです。

それと話がそれますが、もうひとつ……

外山氏は

「見つめるナベは煮えない」という西洋のことわざから、

早く煮えないかとしょっちゅう、ふたを取っていては煮えない

あまり注意をしすぎては、かえって結果はよくない

アイデアが頭で生まれたときに、寝かせる重要性

を論じておられるのですが、


算数や理科や国語が得意な子を育てることに通じるものがあると思うのです。

わからないときは、すばやく結論付けず、いったんそのままにしておいて、
次の機会にふくらませて考える

ことが大事だということです。

最近の教育は、早くわからせたい、次に進みたい

とあせるあまり、

子どもを自分で歩かせず、乗り物に乗せて遠くまで連れて行っては、

「遠くまで行けた事実」だけに
親や先生が自己満足してしまっているように見えることがあります。

親しくさせていただいている抹茶母さんのブログで★光についてのあれこれ
という記事の中で『土着モデル』という言葉で
表現されている子どもの思考の活動が
算数や理科や本格的な国語の学習が得意になるための
大事な鍵をにぎっている
ように思うのです。

『土着モデル』とは、
経験(具象)から編み出したある種の”論理”のことをおっしゃっていて、
子どもの活動を「覚える」のではなく「考える」ものにさせる
基盤となるものだと思います。

これは、人間の子どもが、いかに、コンピューターより優れているのか、

子どもの脳は単にインプットされた情報が繋がりあっていくのではなく、
また外からの刺激や操作によって方向付けられていくものでもなく、

「考える」スタイル……
自分で決め、推理し、創造し、熟考していくための
基本のシステムそのものを、自分の体験から生み出してしまうもの

幼児期に自分の体験を通して、自分の思考スタイルを創造していく
存在

なのだということがわかりますよね。

ただ、だから算数を得意にするには、知識をたくさん与えてはダメという
単純な話ではないところが難しいのです。

私も子育て中、とても注意していたのですが、
「見つめるナベは煮えない」ことを親が知っていることって本当に大切だと思います。

つまり、ある面、子どもを放りっぱなしにできるか、
ある面、子どもに構わない、見過ぎない、そっとする、あえて自分の目を節穴
にする、子どもを常に自分の視界のもとで動かさない
ということではないかな?
と思います。

そうした子どもが独自に自分のペースで、「自分」を作り上げていく余白
を与えることができる

のなら、親の働きかけがどんなものであっても
子どものなかで、
創造的な力で、どれも良いものに変化させていくことができるのかもしれません。


性格タイプ、ラーニングスタイルに配慮した勉強 1   (ふたりの1年生)

2011-08-26 03:24:15 | 子どもの個性と学習タイプ

先日のユースホステルのレッスンには小学1年生の女の子がふたり参加していました。

どちらも自立心の強い人と関わるのが上手な子で、「表現・実行型」の学習スタイルだと

1~2学年上のレベルの問題も楽しそうに解く姿がありました。

『ぴぐまりおん』の2~3年生の問題をもとに

折り紙などを使って簡単な手作り教具を作りながら学ぶときに、

この子たちの能力が自然な形で発揮できていました。

問題を絵にしてみる、教具を手作りしてみる、自分たちでゲームの進行を仕切りながら頭を使っていく、

生活のさまざまな場面で準備をしたり問題を解決したりするとき

ふたりともいきいきとしていました。

今後の学習でも、図形の問題はもちろん分数や割合や割算の筆算を学ぶようなときにも、

学校の宿題やワークの穴埋めをしていくような学習だけでなく、

自分で表現したり、それを使って友だちとゲームをしたりして、能動的に関わるスタイルも取り入れると伸びるように感じました。

 

この1年生の女の子ふたりは

ユースホステルで初めて顔を合わせたのですが

たちまち意気投合して、ずっといっしょに行動していました。

といっても、性格タイプは正反対で、ひとりの子(☆ちゃん)は感覚が優れている内向的な子で、

もうひとりの子(★ちゃん)は直観が優れている外向的な子のようでした。

 

☆ちゃんは夏休みに映画村やらキッズプラザなどのさまざまな施設に遊びに行ったようでしたが

「どこが一番おもしろかったの?」とたずねると、

「下水道館」というマニアックな答えが返ってきました。また一番ゆっくり眺めていて感動した場所が

「国立民族学博物館」と、1年生の女の子とすると、「えっ?ほんと?」という問い返したくなるような答えなのです。

☆ちゃんは好みが変わっているわけでも、大人の注意を引こうとしてこんなことを言っているわけでもありません。

☆ちゃんは感覚が優れている子特有の非常に微細な感触や素材感や色のパターンや色合いや形や音の違いを 

五感で感じ取っていくことが大好きな子でした。

性格分析の本で、「感覚が優れている方はお金の無駄使いなどをまずしない」と読んだことがありますが、

感覚が優れている☆ちゃんもいろんな場面で、そうした自分に必要な量に対する敏感さを発揮していました。

食事の際にも、「最初にどれくらい食べることができそうか考えて、自分の皿の中をピッタリその日食べれる分量にしてから

残さず食べきる」ということをしていました。

☆ちゃんは勉強の場面でも、物と物の差異を比べながら解く問題や

表や線分図から差異の部分に着目して解いていく問題が得意で、先の学年の難しい問題も

ワクワクしている様子で解いていました。

☆ちゃんが特に集中して夢中になって解いていたのは、

「4人で せいくらべを しました。だいすけくんはごろうくんより たかく、

さとるくんより ひくいです。さとるくんより たかいのは ひろしくんだけです。

せいの たかい じゅんに 名まえを かきなさい。」

という問題と、

「こうえんにいる 女の子のうち、犬を かっている人が 7人、ねこをかっている 人が 8人 いました。

どちらも かっている 人は 5人 いるそうです。

どちらも かっていない人はいません。ではこうえんにいる女の子はみんなで なん人ですか。」

という問題でした。

分類整理しながら差異に注目して解く時や、差異を比べつつデーターを読み取る時には

高い能力を見せていた☆ちゃんですが、

「どのように解いたらいいのかわからない問題に対して全体像を把握して

だいたいのあたりをつけて解いていく」という直観が優れていると思われる★ちゃんが喜んで解いていた問題では

最初の取りかかりで苦戦した上、細部に注目するあまり全体のバランスが悪い解き方になっていました。

次回に続きます。


ラーニングスタイルとエニアグラムについて 2

2011-08-25 14:53:06 | 教育論 読者の方からのQ&A

の続きです。

「ラーニングスタイルについてそのように考えますか?」という質問をいただいています。

ラーニングスタイルとは、子どもの気質や才能や興味や様式や環境から

それぞれの子の意欲と能力をもっとも高める最適な学習方法を探り出す方法です。

虹色教室では、既存のラーニングスタイルを参考にしているわけではないけれど、

教室が小さいことと私の性質に合っているので、

それぞれの子のラーニングスタイルに基づくレッスンをしているともいえます。

コメント欄での質問で取り上げられていた

『あなたの子どもにぴったりの「学習法」をみつける本』
(マリアエマ・ウィリス  ビクトリア・キンドル・ホドソン著 PHP出版)については、

ずいぶん前に読んだことがありますが、手元にないので、ほんの少しコメントするだけにさせてくださいね。

この本では、人の気質を、表現・実行型、組織的遂行型、発明型、関係・影響型の5つに

分けてそれぞれの気質に合った学習法をする大切さを説いています。

本書によると、学校で行われている学習方法は、組織遂行型タイプに適した方法で、35人の普通クラスで

このタイプの子はわずか3人だったそうです。

「子どもの個性はさまざまで、ひとりひとりに応じた学習方法があるはず。

学校の学習法に基づいて勉強ができないという前に学び方を変えてみると、すばらしい可能性がみえてくるかもしれない。

 子供によっては、本を読むより朗読してもらったほうが理解力がより高まる子もいるし、 理論的にきちんと説明してもらわないと理解するのに時間がかかる子や、 感性に呼びかけるように教えたほうが才能が伸びる子供がいる。」とする著者の考えに

とても共感しています。

この本で紹介されている5つのラーニングスタイルと気質とは次のようなものです。

 1. 表現・実行型・・・自発的に動き、自分の体を使うことを好む。
 2. 組織的遂行型・・・系統だてて組み立てることを好む。
 3. 発  明  型・・・発見や発明に没頭する。
 4. 関係・影響型・・・回りの人と交流を図ることが好き。
 5. 思索・創造型・・・新しい考えを創造して提供することが好き。

 こうした子供のラーニングスタイルを親や教師が把握し、尊重する学習環境を作るのって理想ですよね。

教室で工作を通じて学ぶときは、3の発明型と思索・創造型の学習スタイルで学んでいて、

ゲームや会話やごっこ遊びや劇遊びなどをを通して学ぶときは、1の表現・実行型や4の関係・影響型の学習スタイルで学んでいます。

面白いのは、2の組織的遂行型の学校での学び方が苦手な子ほど、

その他の方法で学ぶのはとても上手な場合がけっこうあることです。

 


人が環境資源  子どもがのびのびと成長する環境とは?

2011-08-25 07:00:16 | 日々思うこと 雑感

今回のユースホステルのレッスンに集まったお母さん方の悩みには、

子どもの年齢が幼稚園~小学生だったからか、

「子どもが育つ環境作りの難しさ」「遊び場の少なさ」
「子どもたちが自由に群れて遊べるような環境をどうやって作ればいいのか」
といったものがありました。

「習い事にでも通わせないと、(園が学校以外で)友だちと会わせてあげることもできない」という

現代の貧しい遊び環境の中で

子どもを育てていく大変さが伝わってきました。

一方で、子どもたちがのびのびと成長する環境について思いをめぐらしている親御さんたち

やそうした親御さんに育てられている子ら

というのは、「人がそのまんま環境資源」という一面がありました。

 

親御さんたちがわが子、他所の子わけへだてなく接するので、子どもたちは

困ったことがあったり、学びたいことがあるときには他の子の親に自然に頼っていました。

 

また子ども同士もすぐに仲良くなって創造的に遊びを展開していくので、

どんな狭い場所もたちまち豊かな遊び空間になっていたからです。

どこでも子どもたちの笑い声が響いていました。

また子どもを比べたり評価したりしない大人たちの考え方のおかげか、

初めてするゲームも1から学んで参加しようとする姿勢、

工作中に何度も失敗してもけっしてあきらめないたくましさが

子どもたちにありました。

↑ 友だちのお母さんにモーターの接続方法を習いにいく子どもたち。

↑自分でがんばる!

↑ ピッグテンで遊ぶ子ら。お友だちにルールを教わりながらゲームをしています。

↑ 簡単にあきらめずに、何をするにも全力投球。

うちの子が幼児や小学生だったころも、遊び場も自由な時間をもっている子も十分とはいえなかったけど、

「人が環境資源」という面があちらこちらで見られて、

子どもたちの成長を支えてくれていたように思います。

児童館に行けば、館長もスタッフも、どんな子が来ても受け入れて

遊びの輪に入れてくれていました。(現在は場所やおもちゃの貸出業務が児童館職員の仕事になっているように見えます)

気持ちに余裕のある大人が、あちこちにいて、それは学校の先生だったり、

子どもの親だったり、地域のおっちゃんだったりするのですが、

そうした人のちょっとおせっかいなくらいのゆるゆるしたサポートが、10年くらい前までにはまだあって、

良い感じに子どもが生きるスペースを作っていたんですよ。

 

今も子どものことを一生懸命考える大人は多いのだけど、

どうもその一生懸命さがかえって窮屈で、息が詰まりそうな環境を作りだしていることも多々あるようにも見えます。

どう変わったのか伝えにくいなと考えていたら、

『人とのかかわりで「気になる」子』(現代と保育編集部・編 ひとなる書房)で次のような文章を見つけて、

「なるほど~!これが今の問題でもあるある!」と思いました。 ↓

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お昼寝の時は何も持ってこないで寝る、というおやくそくがあります。

でも、ふとんが山のように盛り上がるほど本やおもちゃなどを持っている子が

一人や二人必ずいます。そういう時に、「いっぱい持ってきて寝ていい」という保母はいないけれど、

「それ約束だから戻してきなさい」と言う保母もいるし、「ひとつにすれば」と言う保母もいます。

そういうことっていっぱいあります。

だけど、こういうことを論議すると、得てして、ものを持ってきて寝るということはどうか、いいか悪いか、と

判断して、「持ってきてはダメ」をあらためて確認するというふうになりやすい。

結果としては、子どもの育ちが貧弱になってしまうのではと心配します。

ですから、そんなときもやっぱり、いいか悪いかの議論の前に、そうせざる得ない子どもたちの事情や言い分に、

もっと耳をかたむけてみてはどうでしょう。きっとおもしろい発見があると思います。

このように、子どもたちが安心して自分の姿を出せるようなおとなとの信頼関係を、何気ない基本的な生活のなかで

保障することが、何より必要なのではないかと思うのです。

                  『人とのかかわりで「気になる」子』(現代と保育編集部・編 ひとなる書房)p84

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 上の話を読んで、

子どもたちが安心して自分の姿を出せるようなおとなとの信頼関係があるかないかが、

子どもの環境の豊かさのひとつのバロメーターでもあるんだなと思いました。

 

雑誌でもネットでも、「本当に子どもが暮らしているの?」と驚くほどきれいに整った

子育て中の方の室内が紹介され、

「食育」とか「しつけ」とか「早期教育」とか、プロから伝授される情報があふれています。

次々押し寄せてくる情報に翻弄されるなかで、

子どもの成長過程を、「こんな時はどうすべきか?」「これはいいのか?悪いのか?」と意識にのぼらせて、

言語で考えてしまうがゆえに、子どもの育ちが貧弱になってしまう……ということが起こっているようにも思います。

 

子育ては難しいですね。特に現代の子育ては……。

 ↓過去記事を貼っておきます。(子どもはけっこう強くて、そんな現代をしたたかに生きていくものですね。)

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 うちの子たちと議論していて、


子どもたちが「新しい言葉が必要だよ★記事」とか

「イメージを一新する必要があるわよ★記事」と


結論付けるのを聞くたびに、


ジェネレーションギャップ(世代間格差)とでも言ったらいいような


感性の違いに驚いている私……。

先日、それを強烈に感じる物を目にしました……『鉄下』です。

新大阪のみやげ物売り場を通り抜けようとしていた時のことです。

おみやげのお饅頭のセットの隣に
子ども用の靴下がぶらさがっていたので、
思わず、んっ?と目を留めると、「鉄下(てつした)」という大きな文字が飛び込んできました。
よく見ると、靴下は鉄道のデザインです。

「ああ~そういうことね。」とうなずきつつも、
「鉄ちゃん(鉄道を趣味とする人)とか、子鉄(鉄道好きの子ども)とかいうイメージで色づけすると、
子ども向け靴下でもこんな場所に
進出できるんだ……」とちょっと面食らってしまいました。

電車好きの子ども向けの電車の柄の靴下なら、
昔から どこの衣料売り場でも扱っていたはずです。

でも、それが「鉄下(てつした)」とネーミングされたとたん、
何ともいえずに愛らしい「子鉄」というイメージと新しさを背負っているのです。


ちょっとくらい値段が高くても、鉄ちゃんの親としては
手を伸ばしてしまうのでは‥‥‥? と勝手に推測していました。

「そうそう、この『鉄下』の売り方にある感性が、
私にはなくて、うちの子たちには赤ちゃんの頃から、
時代に刷り込まれてきた感じ方なんだわ~」と気づきました。

それで急に思い出したのが、うちの子たちが小学生の頃、

毎日、近所の子たちと繰り広げていた『ごっこ遊び』のことです。


それが、私が子どもだった頃のように、お母さんごっことか、

美容室ごっことか、先生ごっこといった身近な大人の世界を模したものでも、

テレビアニメやドラマを模したものでもなくて、


どこから思いつくのか妙にリアルな社会の姿を、

パロディーチックにアレンジしては遊んでいました。

「社員研修ごっこ」とか「入試」とか「面接」とか

 「プレイパーク」や「強盗事件のドキュメンタリー映画作り」などなど……。

おそらくそのネタの元は、CMや報道バラエティーなのでしょう。
そうした遊びをするとき、「遊ぶ内容」以上に

「言葉の持つ響きやイメージ」が遊びの面白さのカギを握っているようでした。

過去記事から……。
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『お母さん、火って何から出来ているの?』という
6歳のタロウくん、2歳のハナちゃんの日々をつづったブログを
いつも楽しく見させていただいています。
このタロウくんとハナちゃんの思いつきや工作の仕方……言動もですが、
うちの子たちの小さいころにすごく似ていて、


読ませていただいているうちに思わずうちの子たちが小さいころにタイムスリップしています。


失礼ですが、お母さんのふるまりさんのゆるい対応(ごめんなさい~)も、

私の子育ての手抜きワザとそっくりで……
世の中、似たような方法で子どもと付き合ってく方もいるもんだな~とちょっとびっくりしたりもしています。

そんなふるまりさんの★タロウのプレゼン失敗と、本当の「問題解決能力」という記事に、

次のような思いがつづってありました。


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タロウには(ゆくゆくはハナにも)、自分のやりたいことをやるために、

どんな状況であっても諦めずに努力する力、をつけていってもらいたいと思っています。
そのためには、少々の困難(この場合はダンナのダメ出し)にもくじけず、
「では、どうすれば良いのか」
を考える力をつけていくのが大事なのかな、と。

でも、そうやって、「問題を乗り越えていく力」というのは

なかなかエネルギーがいるもので、そのためには、

その原動力となる、「~したい」という強い思いがなくてはダメです。

子供であれば、遊びがその原動力となると思いますが、その遊びを通じて

、「~するためにはどうすれば良いのか」という対応能力を、つけて行ってもらいたいなーと。
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読ませていただいて、
そうそう~うちの子たちのやる気とか自発性とか多少のことはめげずに問題を乗り越えていく力は、
小学生時代に毎日、毎日、
遊んで遊んで遊びつくしたあげく作られていったものだな~

と思い当たりました。

どちらかというと、うちの子たちは、飽きっぽかったり、人間関係で、

打たれ弱かったりする所があったのですが、
子ども同士わいわい群れてする遊びは自然に子どもをたくましくしてくれるな~と思います。

前にも書いたことがあるのですが、
娘が5、6年生、息子が2、3年生のとき、近所の子どもたちといっしょに、
息子を社長にして、そそそ会社という架空の会社を立ち上げていました。

娘と娘の友だちは、いつも息子をふざけてからかうことも多いのですが
、社長に祭り上げているあたり……
遊びを生み出す発想力に関しては息子のことを一目置いてたんでしょうね。


「この子の思いつくアイデアに乗ってたら、はずれがなく面白いはず……」と。

娘と娘の友だちは、いつも社長より一段上の会長職か何か……のような
立ち位置にいて、陰の支配者のようにも見えました。

この会社、子どもたちの思いつくままにどんどん事業を広げて、
(よく思いつくもの……と呆れるうちに……)


テレビゲーム製作部門、おもちゃ製作部門、販売部門、

映画制作部門、販売部門、プレイパークの運営……
あげくの果てには、学校経営にまで手を出していました。

それで、近所の低学年を勧誘して、面接試験をし、社員研修までおこなっていました。
この試験とか、社員研修といったアイデアや内容は、ほとんど娘の友だちが考えていました。


「将来はシナリオライター?」と思うほど、

おもしろおかしい文章やアイデアがつらつら出てくる子なんです。
二階で好き勝手に遊んでいるのですが、時々、聞いていると、
このそそそ会社の面接試験も、

経営している学校の入学試験も、世間の価値観の逆さまなのです。

「トイレに行ったあとで手を洗いますか?」といった質問には

「いいえ」と答えないと減点されて、試験に落とされたりするのです。
本気で試験に挑んでいた子が、泣きながら試験に落ちた~

と私のところに訴えてきたこともありました。

時折、バーッと外に出て行っていなくなったな~と思うと、
バタバタ駆け戻ってきて、また遊びが再開するという繰り返し……でした。


子どもって、親が選ぶ「良いこと」だけでは育たないな……。

と子どもが大きくなるにつれて感じます。

子どもの気持ちを前向きでチャレンジャーにしてくれるのは、
失敗したってどうってことない、飽きたら次を考えれば済む~という
環境のゆるさだったりします。

「新しくこんなことしてみたい、自分の全力をこれに傾けてみたい」
と閃いたとき、一瞬の迷いも、大人への遠慮も、罪悪感もなく、
自分をその中にどっぷり投入できる……

それが子供だけでする自由な遊びのよさですよね。

思い通りにいかないことが多いこと、
頭をしっかり使わないとすぐ退屈すること、
きょうだいも、友だちも、
自分から働きかけて、一生懸命、説得するなり、ぶつかりあうなりしないと、
親や大人たちのように、簡単に折れてくれないこと……

とにかくジレンマを感じる場面に何度もぶつかるし、
考えてもみなかった事態に遭遇することもよくあります。

でも、それが「どうしてもこれがやりたい!」という気持ちに駆り立ててくれるし、

退屈ついでの言い争いが、多少のことにくじけず
あきらめず どうすればいいのか考え続ける
挑戦し続ける姿勢を作ってくれるのです。

私は毎日の子どもの生活に、退屈や無駄やけんかや、
大人から見ると「無意味で非効率的」なことがたくさんあるといいな~
と感じています。
また、親の私が正しいと思う考えとは対極にあるものも
チラホラあるのがいいな~とも。

実際、子どもたちがかなり大きくなってみると、
私が価値をおいていなかったものが、

子どもたちを鍛え成長させてくれていたことがよくわかります。

ふるまりさんの記事にもうひとつリンクさせていただいて↓
★「輪ゴムをひっかけてあそぼう」オモチャ

タロウくんが地団駄を踏んで、「これがしたいんだ~」

「これじゃなきゃダメなんだ~」と訴えて、その熱意におされて、しぶしぶ
工作準備に手を貸す様子が描かれています。

これを読んで、そうそう~もし、最初から、
「お母さんはいつでもあなたの工作に手を貸しますよ、スタンバイしてますよ」
だったり、
「子どもに工作をしてほしいのは、本人よりお母さんかもしれない」って
状況だったり、
「工作教室で、きちっと材料が整っていて、今工作の時間ですよ」
だったりしたら、
それほど工作に熱が入るのか……

工作以外のことまで、貪欲にやりたいがんばりたいという気持ちが起こるのか、
疑問だな……と感じました。

こうしたところに、子どもをやる気にさせる、主体的にさせる
原動力が生まれる瞬間が潜んでいて
それは大人が「がんばって」作ろうとするとすごく難しいことだな
と感じるのです。

まず、本気で交渉すれば相手が動くという経験なり信頼感が

ベースにあって、

それでいて、まあまあ手ごわかったり、
思い通りいかなかったりして、
軽いジレンマや、

必死に、あの手この手でぶつかる時間があって……

つまり、時間に追われていないことが大事で、

その後、人と人との間で自分の思いが達成できたという満足感が残るという経験

そうした繰り返しのなかでこそ、
自分の知力や、技術力や、体力や、精神力の限界が把握できるし、
自分が何がやりたいのか、
内面から湧き上がってくるものを実感できるのですよね。

2歳くらいの子でも、
新しいおもちゃを渡しても見向きもしなかったりするのに、
お友だちが持っていると欲しくなる、
取り合うとさらに欲しくなって、
ものすごくやってみたくなる、
いつもならすぐに飽きてポイなのに、

渡したくないからおもちゃに熱中するという瞬間がありますよね。

そうやって人と人との間でジレンマを抱きながら、

自分の気持ちがワーっと湧いてくるから、
いろんなことに夢中になれるようになるのですよね。

もちろん勉強だって、

大人の期待に応える形ではなく、
また級とか賞とか、プレゼントとか関係ないところで

「自分自身の心が強く強く何かを欲した経験」がベースになって、
がんばれるようになるのだと感じます。

うちの子たちの小学生時代のことを思い返すと、
何が良かったのかって、
大人の価値観に真っ向から反抗して、

好きなように無駄をやりつくして、
ひとつも「大人のため」が入っていない世界で
自分のしたいことをした~
やりたいことのエネルギーがいくらでも湧いてきたという
経験なのでしょうね。

そこで、すっきりとゼロの自分になって、

自分の人生にどんな計画を思い描こう、
この人生に自分の知力、技術、体力、精神力の全てを投入して
何をやってやろう!

って力が湧いてきたのでしょう。
そして、今度は、一歩、現実の世界にも
足を踏み入れて、その力を勉強なり、人との関係の構築なりに
使い出すのだと思います。
わが子や近所の子たちがしていた遊びについて
もう少しくわしく書かせてくださいね。

確かに、娘が5,6年生、息子が2,3年生というころの
わが子や近所の子たちが繰り広げる遊びを思い出すと
それぞれの個性が輝くような豊かでユニークな発展が見られました。

ビデオカメラを使って撮影していた映画は、本当の撮影現場のように
おもちゃの家やミニチュアの人形たちが配置され、
子どもたちが最近体験したプレイパークでの遊びや

社会の様子がていねいに
再現され、きちんとシナリオもありましたから。

でも、この子たちの遊びが最初からこのように

大人の目にもわかるような
意味を持っていたかたいうとそうではないのです。
娘が幼稚園、息子が赤ちゃん~という時代から、うちの子たちは、
自由気ままに友だちと群れて遊んでいましたが、
遊び方は生産性から程遠く見える、1年観察し続けたところで、
少しも変わっていないように見えるものばかりでした。

でもたっぷり退屈や無駄な時間があって、
さまざまな年齢層のたてのつながりがあって、
ついでに、あまり協力的とは言えないけれど、がんばって頼み込めば
自分たちに必要なものはたいてい用意してくれる親(私です)がいる状況だと、
遊びは日々進化していくようです。

また、かなり無理な願いでも、
自分たちで責任を持ってやり遂げる約束をすれば、目をつむって
やらしてくれるアバウトな親(これも私です)がいると、
遊びに本気さや夢や知恵がどんどん投入されることになるのでしょうね。

とにかく親は「がんばり過ぎない」姿勢が、大事と感じています。

私は習い事の送り迎えもやってなければ、子どもに毎日の学習習慣をつけようと
気を揉むこともなければ、子どもがちょっとしたトラブルに遭遇しても、

たいして悩むこともありませんでしたから、
子育てでは、かなり楽をさせてもらってました。

ですから、しつこく頼まれたことくらいは、
「えーっ、めんどくさい」
「常識的考えて、それは無理でしょ。やめてよ」と思えるようなことでも
できるように努力したり、
「あきらかに無駄なもの」でも買ってあげたりしていました。

無駄で価値がないように見えるというだけで、値段は安いものばかりですが。 

話をそれぞれの個性が輝き出す~という部分に戻すと、

そそそ社長(息子)が、
すごい野望を掲げて、毎日、部長の女の子(友だち)と、商品開発やら、

社員とぶつかり合いながらいろんなおもちゃを作り出すやら、
販売やらで駈けずりまわる姿を尻目に、

娘と娘の友だちは、ふたりで、うだうだしゃべりながら、
会社の運営に口を挟んだり、面接官をやったり、自分たちが

思いついた面白いことをやったりしてました。

自分たちが思いついた面白いこと……のひとつは、雑誌作りでした。
アメリカのオールドファッションの雰囲気に表紙をコラージュし、
お菓子の作り方や、娘の友だちの書いた小説やらを編集して、
それをコピーして何冊か作って、
販売していました。(おもちゃの通貨です)
この雑誌の目玉は、娘が思いついた
「年下の子たちの詩を集めて、それに娘と娘の友だちがイラストをつけたり、
絵本につくりなおしたりするボランティア」でした。

それと、お人形の周りに野球場とか、
花畑などの設定でいろいろ飾り付けて写真を撮り、
それをまとめて写真集を作ることもしていました。

また、この姉と姉の友だちの仕事は、そそそ会社の作り出すゲームで
実際遊んでみたあとで、辛口の批評を加えることでした。
「お前の作るゲームは、初心者向けちゅう発想がないんかぃ~!!」
「もうちょっと面白いゲーム作って出直してこい!」とか激が飛んでおりました~。

最初のうち、息子は、動くサッカーゲームや、
自分のオリジナルの人生ゲームやモノポリーを量産したかった模様で、

1つ2つ年下の子たちにハッパをかけて工作させて、
どんどん働かせようとしていましたが、思うように働いてくれません。
そこで、姉たちのする社員研修に送り込んで、
ちゃんと仕事のできる社員を養成しようとしていました。

が、しまいには逃げ出されて、
わが家にその子からこんなファックスが届きました。
「ぼくも、しゃちょうになりたいから、どくりつします(たぶんお母さんに、

独立って文句を考えてもらったんでしょうね)」
そんな苦労をしながらも、毎日、大作をたくさん生み出し、
旺盛な生産性を見せていた そそそ会社 は、途中から、テレビゲームの
ソフトの制作に取り掛かり、これはかなりの成功をおさめていました。

というのも、ダンボールをファミリーコンピュターのソフトのサイズに

切り抜いたものに、好きなタイトルと絵を描いただけ(写し絵も多し…)の商品だったんですが、
すぐ作れる上、自分のオリジナリティーをアピールできるとあって、
子どもたちの間では大うけだったのです。

それで、日ごろは、批評役の姉たちまで夢中になって、
「ペット育成ゲーム」とか「ヨッシーアイランドの新作」とか「●●の秘宝」
「スポーツゲームシリーズ」とかを
部屋中ダンボールの札だらけになるほど作っていました。

その間、調べ物コンクールに応募した作品が
賞をいただき東京に呼んでいただいたり、
本当のお菓子会社のお客様相談センターに自分の考えた
アイデアを送ってお菓子の詰め合わせをいただいたりしたのですが、
うちの子たちは、そんなことはすぐに忘れてしまって……

とにかく自分たちのゴミくず生産工場みたいな遊びが

楽しくって仕方がないようでした。
そして、10年近く経った今となると、無駄に見える時間ほど、
それぞれの子が自分の個性や才能を十二分に開花させて、

切磋琢磨していたんだな~と思えるのですよ~


ユースホステルでレッスンでした♪ 手作りの算数の問題

2011-08-24 19:41:56 | 幼児教育の基本
前回の続きは、明日にでも書きますね。


年中さん~小学1年生のユースホステルでのレッスンでした。2、3歳の弟くん、妹さんも参加。



ゲームをしたり、工作したりワイワイガヤガヤと楽しい時間が過ごせました、

子どもって本当にそれぞれに子が他の子にはないすばらしい一面を持っています。
ちょっと作業に乱雑なところがあったり、話をよく聞かずにするタイプの子が、
多少うまくいかないことがあっても、どこまでもねばり強く目標を目指し続けることができたり、
神経質ですぐに泣く子が、
知的な課題では年上の子向けの問題にも本気でチャレンジしていたり。

初めて会った同士でもすぐに打ち解けていた子どもたちは、
女の子同士、手を取り合って「いっしょにベッドで寝るの」と言いながら
ずっと前からの友だちのようにふるまっていました。
男の子同士、たくさん仲良しができた子は、
帰り際に別れるのが嫌で大泣きしていました。





工作タイムの間に算数の問題を手作りしました。
たてと横に折り紙を半分に折るとき、それぞれの人の服や持ち物や食べ物を
当てます。(ぴぐまりおんの問題より)


子どもたちが協力しあって難しい問題にチャレンジ中。
よくできました♪


ユースホステルの近くの公園で。
セミが捕まえたかったけど、高い位置で取れず……。あきらめきれない子どもたちと、
スーパーの袋とかレジャーシートなどのありあわせのもので
へなちょこの虫取り網を作っていざセミ捕りへ!
……それは失敗に終わりましたが、
参加していたお母さんがサンバイザーとビニール袋で作った
即席網でせみがとれました!
暑いし、蚊に刺されるし、大人たちは(私も)へろへろです。


今回のユースホステルでは、それぞれの子に合った学習法について
いろいろ考える点がありました。
近いうちに時間ができたら、子どもの性質や能力に合わせた学習方法について
くわしく書いていこうと思っています。

(今日は家事がたまっているので、これくらいで……)

ラーニングスタイルとエニアグラム について 1

2011-08-24 15:21:10 | 日々思うこと 雑感


発達障害のグレーゾーンの子にも、「隙」が必要と思われますか?
の記事に次のようなコメントをいただきました。
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はじめまして。毎日先生の文章を読み、心が熱くなります。どうして、私の感じていること、考えていることを、的確に言語化してくださるのかと驚き、また感謝しています。文才がなく、思いを正確に伝えることができないため、相談機関に、虹色教育通信をそのままコピーし、このようなことを言いたいのですとそのままお渡しし、読んで頂いています。(情緒に問題はないのですが、IQ低めの子供がいます。)
特に、「学力が気がかりな子たちのグループレッスン4」、「子育ての悩みと問題はこんがらがってくるほど多種多様4」を読んだ時は、自分の中であれこれ浮かんでいた思いや、感情を整理して頂いたようで、暗闇から脱した感じでした。

ユング論の「子どもの性格タイプ」の記事も、
いつも勉強になります。ですが、我が子がどのタイプなのかを見分けるのは、わたしには難しいです。

子どもが生まれた頃、「あなたの子どもにぴったりの学習法を見つける本」マリアエマ ウイリス、 ビクトリア キンドル ホドソン PHP研究所 という本を買ったのですがパ-トや、雑用におわれ(言い訳ですが。)、読んだだけで、活用できませんでした。

副題に「5つのラーニングスタイルで個性を伸ばす」とあります。

これは、先生のおっしゃるユングタイプ論とは関係ないのでしょうか?

また、エニアグラムのことは、どのようにお考えでしょうか?

義母がおそらくタイプ9、私はタイプ5です。
新しい概念を、かたくなに拒み、変化をきらう
義母は、私の子育て、療育の大きな障壁になってきました。これからも、教育以外の問題でも、わたりあわなければならなくなる場合がありそうです。どのように戦っていけばよいのか、悩んでいます。

先生のラーニングスタイル、エニアグラムについてのお考えを聞かせて頂けないでしょうか?

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コメントをいただいてずいぶん時間が経っているのですが、
ラーニングスタイルについてもエニアグラムについても
いろいろな思いはあるものの何から手をつけていいものかと迷っているうちに
記事にするのが遅くなってしまいました。

今回はラーニングスタイルについて考えていることを書こうと思っているのですが、
その前に「エニアグラム」について感じていることを簡単に書かせてくださいね。

エニアグラムの性格分析は「自己認識」と「他者の多様性受容」のためのツールとして使われることが多いそうです。

性格分析について批判的な方のお話をうかがうと、

「そうした分析が、
人をステレオタイプな型に押し込めて見ることにつながるのではないか」
と恐れているようです。

たとえば、子どもについて「この子は○○型の子かな?」と考えることは、
「○○型はこんな子」という色眼鏡を通して子どもを眺めたり、
その型向けのマニュアルがあって、それに添って育てしたりすることと
イコールで結ばれるように捉えているようなのです。

実際には、性格分析に思いをめぐらす方はたいてい

よく知っているようでも、客観的に眺めるのが難しい
「自分」や「他人」や「わが子」のパーソナリティーについての理解と洞察力を高め、
より寛容で愛情深くなり、よりよい関係を作りをする

ために使っています。

人にはそれぞれが多様な価値があって、
自分から見れば欠点にしか見えないものも、別の視点から眺めると
かけがえのないその人の美点であったりする
ものです。



私は「子どもの潜在的な能力を見出したり、それを伸ばす活動を探したり、弱点を的確に補う」
目的で性格分析を利用するため
環境との関わり方や思考、感情、直観、感覚の4つの機能を中心に性格を分類している
『ユングのタイプ論』を参考にしています。

「具体的にどんな活動が子どもの意欲や満足を引き出すか」という指針に
なるからです。


エニアグラムの性格分析は、人間の行動特性に応じて、分類整理しているそうです。
人が持っている根元的な怖れや欲求に関係している分類の仕方なので、
自己理解や自己受容、自己実現の目的で
自分や他人の性格について洞察力をつけたいときに役立つのでしょうね。
「どうして自分はこんなことにこだわってしまうんだろう」「あの人の行動が許せない、理解できない」
といったもやもやした思いをすっきりさせたいときには
タイプ論より、エニアグラムが役立つのかな?とも感じました。





ラーニングスタイルについては次の記事で書きますね。




子どもが自ら困難に立ち向かうのはどんな時か? 1

2011-08-23 10:19:57 | 幼児教育の基本

今日は午後から、(またまた……)ユースホステルでのレッスンです。次の記事の更新は明日の午後以降になります。
今年の夏は本当に忙しかったです。
とても充実していて楽しい日々でもありました。
(よほど楽しかったのか、子どもたちはもう来年のユースホステルでのお泊りの相談をしていました。)


『学びの物語の保育実践』(大宮勇雄著  ひとなる書房)は、
保育と教育の可能性を大きく広げてくれるすばらしい本です。
また家庭でどのように子どもに関わると
意欲的で持続的な自分の力を100パーセント出しきるような学びの構えを
身に付けさせることができるのか学ぶことができますよ。

子どもに「学ぶ構え」をつけるのには、
毎日、一定時間、机に座る習慣をつければよいと考える方がいます。
身体が習慣になじんでくると、頭も自然に集中するという理由でしょう。

でも、現実には形だけ作っても
頭も心もそわそわして、心ここにあらずになるのが子どもです。
無理矢理習慣付ければ、適当にする癖がつくか、嫌がるようになるか、
きちんとしたところで「義務を果たす」以上でも以下でもない結果となりがちです。

まず、子どもの内面に自ら困難を選んで、
自分に課していこうとするチャレンジ精神を養っていくことが
外から見た目を整える以上に大切なことだと感じています。


『学びの物語の保育実践』にマーガレット・カーによる面白いインタビューが載っています。

幼稚園・保育園で行っている活動の中には「むずかしいと思う」ことはそれほど多くあがらなかったと
カーは報告しています。
このインタビューによると、23人の子どもたちのうち10人の子どもたちは、困難な課題は(園以外の)
他の場所だけにあるという回答で、
つまり子どもたちのおおよそ半数は、園を、彼らが困難なことに立ち向かい乗り越える場所としていないことは
明らかだったのです。

子どもにとって集団の場には、挑むに値する「困難な課題」が見当たらない場合があります。
それに、子どもにもみんなの前で恥をかかないようにしようとする知恵はありますから、
失敗するリスクの高いチャレンジは、
十分なサポートない場ではやりにくいですよね。

この著書にあった言葉を借りれば、

保育者のエネルギーが一斉保育の準備、計画に注がれる保育、

子どもの関心が断ち切られるような保育、

保育者の期待する活動や姿から子どもの「できる・できない」を評価する保育の場には、

子どもが成長するために自ら選びとっていく課題が存在しないし、

あったとしても、それに保育者が気づき、認め、応える態勢が整っていません。

最近では、早期教育の情報や幼児教室の考え方が中途半端に家庭の中にも浸透して、
0歳、1歳児、2歳児が育つ家庭環境までが、
大人の期待する活動や姿から子どもの「できる・できない」を評価するという
とんでもないものに変容しつつあります。


『学びの物語の保育実践』に次のように書かれています。

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「困難に立ち向かう」姿は、どのようにして生まれてくるのでしょうか。
それがわかれば、試行錯誤や創意工夫をしながら問題解決に粘り強く取り組む
子どもを育てることができるでしょう。
学びの物語の五つの視点は、そうした学びがつながっていくプロセス、つまり「成長」を
とらえるうえでとても有効です。(略)

関心と熱中から、「困難に立ち向かう姿」が生まれてきた、そういう記録を紹介します。(略)

「関心」は「熱中」をもたらし、「熱中」は「関心」の幅を広げ、
その深まりをもたらす。
「関心」と「熱中」が相互に手を携えて発展する中で、子どもはむずかしいことに挑戦し、
誰もやったこともないようなやり方で自分のテーマを表現したくなる。
そして……探求は、……の本質に向かう。

              『学びの物語の保育実践』(大宮勇雄著  ひとなる書房)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

虹色教室で子どもたちと接していると、
子どもが何度も何度も、
この関心と熱中から、誰もやったことのないようなやり方で自分のテーマを表現し、
自ら困難を選んで挑戦していく姿を目にします。

私が感じるのは、
こうした学びと成長のプロセスに入っていきやすいか、入っていきにくいかは、
親御さんの価値観と姿勢に大きく左右されるということです。

障害のあるなしとか、知能の高い低いとかはあまり関係ないように思います。

子どもが困難に立ち向かおうとせずにぐずぐずしがちな場合、
親御さんが子どもの関心や熱中よりも、
外から子どもに与えられる評価が関わる課題の方を重要視していることがよくあります。

子どもが自分が何が好きで何が面白いのかもわからないし、気づかないうちに、
次々、するべきことや、喜ぶべき楽しみを与えられているのです。
ベビー向けのサークル活動で楽しそうに振舞うこと、
いっしょに参加すること、
絵本を喜んで読んでもらうこと、
他の子のできることは同じように意欲的に取り組むことといった
親への過剰なサービスを赤ちゃんにまで求めてしまいがちなのです。

赤ちゃんは、親へのサービス業をするために生まれてきたわけではありませんよね。

まず、子どもが自分のペースで自分を育てていこうとするのを「待つ」ことが、
子育ての最初の課題です。
子どもが何かに関心を寄せ、ひとつのことに熱中しはじめたとき、
「また、同じことをしている」「ママがしてほしいこれをやってみて」
「~へお出かけしましょう」と忙しく振り回さずに、それに気づいて、認めてあげて、
十分繰り返せるようにサポートしてあげることです。
子どもの興味や関心の中から、困難にチャレンジしていこうとする決意が生まれるまで
忙しく大人の事情でいじくりまわさないことが大事です。

大人がヘリコプターのおもちゃを見せてあげたいときにも、
子どもの関心は、工事現場で道路を掘り返しているおじさんの作業にあるかもしれません。

大人が水泳教室で級が上がるかどうか気にしているときも、
子どもの関心は、雨水の音が何かに似ていて、それを詩の言葉で表現してみたいという思いにあるかもしれません。


大人が先回りして、子どもができそうな課題を設定しては、「いつのまにかできるようになっていた」という
本人不在の成長をプロデュースし続ける限り、
子どもは「自分で興味を持ったことから熱中しはじめて、
そこから困難な課題を見つけだし、自分で設定して乗り越えていく」という本当の成長に結びつく
体験ができません。

↓は自ら選んだ課題に一生懸命取り組む子どもたちの姿です。




















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あそびのアトリエさんで算数クラブをしていたそうです♪
夏休み特別企画・算数クラブ①

算数クラブ②

算数クラブ③


あそびのアトリエの先生はわざわざ熊本から虹色教室に遊びにいらしてくださったことがあります。
子どもへの接し方や教育の理念がすばらしい方です。
子どもの内面からの本当の成長と仲間と関わる中での成長をサポートされています。

お近くにお住まいの方はぜひ遊びのアトリエに寄ってみてくださいね。






発達障害なのかどうか気になるけれど、やっぱりちがうかなぁ~とも思う子を育てている方に 2

2011-08-22 18:33:35 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子
私の子どもの頃を振り返ってみると、前回紹介した『でこぼこした発達の子どもたち』の
感覚統合発達のチェックリストで引っかかる点がたくさんありました。

私は<前庭感覚が非常に敏感な子によくみられる特徴>の
乗り物酔いや、用心深くて動きが遅い子で、回転遊具や滑り台などで遊ぶことを避けるところがありました。

<固有感覚が非常に敏感な子によくみられる特徴>の
筋肉を伸ばされるのを嫌ったり、強い刺激を筋肉に受ける体重負荷運動を避けるところもありました。

<視覚が非常に敏感な子によくみられる特徴>の
動いている物や人に圧倒される特徴もあり、
目を使うと、頭痛や吐き気やめまいがしていました。

<動きや筋肉の感覚の識別>の
自分の動きがわからず、動きをうまくコントロールできなかったり、
シャツの袖を正す、といった「手足を動かしながら調整する」のが苦手なところもありました。
また、物や他人と自分の身体の位置関係を理解できず、
よく転倒したり、つまずいたり、物にぶつかったり
する子でもありました。

他にもさまざまな苦手があったのですが、
ある部分で他の子よりも得意だったり、すぐにマスターできるようになるものもあったので、
園や学校の先生からは、私の訴えは、「わがまま」とか「仮病」とか「甘え」と捉えられて、
取り合ってもらえないことがよくありました。

子どもの頃の私は遠足や運動会などの行事が大嫌いでした。
理由は、一年を通して続いていた
頭痛やめまいです。

人がたくさんいて、さまざまな刺激があふれている場では
吐き気がひどくて立っているのもやっとだったのです。

でも病院で血液検査などをすると何ともありませんから、
診断する医師や結果を聞いた教師からは、
「怠け病」とか「母原病」とか「仮病」などと言われることもよくあって、
それに恐れをなした私は
いつも大量に冷や汗をかいて吐きはじめるまで我慢していました。
すると、そうして疲労がたまっている晩はぜんそく発作を起こして一睡もできず、
翌日に学校を休むことになって、周囲の大人たちからはよく「甘え病」と言われていました。

大人になった今とその頃の私を比べると、当時はあんなに苦しかったのに
本当によくがんばっていたものだと思います。

子どもだからこそ文句も言わず、現状を受け入れて耐えることができたのでしょう。
でも、そうして苦しい状況に耐えてがまんしているときに、
大人から「仮病」だとか「甘え」だとかいう言葉を投げかけられたことは
身を切るように辛いことでした。

子どもって、自分だけが不利な状況でしんどい思いをすることくらいは
頑張って耐えられるものなのです。
でも、誤解されたり、そんな自分をけなされたり、そのことで拒絶されたりすることは
たまらなく辛いことなのだと思います。

現状は変わらなくても、身近な大人がまなざしを変えるだけで、子どもの耐える力や向上心が
より高まるはずです。


『でこぼこした発達の子どもたち』には、
「正しい知識で賢明な親になるための9つのステップ」
が紹介されています。
そのまなざしの優しさと温かさに
私の傷ついた子ども時代が癒されるような心地がしました。

簡単に要約して紹介しますが、すばらしい本ですから、ぜひきちんとした形で読んでみてくださいね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆「しんどい」や「疲れた」ばかり言っている子。よく食べ、
よく寝ているのに、だらだらして、ドアノブを回すのさえめんどくさそう……。

→<次のように考え方を変えましょう>

その子が「疲れた」と言うときは、本当にそうなのです。日常の物事をやりたがらないのではなくて、
やりたくても本当にやることができないのです。
その子は自分の力に限界があることを無意識のうちに理解しているのでしょう。
ですからしなければならない最低限のこと、たとえば食べ物を噛む、車に乗り降りするといったことを
するために余分なエネルギーを使わずに貯めておく必要があると理解してあげましょう。

◆「この子が賢い子だということはわかっているのですが、
外では黙っていて、賢そうに見えません。」

→<次のように考え方を変えましょう>

感覚統合障害は非常に知的な子どもも含め、すべてのタイプの子にあらわれる障害です。
その子が人前であまり口をきかない理由は、自分が他人の期待に応えられないときに
どうすれば愚かに見せないで済むか、その方法を知っているからなのでしょう。

◆「うちの子は読むことはダメ、走るのも苦手。勉強も運動もダメなんてどうしてあげるといいのかしら……」

→<次のように考え方を変えましょう>

ほかの生き物に対して並はずれた共感や思いやりを見せることができる、創造的思考力が優れている、すばらしいユーモアのセンスがある、こうしたこの子の特別な敏感性は実はすばらしい才能なのかもしれません……。

◆「この子は独占欲が強すぎます。おもちゃは貸さないし、ゲームに負けると
泣いてふさぎこみます。

→<次のように考え方を変えましょう>

その子が物を欲しがったり、他人からの注目を受けたがったりするのは、
自分の中に存在するわずかな自尊心を補強するためです。
いつも自分のことを「落ちこぼれ」や「いくじなし」などと思っているからこそ、
「勝ち」にこだわるのでしょう。その子が
欲張りに見えるのは、それらに飢えているからなのです。

◆「うちの子は柔軟性がなくて頑固。同じ服を着て、同じ物を食べたがります。」

→<次のように考え方を変えましょう>

その子はわざと頑固にしているのではありません。
日々変化するさまざまな要求に自分の行動を順応させることができないので、
自分が確実にできることに
しがみついておく必要があるのです。

◆「保育園の先生はうちの子のために余分な時間を使わなければならないらしく
着替えくらいはひとりでできるようにと言われています。
でも毎朝、子どもが怒りを爆発させるので着替えを手伝っています。」

→<次のように考え方を変えましょう>

自立心をつけなければいけないからといって、何でもかんでも子ども任せにしたり、
子どもを無視するのは賢明ではありません。
子どもの生活を楽しく安全なものにするために、
自分ができることをするのが本当の意味で賢明な親です。

    『でこぼこした発達の子どもたち』(キャロル・ストック・クラノウィッツ著 すばる舎)

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発達障害なのかどうか気になるけれど、やっぱりちがうかなぁ~とも思う子を育てている方に

2011-08-22 15:27:00 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

ブログ以前の記事に次のようなコメントをいただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>服の裾やかばんの一部を口に入れたりしているときがあります。

こういった行動をするからと言って、
自閉症スペクトラムとは限らないとは思いますが、
次女が、スカートやかばん、水筒の紐などを
くわえている事がよくあるので、気になりました。

くるくる回ることはないですが、
常にぴょこぴょこジャンプしている感じです。

自閉症スペクトラムについて、お時間のある時に、
記事にして頂けると嬉しいです。
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自閉症スペクトラムについての記事を……とあるのですが、それは次の機会にさせていただいて
今回は「感覚の情報処理がうまくいかない」という状態についての話を書かせていただきますね。

「発達障害なのかどうか気になるけれど、やっぱりちがうなぁ~」

「もじもじして子ども集団に入っていこうとしないけど、親子で会話するときはしっかりしているし、
心配な子なんだか、心配いらない子なんだか……」

「発達障害の子ととても似ているところがある。でも、全然ちがうと思うところもある」

「乱暴ですぐに手が出るし、とっても不器用。でも子どもなんてこんなもんじゃないの?」

そんな風にはっきりした心配なところがあるわけじゃないけど、
何だか気になるところがちらほらある子っていますよね。

病院に診断に行くべきか迷うけど、行っても一笑に付されそうな気もする……という子。

親としてはあれこれ気になるんだけど、幼稚園の先生からは「心配ありませんよ」と言われて、

親の私が神経質すぎるのかなと反省……という子。

虹色教室でも、夏の日帰りレッスンなどには
こうした子どもの成長に気がかりを抱えた親御さんにたくさん出会います。


そうした悩みを抱えた親御さんのお子さんにもっともよく見られるのが、
「感覚の情報処理がうまくいかない」という状態のように思います。


親御さんの多くは、「自閉症スペクトラムかもしれない」「ADHDかもしれない」という
不安に直面したくないという思いや
「病院に行くほどでもない。他にもこんな子はたくさんいる」という思いから、
子どもの気になる姿を気にしつつも、何のアクションも起こさずにそのままになっているようです。

私がそうした親御さんの子どもに接していて気にかけているのは、

「自閉症スペクトラムやADHDと診断される子ほど困難は大きくないけれど、
軽い感覚の情報処理に問題を抱えていて自己コントロールが苦手な子が
幼児期にその問題に対する十分な対応をしなかったために、
後々、大きな問題に発展してしまうケースです。

本来は発達障害に属さないレベルの軽い苦手を抱えた子が、
幼児期に気になったさまざまなことを無視してしまったために、先々、
不器用さが原因で学習でつまずいたり、人と関わることが難しくなったりする」ことがあるのです。


『でこぼこした発達の子どもたち』(キャロル・ストック・クラノウィッツ すばる舎)
には、専門家に相談するときに使える「感覚統合発達チェックリスト」がついています。
とてもたくさんありますが、どのような内容か紹介するため、一部だけ引用します。

気になるところがたくさんあるという方は、ぜひ購入してチェックしてみてくださいね。


チェックリストの例

(触覚が非常に敏感な子によく見られる特徴)
●砂、指絵の具、ペースト、のり、泥、粘土などを使った遊びをいやがる。または、そのような遊びを考えるだけで泣きそうなる。
●痛みに過剰に反応し、小さなすり傷やトゲに対しても大騒ぎする。
●頑固、意地っ張り、融通がきかない、強情、言葉で強く主張したり、身体的に押しが強い、気難しい、といった
態度を示す。(実は苦手な触覚の刺激を避けようとしている)

(触覚が非常に鈍感な子によくみられる特徴)
●顔、特に口と鼻のまわりが汚れていることを感じない。顔に食べ物のカスがついていたり、鼻水がついていることに
気がつかない。
●物を落としたことに気がつかない。

(触覚の刺激を非常に求める子によくみられる特徴)
●身体や服が汚れるような遊びや行動を長時間やりたがる。靴下や上履きをすぐに脱ぐ。
●2歳以上になっても物を口に入れて調べる。
●他人に近寄って触ったり、相手が触られるのを嫌がっても気にしない。

(前庭感覚が非常に敏感な子によくみられる特徴)
●髪を洗ってもらうときなど、頭が逆さまになったり傾くのをいやがる。 乗り物酔いをする。

(前庭感覚の刺激を非常に求める子によくみられる特徴)
●速く動いたり回転する公園遊具や遊園地の絶叫マシーンなどが好き。

(固有感覚が非常に敏感な子にみられる特徴)
●強い刺激を筋肉に受ける体重負荷運動を避ける。(ジャンプ、片足とび、走る、這う、回転するなど)

(固有感覚が非常に鈍感な子にみられる特徴)
●力加減がわからず、おもちゃをすぐに壊す。


(固有感覚の刺激を非常に求める子にみられる特徴)
●覚醒水準を調整するために、頭を打ち付けたり、爪を噛んだり、指を吸ったり、
関節をポキッと鳴らす、などの自己刺激的な行為が行う。
●全体的に攻撃的。

(他にも非常にたくさんのさまざまな種類のチェックリストがあります。
「育てにくい」「しつけがうまくいかない」場合には
こうした原因があるかもしれません。気になる点がたくさんあるときは、
感覚統合の問題がないか専門家にかかることをお勧めします。感覚の問題は
必ずしも発達障害と直結しているわけではありません。
こうした問題にきちんと対処することで親子関係が
とても良好になることがよくあります。)

               (でこぼこした発達の子どもたち』(キャロル・ストック・クラノウィッツ すばる舎)より

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『でこぼこした発達の子どもたち』(キャロル・ストック・クラノウィッツ すばる舎)という著書の中に
感覚情報処理がうまくいかないと
どのような問題を伴うのかまとめてあります。

↓で紹介する特徴の多くは、
ADHDや自閉症スペクトラム障害をもっている子にもよく見られる特徴ですが、
そうした診断名がつくほどではないけれど、
よく似た気がかりを持っている子はけっこういます。
ハンディーがある子にもない子にも、
感覚情報処理という面から特徴を捉えて、それに対する働きかけを増やすと、
それまであったさまざまな問題が軽減することがよくあります。

子どもの発達で気になるところがいろいろあるときには
専門家に診てもらうことは大事ですが、専門家に診てもらうほどには問題が多くない
「気になる癖が多いな」レベルの子も、何も対処せずに終わってしまわず、
家庭でできる範囲ででも感覚の発達を促す遊びや活動をすることをお勧めします。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<感覚統合障害によく伴う
覚醒水準、活動レベル、注意力、衝動性などの問題>

● 動き回る そわそわ イライラしがち 思いつきで遊んだり作業をしたりする 短期で興奮しやすい 椅子に座っていられない

●ボーッとしている 疲れやすい 自発性やねばり強さが弱い 興味が薄い 「あまりにも育てやすい」赤ちゃん

●好きなことをしていても注意を持続できない 整理が苦手 忘れっぽい

●分別なくエネルギッシュ 衝動的 順番を無視する おもちゃ箱をひっくり返す



また、感覚の情報処理の問題は、次のような他人との関わり方の問題を伴うこともあるようです。

●初対面の人に会って遊んだり、新しい食べ物をいやがる

●ある状況から別の状況に移るのをいやがる 日課の変更をいやがる

●分離不安 作業中にだれかが自分に近づくのを嫌がる

●簡単にあきらめる 完璧主義で期待通りに進まないと腹をたてる

●人と仲良くやっていくのは苦手 自分でルールを決めたがる まわりを支配する

●はっきり話す 文字をかくなどが苦手 自分の気持ちや要求をうまく表現できない

●変化、ストレス、感情が傷つくことに対して融通がきかない 

●他人に対する要求が多く、人が嫌がるような方法で自分に注意を向けたがる



          (『でこぼこした発達の子どもたち』(キャロル・ストック・クラノウィッツ すばる舎)
                           より   簡単に要約しています。


=----------------------------------------

働きかけ方については
また次の機会に記事にするつもりですが、
『でこぼこした発達の子どもたち』はとても読みやすく、
くわしい具体的なアプローチがたくさん載っている良書ですから、
ぜひ書店で手にとって読んでみてくださいね。