虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 2

2014-06-09 21:11:41 | 日々思うこと 雑感

緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時1 の続きです。

緊張が強い子が、ほかの大人や子どもがいる場で、過度に不安がったり、

新しいことへの参加を拒んだり、ちょっとしたことでピリピリしたり、

不必要なほど頑固になったりするのは、さまざまな原因が考えられます。

 

神経の細かさや高ぶりやすさのせいで内向的な態度が強くなっているのかもしれないし、

触角の過敏さなど感覚統合の問題を持っているため

人に近づくことに防衛的になっているのかもしれないし、

想像力の弱さがあるため未知のことに不安を覚えるのかもしれません。

育ってきた環境や経験の量や親子関係の問題で、本来なら「ちょっと内気かな」と

感じるくらいの性質が融通のきかないものになっていることもあるでしょう。

 

子どもをほかの子らがいる場に連れて行っても、一緒に楽しそうに遊ぶどころか、

怯えたり、イライラしたり、親の背後で固まったままだったりすると、

「何もしないのに、わざわざ連れていくべきなのかな?」

「育て方に問題があるのかな?」「子どもの発達に問題があるのかな?」と

親自身も葛藤や迷いで身動きできなくなるかもしれませんね。

 

 

『プレイセラピー 関係性の営み』の著者、ゲリー・L・ランドレスによると、

子どもには生まれながらに自己実現傾向というものが備わっていて、

そこから学びと変化へ向かう動機づけが生じるそうです。

環境への不適応を起こしていた子どもが変化していくプロセスについて、

ゲリーは次のように語っています。

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それまでとは違った自己に向かうこうした動きは、セラピストの暖かさや関心、

注意、理解、純粋性、共感を子どもが感じ取ると、それに促されて始まります。

心理的な態度が動きを促すというこの傾向によって、子どもは自己志向的に

行動するために、そして自分の自己概念や基本的な姿勢を変化させるために、

自分自身のものすごい量の資質をあてにすることができるようになるのです。

このように、変化するための能力は子どもの中にあり、セラピストが方向づけや忠告、

情報を提供した結果として生じるものではありません。ロジャースが表現したように、

「もし私がある種の関わりができたなら、個人的な発展が生じるだろう」

いうことになります。

  『プレイセラピー 関係性の営み』P58(ゲリー・L・ランドレス著/日本評論社)

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2 コメント

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緊張の強い子の対応について (さきはは)
2014-06-10 21:39:41
こんにちは
今回の記事は、まさに私と娘(年中)の様子そのものです。

以前は普通の母子分離の幼稚園にかよっていたのですが、母親と離れる不安や、この記事にあるような緊張感の強さから、ストレス性の病気になることが度々あり、本年1月より転園して、母子ともずっと、一緒にすごせる幼稚園に通園しています。

娘の集団での様子を観察してると、今回の記事のような状態でいることが多いと感じていたところです・・具体的には

・新しい事にチャレンジさせるのが難しい。
・集団で行動することを拒否する。
・人との肉体的接触に過剰に敏感
・子どもたちがうるさいと言い、朝の会等、みなで集まる場を避ける
・自分のこだわりを貫き、他の提案を拒否する
・ごくごく少数の安心感をもてる友達以外との接触を拒否する 
・母親と離れて一人になることに(ややましになったものの)恐怖感をもっている
等々です。

集団になんとか加えようと導こうとすると、より拒絶感が強まるので、最近では、何も言わないようにして、娘の好きなようにさせているものの、本当にこれで大丈夫なのか・・・・と私も葛藤が多いです。

こういう緊張の強い子に対する対応について、もう少しお話いただければ幸いです。
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心にしみました (tamaki)
2014-06-10 22:49:33
その1に引き続きコメントさせていただきます。

プレイセラピーの本からの引用、大変興味深い、というか文章が心にしみました。

「セラピストの暖かさや関心、注意、理解、純粋性、共感を子どもが感じ取る」と、こどもの中の自己実現傾向によって、自然に学びや変化へ向かう動きがはじまる。

というふうに理解しました。

うちの子も緊張が強いタイプだったため、先生の文章にあったように、わたしも葛藤や迷いでいっぱいになっていました。第一子で、当時はおおらかに見守る余裕もあまりありませんでした。人との関わりでいえば、3才前まではほとんど他の子や大人と関われなかった感じです。どこかおかしいのか、とか、このままだれとも関われないのかしら?とか本気で悩みました。

相談窓口のようなところで話しを聞いてもらっても、そんなのたいしたことない、もっと大変な子がたくさんいる、みたいなアドバイスしか得られず。こどもが公園にいきたがるのに毎日毎日気が済むまでつきあう、とか道の真ん中でかんしゃく起こして動かなくなるのに辛抱強く数十分とか時には1時間以上つきあう、とか、なるべく怒らないようにしてみたり、逆に本気でけんかしてみたり。なにもわからないまま必死でいろいろやっていました。触覚過敏も少しあったのか、お風呂上がりにズボンがいやといってやはり何十分も怒っていたこともありましたっけ。いったんかんしゃくを起こしてかたくなになると、もうなにをいっても無駄で、手がつけられなくなっていました。その頃はわたしも必死に「なんとかしなきゃ」とあせり、余計事態をこじらせていた気がします。

なにしろ、こどもがなぜそういう態度をとってしまうのか、わたしはまったく理解できず、最初の頃はそういう子どもの苦しみに共感できなかったのが、わたしにとっても本人にとっても辛いことだったとおもいます。わたしも、疲れていると「なぜそんなに困らせるの」という気分になってしまっていました。

だけど、結局わたしがいろいろしたこと(が無駄というわけではないでしょうが)によってこどもが変わった、というより、わたしが少しずつ本人を認めて、応援するスタンスに変わってきたことによって、本人の変化が起きてきた、ということですね。

いわれてみると、実感として「確かにそうかも」と感じます。

5才のいまは、相変わらず特定のおともだちはいないし、毎日マイペースに好きな事していますが、幼稚園ではよくがんばっているしそれなりに楽しんでいるとおもいます。あれがいや、これがいや、といったり、ママと離れたくないから幼稚園はいや、といったり、わたしにはまったく理解できない理由で(桜えびがのどにひっかかって不安になるなど)1、2時間泣き続ける、といったことはあるし、周期的に不安定になってささいなことでぐずる、など、たぶん他人から見たらえ?ってこともありますが、わたしはもう慣れたし、そのことで不安にならないし、少しずつ成長しているな、と見られるようになりました。

また、振り返ってみるとなにもわからず必死にやってそこにたどりついたのが結果的によかったのかな、ともおもいます。全然効率的ではないですが。

こういうことがあるから、子育てって「こういう時はこうすればいいのよ」みたいに語るのはとても難しいし危険なのだなと思いました。

お教室での、緊張が強い子が変わっていくエピソード、楽しみにしています。

時にショッキングな辛い出来事がきっかけとなる、と書いてらしたのがとても印象的です。わたし自身(
こどもとタイプは違うのですが)、人との関わりはいつも難しく感じながら成長してきましたが、快適な閉じられた世界が外に開かれる時はショッキングなものなのだ、と考えると、だいぶ捉え方が変わる気がしました。
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