虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

『地頭力』が育つ幼児期 4

2010-06-24 19:19:05 | 教育論 読者の方からのQ&A
(受験の話の続きは次の記事で書きますね)話が脱線するのですが、地頭力を育むため(かつて正確にその言葉を意識していたわけではありませんが)に、わが子が幼児期や小学生の頃、私が特に気をつけていたことを書いた過去の記事をもう一度紹介させていただきます。

<「よく見る」ということは「あまり見ない」ということ>

このブログでは、何度も、
子どもを「よく見る」とか、「よく観察する」ということを
書いているのですが、
この「よく見る」ということほど誤解されやすいことは
ないような気がします。

「よく見る」というのは、ただ目の前の子どもの行動を
より細かいところまでチェックするという意味ではないのです。

むしろ普段、それまでの自分の思い込みや先入観という色眼鏡を通して、
近すぎる位置から子どもを眺めていたのを、
かなり後ろまでさがって、
ぼんやりした視界の中で見直してみる。

理性で見ていたものを、
感情や直感を通して眺めてみる。

自分が子どもにとって全てを知っている神様みたいな位置で見ていたものを
意識して「見ない」部分を設けて見る。

そんなさまざまな「見る」の形は、
極端に言うと、「よく見る」って、「あまり見ないこと」なんだ~
とも言えたりするのです。

どうしてこんなことをするかと言うと、

子どもって
いずれ変化して成長していく存在なので、
今、現在の様子を数値化するような形で観察してしまうと、
とんでもない間違いをおかしてしまうからです。

例えば、パンダの赤ちゃんってすごーく小さいのはご存知ですよね。
そのサイズとか、能力とかを
細かく観察して、あひるのヒナと比べるとします。
すると、いずれこうなるに違いない…
と思う予測が、巨大なアヒルと手乗りパンダ…みたいに、
ケタ外れにおかしなことになってしまうんです。

ですから、よく観察するというのは、

自分の見方の偏りを修正して、
大きな視野で心で見る

ということでもあるんですね。
つい子どもの行動にうんざりしたり、叱ったりすることが多くなっている時は、
それが必要だと思います。

それと大事なのは、
「あえて見ない」
と言う事です。

過干渉の害は分かっていても、
子どもを見るという事に関しては、ついつい行き過ぎが起こりがちなのが
今の時代です。
でも私達の子ども時代も、
自分の失敗やら、欠点やら、発達途中の多くの事柄を、
隅から隅まで親に把握されていたとしたら、
きっときちんとした大人になれなかっただろうし、
生きることにうんざりしてしまったように思うのです。

私たち大人が、今を元気よく生きれているのは、
大人の目が、「ふし穴」だったからでもあるんですね。

現在は、軽度発達障害児の問題行動なんかも、
つぶさに大人に観察されています。
特別な配慮が必要なので、
それも大切だったりはするのです。
でも、それが、かえって子どもの成長の足を
引っ張っていないのでしょうか?

昔は、子ども時代、大人の見えないところで
たくさん悪さをしながら過していた人も、
大人になるとしっかり生活している方がたくさんいたように思います。

今は、見ることによって、
大人たちから投げかけられる醜い未来像のせいで、
そのイメージどおりの悪い未来を歩んでいる人が多い気がします。

見るとき、理性で見ることと、
感情や直感で見ることのちがいを例にあげると、
こんなことがあります。

刑務所に入っている人に対して、
感情や直感を通して見る時には、
その人が、きちんと人生を建て直し、
心を愛情で満たして人間らしく生活する姿が見えると思います。
しかし、理性で数値化しながら見るならば、
今現在の問題点ばかりが目に付いて、
一生そのまま犯罪にまみれて生きる姿しか見えないと思います。
そしてそういう見方が、その人の人生を決定付けてしまうように感じます。

それは極端な例ですが、
子どもに対しても、
近視眼的に見すぎることは、
未来に悪い影響を及ぼすこともあることを
わかっていただけたのではないでしょうか?

知人の陶芸の先生の息子さんのことでこんな話を聞きました。
その子の偏差値が30台だった時、
その子が医学部に行きたいといったので、
周囲の人はバカにして笑ったそうです。
でも、お母さん(陶芸の先生)だけは、
その子を正しく見ていて、
「きっとあなたなら行ける」と応援していたそうです。
その息子さんは、最終的に京大に進まれました。

よく見るということは、こういうことだなぁと思っています。

イラストは『夏の山』です。

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3 コメント

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Unknown (ひかるママ)
2010-06-24 20:01:18
>現在は、軽度発達障害児の問題行動なんか  も、
 つぶさに大人に観察されています。
 特別な配慮が必要なので、
 それも大切だったりはするのです。
 でも、それが、かえって子どもの成長の足を
 引っ張っていないのでしょうか?

確かに過干渉は良くないのは判ります。
でもこの部分はよく判りません。
特別な配慮は必要。
でもそれがかえって成長の足を引っ張るとは?
では軽度発達障害児はどうすればいいのでしょうか?
混乱してます (まりも)
2010-06-24 22:19:49
ひかるママさんと同じく、そこで混乱しました。
愛着の記事以降、1才半からグレーと言われている息子(3才半)にどう関わればいいのか分からなくなっています。
「丁寧な関わり」が、かえって関わりすぎて、言葉のシャワーを浴びせすぎたのかなぁと。
弟(1才3ヶ月)は人見知りもするし、後追いもする。寝るときだってギューッと抱きしめながら寝るのが好きです。
でも、兄は正反対。1才半以前に知らない子にも抱き着いてました。今は、初対面の人にはヒーローに成り切りポーズを決め、戦いを挑みます。

どっちも多動傾向はあるけど、発達障がいか違うかは、まだ分からない。だけど、この先どう関わったらいいのかしらと悩んでしまいました。
ここに書かれたことが、全てのこどもに当てはまるとは思わないけれど、ヒントを頂けるなら頂きたいです。
確かに (ここ)
2010-06-24 22:26:58
今の教育現場では、集団で勉強するという生活での問題行動や困難さだけを取り上げ、発達障がいだから…という理由づけで終わってしまっている事が多いと感じています。
問題行動をしたくないのに、してしまう子どものやり切れなさや悲しさには気づいてもらえない、特定の困難さのために授業の多くが個別指導になり、仲間との共に意見を交わしあい深めるという勉強の機会が無くなってしまう、などです。
子ども達が安心できる場所であり、知りたい!学びたい!という気持ちがわいてくるなら、発達障がいであってもなくても、多少の困難は乗り越えていくと感じているのですが…
本当に必要なのは 、子どもが安心して勉強に取り組めるというサポートですよね。
それには、声にならない声を感じ、行動の裏にある感情を感じるということが大事だと思います。子どもが表面上に表しているものだけにとらわれず、まさに「見ない」ことで、「見る」ですね。
子どもはみなそれぞれ、私たち大人の計り知れない、素敵な才能を持ってうまれてきているんですから…!

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