虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

息子とおしゃべり 2

2010-12-26 21:27:55 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)


科学クラブの小1生がブザーつきのイライラ棒を
作ってきてくれました。
お友だちに遊び方や原理をていねいに説明していました。

↓長いので、年末でお忙しい方は読み飛ばしてくださいね。
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息子とおしゃべりの続きです。
小学生のころから、「ゲームクリエイターになりたい」というのが息子の夢でした。学びたいこと、やりたいことなど、異分野への興味が広がりつつも、
やはりゲーム作りへの情熱は変わらない模様です。
ただこの数年の間に、
どんなものをどんな形で作りたいのかという点では、
その夢はかなり変化してきたようです。

「ぼくが小学生のころはね、ターミネーターとかインディージョーンズの世界にあこがれて、自分も同じ冒険がしてみたいなぁって願いを抱いたときに、
それを実現するツールが、テレビゲームだったんだ。

でも、今のゲームは、
映像の美しさやストーリーで完璧を目指しすぎていて、
映画とテレビゲームから感じる楽しさが、ほとんど変わらないものになってきているように思うよ。
リアル過ぎるっていうのかさ。
そうなると、もうゲーム内では、映画の世界に自分が入って動きたいっていう当初の願望は満たされないんだ。
ゲームだけど、映画と同じで、自動的に展開する世界を受動的に味わっていく感覚だから。
等身大の自分を、ゲーム世界の主人公に投影して遊ぼうと思ったら、
もう少し、自分の空想が入り込む隙間がいるからね。」

「ゲーム内なのに空想するってどういうこと?」とたずねると、
いつもながら、ゲームをしない私にはよくわからない感覚……。

「ぼくが小さいころは、上がったり下がったりする数値を見るだけで、
急に強くなった気分やざわざわする気分を味わったり、それだけで、自然にこれから進む迷路のような道が浮かんできて、たまらなく面白かったんだ。
といって、ゲームの復刻版を出したところで、誰も当時の感じ方には戻れないはずだけど。

ぼくが『今さら』ってのに、トークアールピージーのようなボードゲームにこだわっているのはさ、
ボードゲームの形態は確かに時代遅れで、これからもマニアの間で受け継がれていくだけなのは目に見えているけど、
自分的に好きってところが強くて、その魅力を
何とか新しい形にして生かしたいんだよ。

新しい形ってのは、今のオンライン無料ゲームのように一部無料で、ある部分から有料ってのじゃなくて、
『全てが無料』の形で、同時にポーカーのように現実のお金が入ってくる可能性まで含んでいるようにしたいんだ。
ギャンブルの要素は入れたくないけど、ギャンブル独特のお金を払っていることからくる興奮状態や面白さがあるじゃん、それを無料のゲームであっても含みたいと思っててさ。」

息子の構想が込み入ってきて、ややこしくなってきたので、
「完全に無料にしておまけにお金が入ってくるとなると、お金はどこから捻出するつもりなの?
ゲーム内の広場に企業のパビリオンでも建てるつもり?」とたずねました。

「そうしたありがちな広告を入れる方法ではうまくいかないよ。
いろんな案を考えてはいるけど、そこは重要なところだからね、ずっと考え続けているんだ。」といういかにもいずれ最適の方法にたどりつくという自信ありげ~な返事が返ってきました。

息子は最近になって小学生時代大好きだったボードゲームを
別の面から見直すようになりました。
「ボードゲームって、遊ぶ人数や場所を確保しなきゃならないから、
現代に合わないっちゃ合わないんだ。臨場感や他人と直接関わっている感じが、
携帯やゲーム機で遊ぶのが主流の今となったら、そこに新鮮さすら覚えるんだけどさ。

ボードゲームは一般的には知られていないけど、
大学の研究機関から生まれてるものがけっこうあるんだ。
モノポリーにしても発案者は、売れないおもちゃ屋の店主らしいけど、それに期待値の計算を調整して、今のゲームの形にしたのは、経済の研究をしている大学らしいよ。

それとか、戦略シュミレーションは日露戦争とか、日米の戦いを
歴史に沿って現実の資料に基ずいて作られていたりするんだ。
ボードゲームは、知的遊戯ってだけでなく、シュミレーション実験の意味も担ってたんだ。

ボードゲームのそうした一面は、ぼくにとってはたまらなく魅力的だけど、
一般受けするかっていうと、そのままじゃ難しい。
ただ、ボードゲームは、言葉じゃないもので、取引したり絆を確認したりできるから、言葉が通じあわない人同士……グローバルな世界でも、互いにつながっている感じを抱きあえる一面があるんだよ。

海外では、同じ写真に好感を抱いたもの同士がつながりあっていくオンライン上のツールがあるんだ。
それは非言語で絆を感じあっていけるという点では面白いけど、どうしても感覚止まりだからさ。
同じ言語のない世界で絆を感じたり、共感し合うにしても、
もっと自分の身体の感覚で感じながら、それでいて、ボードゲームように
プレイヤーの個性を遊ぶうちに際立たせて、発信していくって面を取り入れたいんだよ。
前にも言ったけど、それを実現するには、
今の『ゲーム機でゲームをする』って既成概念を一度ゼロにしてから
考えていかなくちゃならないんだけどさ」

ボードゲームにしろ、テレビゲームにしろ、私がほとんど知らない世界だけど、
「こんなことをしたい」と願って、可能性を探っていくのは、
どんなものでも面白いもんだな~と
感じました。
もうすぐ受験の息子、来年、志望校に受かってくれたらいいのだけど……
勉強好きとはいえ、のんびり屋のマイペース人間ですからどうなるのやら……
今、私は、勝手に、「量子コンピュターって面白そうだな~大学に入ってから、息子が興味持ったないかなぁ?」と考え中。
「量子コンピューターが実現に至ったら、息子のしたいことを実現する幅が広がるかも……」などと適当な想像を膨らましています。



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