虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

虹色文庫の新作ぞくぞく

2019-02-23 20:05:17 | 虹色文庫出版局

虹色文庫(虹色教室のごっこ遊び出版社から出している本です)

ではぞくぞくと新刊が出ています。

小学3年生のAちゃんは、「新刊用のちらしを作ったらどうかな?」と

広報活動にも力を入れるようでした。

料理本、怪奇現象の本、絵本、ゲームの解説書、物語、マンガ、エッセイなど

さまざまな分野の本が生まれています。

 

卒業の記念に自閉っ子のBくんが作ってくれたカレンダーブックです。

カレンダーをめくると、環状線を1周できるようになっています。

 

Bくんは、JRクイズブックも作ってくれました。

かなりの力作です。


世界一知能が高い IQ230の女性の知能上達法と創造力

2019-02-23 09:03:09 | 教育論 読者の方からのQ&A
『「頭がよい」って何だろう(植島啓司/集英社新書)』に、
1985年のギネスブックでIQ230でもっとも知能指数の
高い人物として登録されているマリリンという女性の話題が
載っていました。

マリリン自身が語る彼女の知的上達法は、次のとおり。

物事を書き留めたり、計算機を使ったりせず、
頭の中で処理せよ。

なんでも断定せず、柔軟な心を保とう。
断定することは、学ぶことをやめることを意味する。
成就したいことがあれば、すべて自分で行動せよ。

というものでした。

子ども時代の柔軟な思考のあり方が、知的上達にいかに
大切かわかりますね。著者の植島氏は、子どもには、
身近なものに対する考え方を教えるべきだと書いて
おられます。

★ 必ずしも解答はひとつでないこと。
★ 違った道順で同じ結論に至ること。
★ 創造性は間違いの中にも潜んでいること。

などを、子ども時代にしっかり身に付けることこそ、
できるだけ最短距離を通って問題の核心に切り込めるように
なる元となると。

幼児期から問いとひとつの答えを結びつける訓練をして、
学ばせることが、
子どもの頭を、大人のようにガチガチの固い状態にして、
先ほど紹介した3つの知的活動に不可欠な感性を
鈍らせないように気をつけなくてはなりませんね。

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それにしても、
★ 創造性は間違いの中にも潜んでいること。

とは具体的にどういう事をさして言うのでしょうか?

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アラン・チューリングという数学者が、

デジタル・コンピュータという機械が原理的に思考しうること
(思考する存在として振舞えること)を探求していくときに、
「簡単な問題をしばらく考えてから間違った答えを出す」という
コンピューターについて考えていました。

天才的な数学者アラン・チューリングは、
「間違える」ということを、とてもプラスイメージで
捉えているのです。
 
えっ?と疑問に感じるかもしれませんが、

A=Bといつでも、
問いから正しい答えに直結するような考え方は、
テストでは良い点に結びつくでしょうが、

柔軟性や、応用力は乏しいものです。
あまり創造的ともいえない。

大学のテストは、あっという間に全て満点の解答を
はじきだせるコンピューターを作ることができるでしょうし、
今も存在するのでしょうが、
それが何万台あっても、経済の問題も、環境問題も
解決しないものですよね。
そうした未知の問題を解決するには、不完全だけど、柔軟で、
応用力があって、創造的な
人間の頭脳が必要となってくるのでしょう。

『「頭がよい」って何だろう』には、次のような一文が
あります。

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一般的にコンピューターは、高速で計算処理ができるように
つくられており、
論理的な問題処理能力にはすぐれているが、柔軟性がなく、
応用力に乏しい。

それに対して、人間はあれこれ気をとられたりして、
なかなかひとつのことに集中できないし、
また、多くの過ちを犯すだろうが、
それによって、また新たな発見につながるようなプロセスを
見出すことができるのである。

そう人間にとっては、間違えることこそ、
あらゆる創造力の源泉があるともいえる。

『「頭がよい」って何だろう』植島啓司/集英社新書より引用
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間違えることこそ、
あらゆる創造力の源泉があるって、何だか不思議な表現ですね。

さまざまな創造力について書いてある本を読んでいると、
創造力にとって、「間違える」だけでなく、「忘れる」ということも、
大事なようです。

お茶の水女子大学で教鞭をとっておられる外山滋比古氏が、
『知的創造のヒント』という著書の中で、
次のように書いておられました。

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これまで学校教育が記憶だけ教えて、忘却を教えなかったのは、
たいへんな手落ちである。
上水道をつくって、下水道をつくらず、たれ流しにまかせて
おくようなものである。
知識の異常な詰め込みが行われている現代である。
正常な自然の忘却機能だけに頼っているのが危険なことは
わかりきっている。
それに気づかないでいるとはいったいどうしたことであろうか。

……ものを考えるのは、ものを覚えるのとはちがうけれども、
頭の中にいろいろごちゃごちゃ詰まっている状態が望ましく
ないのは共通している。
たとえ有用な知識であっても、頭がいっぱい詰まっていれば、
そのあとおもしろいことを考える余地もない。
ちょうど一面に書き込まれている黒板のようなものである。
新たに何か書こうと思えば、まず、書き込める場所をこしらえ
なくてはならない。黒板をふくのである。
それが忘却である。

……心は白紙状態、文字を消してある黒板のようになる。
思考が始まるのはそれからである。自由な考えが生まれる
のは、じゃまがあってはいけない。
 
『知的創造のヒント』外山滋比古著 ちくま学芸文庫より引用
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こうした話を読むと、子どもたちを、いつでもどこでも
「何となく忙しい」「あれもこれもしなきゃ」「わすれない
ようにしなきゃ」「失敗しないようにしなくちゃ」という
強迫観念から解放してあげなくてはならないと感じます。

「やるときは、自発的に集中してやる。
遊ぶときは、全てを忘れてのびのび遊ぶ。」

そうしたサイクルが可能になるよう、生活を整えてあげたいですね。