虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「やらなきゃいけないことを、さっさとやる」ができない子 必要最低限のことをやってほしい

2013-12-05 20:16:57 | 日々思うこと 雑感

障害ではなく個性なのだとわかっていても、宿題をさせたり、遅刻させないだけで、毎日が修羅場。
わが子の良さはわかっているけれど、必要最低限のルールだけは守っほしいし、「やらなきゃいけないことならばさっさとやる」ということを、
いつになったら分かってくれるのか……心が折れそうです。
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という悩みをうかがうことがあります。

修羅場となっている現状から抜け出し、
子どもが自分の問題に、自分で向き合っていくようになるには、
どうすればよいのでしょう?

いったん、これまでの経緯と今の様子と、今後の可能性を
整理して考えてみると良いかもしれません。


上の悩みを打ち明けてくださった方によると、
お子さんは園で何度か先生から指摘を受けて、発達検査を2度受け、
発達障害はないと診断されたそうです。

ここで大事なのは、子どもさんの気がかりを、
たくさんの子どもの世話をしている園の先生も指摘しているという点です。

つまり、この子に必要最低限のことをさせることは、保育や幼児教育のプロにとっても困惑するものだったはずなのです。


ですから、この子に必要最低限のことをさせるだけで
ヘトヘトになっている親御さんというのは、

一般的な親御さんより神経質なわけでも、
子どもに過剰に期待しているわけでも、
しつけが下手なわけでもないことが
わかります。

そのことを、親御さん自身が納得して、
それでも子育ての責任を果たしている自分を
ねぎらってあげる必要があると思うのです。

発達検査を2度受けて、発達障害ではないと診断されたとすれば、
ゆっくり成長している部分はあったとしても、
それは時間の問題であって、いずれできるようになっていく希望は大きいです。
検査をして明らかなハンディーキャップがなかったということですから、
気持ちを切り替えることの難しさや、
不器用さからくる作業の遅さや、嫌なことを後回しにしようとする態度や、
時間にルーズで動作が鈍かったりするところは、
一朝一夕には直らないけれど、
本人が自分で自覚して直していかなくてはならないところです。

同じ親御さんが、次のようなエピソードをつけくわえておられました。

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それでも、入学と同時に一番問題が少なくて簡単そうな通信教育を始めて、そちらは週3回ほどやっていますがそれなりに楽しそうに取り組んでいます。知らない間に理解力もついていました。
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このエピソードからわかるのは、
ゆっくりではあるものの、できることはがんばっていこうという前向きな努力はする子だということです。
でも、できないことがある……ということです。

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必要最低限のルールだけは守っほしいし、「やらなきゃいけないことならばさっさとやる」ということを、
いつになったら分かってくれるのか……
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と親御さんが、子どもの愚図ぶりにやきもきするとき、
親御さんの外の人間から、
「親が、最低限のことを子どもにきちんとやらせてほしい。ちゃんとした親をしてほしい」と
期待されると苦しくなることと思います。

もし、学校から帰宅するなり、
ランドセルから連絡帳と宿題を取り出して、テキパキとすることを済ませ、
ついでに明日の時間割まで合わせてしまって、
「宿題は少ないから、お家のワークもしたいな」と言うような子を
育てているとすれば、
誰だって楽して立派な親ができるわけです。


そうでないから、毎日、苦労をしても、苦労をしても、
報われなくて、親としての自信がぐらつくのですから。

でも、この状況は、子どもの側にも言えることなのです。
「やらなきゃいけないことならばさっさとやる」ことを心地よく感じて、集中することが苦にならないような脳に生まれて、
手先も器用で、テキパキ動ける体に生まれたならば、
自分から進んで、するべきことをこなしているはずですから。

「あぁ、割にあわない……」と感じても、
自分の身体も脳も取り替えることは不可能ですから、
思い通りにならない身体や脳を持って生まれても、
それを受け入れて、がんばっていくしかありません。

宿題の塗り絵をグズグズするようなとき、
「これくらいのことができない」と冷たく突き放すのではなく、
塗り絵くらいは少し手伝ってあげて、
そうした温かい雰囲気の中で、ほんの少しだけでも成長した部分を見つけて
いっしょに喜び合っていると、
子どもの側も、小さな進歩に気がつくようになって、
自分を励ましてがんばれるようになっていけるかもしれません。

苦しい努力をしている子を攻撃しても、
0か100かの捉え方になって、全てを投げ出してしまうのがオチですから。
イヤイヤやっている子には、
嫌な作業の中にも、小さな楽しみや進歩の喜びや面白いところがあることを、
身近な大人が関わることで、
気づかせてあげることが大切だ思っています。


小学1年生のグループレッスンの様子

2013-12-05 18:21:09 | 通常レッスン

このところ忙しいとカメラの調子が悪いのが重なって

レッスンの様子をほとんどアップすることができませんでした。

楽しみにしてくださっていた方々、申し訳ありません。

 

小学1年生の☆ちゃん、★くん、○ちゃんのレッスンの様子です。

☆ちゃんが作ったゲームブックをみんなで読むうちに、★くんも○ちゃんも

作ってみたくなりました。

カセット絵本を作った子らの話をすると、カセットテープに問題を吹きこんで、

聞いて楽しめる本作りを目指すことで意見がまとまりました。

 

 

★ちゃんと○ちゃんは持っている時間をぎりぎりまで使って、

本作りに全力投球していました。

途中でゲームや実験がしたくなった●くんは、途中から電卓を使った計算遊びをしたり、

科学の道具が入った箱を開けて遊んだり、女の子たちに頼みこんで

スロットカードのゲームをいっしょにしてもらったりしていました。

算数タイムの様子です。

 

3人とも算数が得意な思考力が高い子たちなので、トップクラス問題集1年生の

少し凝った問題をしました。

 

立方体のつみきを1だん目に 1こ、2だん目に 3こ、……と つんで

いって、4だん目までつんだ時に

上から見たとき、かくれて見えないつみきの数を数える問題や

よこから見た時にかくれて見えないつみきがいくつか考える問題。

 

黄色1だん、青4だん、白3だん、赤2だんの積み木を並べた絵を見て、

左側や右側から見た時のそれぞれの積み木の数や

どちらからも見えないつみきの数を考える問題、などです。

 

実際にブロックを置いてみて

考えないとわからないものもあり、

かなりやりがいがあったようです。

物事をじっくりと的確に考えていく○ちゃんは、大人でもミスするような部分も

読み落としなく正確に解いていました。

算数が得意な●くんは、うっかりミスこそあったものの、

難しい内容もすばやく理解して、解いていました。

解き終わった後で、★ちゃんが「もっと、解きたい!もう一枚、プリントない?」と感動したような大きな声で

言っていました。


政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり)

2013-12-05 14:57:14 | 初めてお越しの方

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 1

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 2

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 3

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 4

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 5

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 6

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 7

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 8

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 9

の続きです。

 

 今日は息子とわたしだけの寂しい夕食。食事中に、殺戮系の小説

(むごたらしく多くの人を殺す内容の小説)の流行と、ネット上でしょっちゅう起こっている

いざこざについて話題がのぼりました。

 

息子が、こんなことを言っていました。

「中高の友だちのなかじゃ、親に良い悪いを決められて、何を見るか、何をするかで

制限を受けてることが多いやつほど、くだらないものに

はまってたよ……殺戮系のゲームとかマンガとか。

高校生くらいになってああいうものに極端にはまる友だちって、聞いてみると、

それまでに楳図かずおのマンガとかサイコホラーの小説なんかは、

一度も読んだことがなかったりするんだ。

大人が子どもに良いものと悪いものを見分けて分析して、

良いものを与えよう、良い物を与えようってするのも程度ものだと思うな。

だって、どんなに『子どものため』という大義名分のもとでそうしたところで、

良いものを選ぶ過程で、絶対、選ぶ大人の私利私欲が含まれてくるように思うんだ。

国がそういうことする場合、人類全体の私利私欲ってものに関わっているのかも

しれないけど。」

 

母 「そうよね。幼い子の世界でも、何もかも大人が選んであげることが

当たり前のようになっているけれど、そこで知らない間に

大人の利己的な面に傷ついていってる子も多いと思うわ」

 

息子  「もちろん、商業主義の世の中だから、大人がある程度見分けてあげないと、

くだらないものを勧められやすいってのはあるし、実際、危険と隣り合わせのものに

子どもが接触する機会も多くなるんだろうけど。

 

でも、前提として毒を知らないと、きれいな話やまじめに人生を考えていこうとするような話が、

薄っぺらくてあほらしいものにしか感じられないもんだよ。

毒といったって、くだらない大量殺人の話なんかじゃなくて、

社会や人のダークで醜い一面……犯罪や死を扱っていながら、そこで作者が

真剣に生きる意味と格闘しているような作品にある毒なんだけどね。

ぼくにしても、筒井康隆の毒のある小説を読んではじめて、小学生のころ読んだ

『あすなろ物語』のいい部分がやっとわかったからね」

 

母 「子どもの世界をすべて光ばかりにしてはいけないって意見……光のもとでだけ育てちゃいけない

だったかな? とにかく暗闇というか影の部分も必要だって話を

目にしたことがあるわ」

 

息子 「大人が子どもに良いものだけ、頭を良くするものだけ、きれいなものだけ選んで

与えていたら、嘘に出会わないし、それが進めば進むほど、頭が悪くなる気がするな。

世間一般に流されやすいか、周りの人や世論に流されやすくなると思う。

そんな風に自分で取捨選択するのが苦手になるだろうな。ぼくが学校で見たことがある

いじめの先導者は、そんな風に自分の意見を保っているのが難しいタイプだったよ」

 

母  「子どものためにって、いいものを見分けて与えるのって、誰もがいいことだと感じているから、

そこにある問題が気づかれにくいのよね」

 

息子 「殺戮系の本がぼくらの世代に流行っているのって、確かにいい感じがしないかもしれないけど、

そういう事実を無視せず、確認しておくのって大事なんだと思う。

ほら、ネット上で、しょうもないことで悪口が飛び交って揉め事が

しょっちゅう起こっているけど、そういうのも、そんな馬鹿な人がいる、

そんなのやめろ、と言って済む問題じゃないと思うんだ。

そんな風にあちこちで、無駄に殺意や怒りが吐き出されているって、

それはひとつの現象として、背後にもっと重要な何かが隠れているように感じるんだ」

 

母  「わかる、わかる。お母さんの子どもの頃のハトにしたって、そうだったんだから」

 

息子 「ハト?」

 

母  「あ、前に話したかな?お母さんの子どもの頃は、団地中の人が、

ハトハト無駄にうるさかったのよ。怒りの矛先は常にハト公害に向けられていたけど、

それで平和を保っていたけど、みんな表現できていない怒りやイライラを抱えていても、

本当にぶつけるべき相手にぶつけることができなかったのよ。

それでハトに対する執念はすごかったわよ、わたしの目の前でムギューッて子バトの首が

へし折られたんだから。あの光景を忘れたことはないわ」

 

息子 「そうか、急にハトが出てくるから驚いたよ。

そうだよね。無意味な殺戮ものを求めたり、何の得にもならないネット上のののしりあいに、

たくさんの人が夢中になるのは、

攻撃のやり方が間違っているか、攻撃対象が間違っているか、そのどちらかか、どちらもなのか、

とにかく本当に自分が戦う相手を見失っているんだと思う。

 

これはぼくだけの考えだから、ちょっと変な意見なんだけど……

そういう現象見ていると、日本も海外みたいにスラム化していく地域

が増えていくのかなって思うんだ。

今は、生活保護に対して不満を持っている人が多いし、確かに

不平等でおかしなことになってる面も大いにあるけど、これで支給が大きく減らされたら、

今度は刑務所の食事を当てにして、犯罪を犯す人が増えてくるんだと思うよ。

そんな風にして、近いうちに、

ちょっとした政策の変化で、いろんな場所でスラム化が進むんでいくんじゃないかと

思っているんだ」

 

母  「確かに、いろんな地区がスラム化していないことの方が不思議なぐらい

経済的に危うくなってるものね」

 

息子  「大阪に住んでるとさ、ほんと、いつここがスラム化してもおかしくないって

感じるよ」

 

息子  「潜在的な部分で、無駄に殺意や怒りが吐き出されているって状態は、

今の表面的な平和がちょっと崩れただけで、

いつ海外で起こっているストライキのようなものが日本中で頻発するようになったって

おかしくないってことだと思う。

戦ってはいけない、平和でなければいけないって、論理とか法律とか、メディアの力で

押さえつけるだけじゃ、これからはダメなんだろうな。

 

経済的な発展が遅れている国に比べたら、日本は自由で豊かで恵まれた国だよ。

職業選択や生き方は自由だし、遊技場にしても、

買って楽しめるものにしてもたっぷりあるにもかかわらず、

幸福度指数が低くて、心を病んだり、生きることに疲れていく人が多いよね。

それって、もっと国が豊かになってお金の悩みがなくなったら

解決するほど単純な問題じゃないと思う。

日本の経済を潤してくれるような成功者が出てくるとか、

新技術が発見されて経済が好転するといった商業主義にのっとっものじゃ

解決しないってこと。

 

オーバーなようだけど、革命というか……社会全体のシステムを一新するような

革新的な解決が必要なんじゃないかな?

お金では得しなくても、精神的によくなるシステム作りというか。」

 

母  「経済的な豊かさ以外に、どうな解決法があると思うの?」

 

息子 「今、何が苦しいのか、何が社会を暗くしているのかというと、

一番にあるのは、仕事の問題なんだと思うよ。

豊かなはずの日本なのに、正当に働けば働いただけの見返りがあるわけじゃない。

物作りに関わる仕事なら、実際に物を作っている側、汗水流して働いている側が

低い賃金で過剰に働かされて、

作らせている側、ある意味、本当に必要ではない仕事に従事している側がたくさん儲かる仕組みに

なっているよね。

いろんな場所でそうしたことが言われているし、怒りを駆り立てているけれど、

でも、社会の仕組みが複雑すぎて、

いったい何をどう変えたら個人個人にとってよくなるのか、

わかりにくい。

それで、問題を糾弾して騒いだり、本質的な問題からずれた敵を

攻撃するだけで終わりがちなんだと思う」

  

母  「日本に住んでいても、少しも豊かさを実感できないのって、

仕事から生きがいや自信や喜びを得にくいことが大きいんでしょうね。

一生懸命勉強して憧れの仕事についても、就職してから辛くなっていく人が多いしね」

 

息子 「ひとつ変えるとすれば、本当は必要のない仕事や意味のない仕事を減らすこと

じゃないかな。

社会のシステムを見直して、間接的に関わるだけでお金を動かしている人よりも、

ちゃんと働いて何か価値を生み出している人にお金がたくさん行くようにしないとさ。

でも、そうなると、これまでの資本主義の問題点を

さまざまな職種の人に不公平が出ないような形で検討しなおしていかなきゃならないん

だと思うよ。

もちろん社会主義を見習うのは問題が多いし、実際、社会主義の国っていうのは

『行き過ぎた資本主義』みたいになっているから、

資本主義を推している側は、北朝鮮みたいな国を敵対視して、社会主義のあり方への

嫌悪感をあおって、だから資本主義は正しい……って結論づけているように見えるよ。

でも、そこで、さまざまな今の社会へのいらだちや不満を攻撃の的にした国

をバッシングするこで

うやむやにしちゃいけないと思うんだよ。もちろん、北朝鮮の問題は問題としてきちんと対処

しなきゃならないんだろうけど。

でも、怒りの矛先を向けるものができたからって、今の資本主義のあり方に改める点がないって

ことにはならないはずだよ。

 

真剣にまじめに働いたら損したり、

働きたい人が働けなかったり、働けたら働けたでサービス残業をしまくらなきゃならなかったり……

法律の抜け道がそうした社会システムを温存させているなら、

戦う相手は、漁夫の利を狙うように攻撃を一方向に向けさせては

利益を得ている人が作りだす架空の敵じゃないはずだよ」

 

母 「そうよね。いろいろなものに対してイライラして過ごすうちに

本当の問題が見えなくなっているけど、でも、問題が見えてきても、

どう改善していけばいいのか見当もつかないわ。難しい問題ね」

 

息子  「ぼくは頭が良ければ、勝ち組になってお金が儲かるってシステムは、

安易に肯定しちゃいけないと思っているよ。

ドラゴン桜とかのマンガじゃ、お前も勉強してかしこくなって金持ちになって、成功者の

人生を歩めって言葉で、子どもたちのやる気を引き出して、

受験勉強に向き合わせようとしているけど、

そもそも学問って金儲けをするための道具じゃないしね。

そういう考えが、悪知恵が働く人、うまくごまかせる人

が儲かるシステムを作ってるようでさ。

携帯電話の販売にしても、世間でうまくいっている多くのものごとが、

わざとややこしくして人の盲点をついて騙して売るような形を取っているじゃん。

 

政治に何か期待するとしたら、

法律でくだらないことを規制しなくていいから、もっと経済全体を見渡して

これはおかしいって点を正して、人がまじめに正直に働く意欲があれば、

働いた分だけはきちんと返ってくるような健康的な社会になることを考えてほしいよ。

でも、もしそれを目指すとすると、一部の上層部とされる人々が議論するだけじゃ無理で、

精神的な面で大衆全体の意識が変わらなきゃ難しいんだろうけどね」

 

母  「精神的な面で大衆全体の意識が変わる必要があるというのは、具体的にいうと、

どのような変化が必要だと思っているの?」

 

息子 「知識も産業も最先端まで行くと、その先は退化していくだけって印象があるよね。

さまざまな分野で、もう発展しつくしているから、ここから先は欲求を抑えていくだけ、

我慢していくだけのように見えるというか……。

自分には、戦う相手を定めて、本気で格闘していく必要が与えられていないというか、

何か自分がやったら国に迷惑がかかるから、ひたすら国のために働いて死んでいかなければならない

と信じこんでいるというか。

確かに、知識の面でも産業の面でも乗り越えなければならない大きな山とか、

突破して打ち倒さなければならない相手とか、そういう自分の戦士の部分、ヒーローの部分を

燃え上がらせて、向かうべきものが定めにくくなっているよね」

 

母 「電化製品の製造も、みんなが本気で欲していた技術は達成されて、

今はデザインやネーミングで差別化をはかってたりして……確かに

自分を燃え上がらせて何かを打破するって時代じゃないわね。」

 

息子 「戦後のどさくさを生きてきたとか、学生運動してたとかいう人が、

今よりずっと苦しかったはずの過去を振り返って、あの頃は活気があったって、

肯定的に話すのを聞いていると、

人は冒険心とかヒーローになりたい気持ちとか、そういうものを外に出していける場が

あると、生活はどうであれ生きている実感が湧きやすいんだなと思うよ。

 

それで今、自分たちは最先端に近づいていて、これから先は小手先で見た目をいじるだけだとか、

我慢していくだけだとか、退歩していくだけだとか考えて、

理由もなく生きることに疲れてくる人が増える気がする。

 

今日、現代文の勉強していてさ、西洋医学の病名をつけてそれを重視する

医療と、東洋医学のホリスティック(全体的)医療について書いてある文を読んだんだ。

その文でしている批判は、病名をつけてそれを根絶する今の医療が、

病気は自分を超えた存在から与えられた試練で、生き方を考える

きっかけとみなすような感覚とか想像力や治る力を弱めているんじゃないかって話なんだけど。

 

それ読んで、現代に必要とされている意識の変化ってのは、

西洋医学の先っぽまでいって、先に進めなくなっていた医学の世界が、

東洋医学のホリスティック(全体的)医療の考えを認めていくのに

似ているんじゃないかと思ったんだよ。

 

最先端で、これ以上先がないように見えるものの先に目を凝らして、

ため息をつくんじゃなくて、

それ以外のもっと全体的な見方があるんじゃないかなと考えるってことだよ」

 

母  「ホログラフィックユニバースを書いたマイケル・タルボットがしたような見方を

取り入れるってこと?

今の政治や社会のあり方に?」

 

息子 「そうだよ。どの分野も最先端に向けて進歩し続けているって

捉えられている一本の道筋があって、

その道上の進退にばかり目が奪われているけれど、

同時にもっと全体的な見方で、医療の世界でいう東洋医学的な捉え方で、

それを見直す必要があるんだと思う。

そういう意識の転換が、これからは求められているんじゃないかな?」

 

長くなったので続きを読んでくださる方はリンク先に飛んでくださいね。

 

政治と社会システムについて考えること 5

政治と社会システムについて考えること 6

政治と社会システムについて考えること 7

政治と社会システムについて考えること 8