虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

機能不全家族について  もう少し 4

2013-10-31 09:18:52 | 私の昔話 と 物語


前回の記事にこんなコメントをいただきました。(子どもさんのお名前があったので、非公開にしています)

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先生の猫拾いさんの記事を拝読して、子どもたちは地域社会でお育てする、その意味をかみしめました。
先生は幼いころの出来事を社会的な意味を見出して覚えておられるのです。私事ですが、ギャンブラーな父と宗教家の母という対照的な2人に育てられ最近までインナーチャイルドに苦しんできました。
誰でも、完璧な親になる必要はなくて、みんなで子どもをお育てする意識が潜在的にもあれば、うまくいく雰囲気になるのかなぁと思いました。

ここからは、個人的なことですが、先日小学校一の息子のクラスで絵本の読み語りをさせていただきました。私の感受性が強いのは中学生のころからですが教壇に立ったときのくらすの 雰囲気が異様で、イライラした感じの空気がクラスの真ん中にあって敏感な子どもたちはほかの子どもをけったり叩いたりしていました。そうでない子どもたちはどこか、ぼーっとしていて何も受け付けない様子。
絵本を読み始めると、ぼーっとしている感じの子たちは絵本を見つめているのですが、世界に入り込んでいる様子ではない感じの子もいて私には衝撃的でした。
うまく書けませんが、教室のイライラ感(雲?)はなんなのでしょう?謎です。こんな中で何を学ぶのかふしぎです。とりとめなくてすみません。

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わたしの記事から、地域社会で子どもを育てていく意味を見出していただきありがとうございます。


話が少し脱線しますが、うちの子らがまだ小学生だった頃、「地域で子どもを育てていく」大切さと難しさについて

しみじみ感じたことがありました。

それを『本当に悪い子なの?』 という記事にしたことがあります。(時間がある方は読んでくださいね)

 

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 『本当に悪い子なの?』 

息子が小学3~4年生の頃
同じクラスに暴言をはいたり 暴力を振るったりすることが多く
クラスになじめない男の子がいました。
息子とは正反対のタイプで
おまけに息子には他に仲の良いお友達が何人かいたのですが
その子は毎日のように 息子と遊びたいから…と言って
遊びに来ていました。
せっかく遊びに来ても 数分もすると その男の子のワガママが過ぎて
息子たちは よそで遊び始めてしまい
私とその男の子でいっしょにゲームをしたり
遊んだりする日々が続きました。
この子は 私が友達でもいいんだな…と思うと
ちょっとおかしくもあり
時間が許せば遊んであげるようにしていました。

そのうち 
6年生になったその子は
ますます問題行動が増えたようで
たびたび悪いうわさを耳にするようになりました。
その子のお母さんは ずいぶん前に家出していて
暴走族に入っている兄と 粗暴な感じの父親と暮らしている
という話もうわさの中で知りました。

その頃になっても
その子は 私の元にちょくちょく遊びに来ては
兄のバイクに乗せてもらったことや
白バイへのあこがれなどを話して帰りました。

息子と同じクラスの他のお母さんたちは
その子の不良っぽい言動を気にして
子どもを近づけないように注意していましたが
私自身は その子が息子に暴力を振るうとは思えないし
息子もその子に誘われたくらいで悪いことをするとは
到底 思えなかったので
気にせず遊ばせていました。

あるとき その男の子が青い顔でやってきて
「学校のガラスを割ってしまった…。」と言いました。
わざとやったのか カッとなった時に乱暴が過ぎてしまったのか
事情はわからなかったけれど
「私も 子どもの頃 妹とけんかして
トイレに飛び込んで隠れていたら
妹がどんどんトイレのドアを叩くもんだから
しまいにガラスが割れて すごくびっくりしたことが
あるよ。ガラスがある時は
カッとしていても注意しなくちゃいけないね。」
と言うと、少しホッとしたような
なみだ目になって 帰って行きました。 
 
息子が6年生のある日
いつも何ヶ月か置きに演劇を見に連れて行ってたのですが
ちょうどチケットが一枚余ったので
その子を連れて行くことにしました。
誘ったのは 
息子の仲の良いお友達は みんな塾で忙しく
その日に都合が良いのは その子くらいだったからです。
それで 親御さんに伝えて
いっしょに劇を見に行きました。
終始 予想以上のはしゃぎっぷりで
もう楽しくてしょうがない様子でした。
劇場で会った私のお友達は その子を連れてきたことに
ひどくびっくりしてあきれ返っていましたが
思い切って誘ってよかったと思いました。

その時すでに 年上の非行少年たちとの交流があったようですし
もう一年経ったら 道で会ってもそっぽを向くのかもしれません…。
ふつうに暮らしているだけで 悪い道を進んでいきそうな環境で
その子の夢が「白バイに乗ること」だったことが救いで
少しでもいっしょにいれるうちに
「がんばって警察官になってね。☆くんは きっと良い警官になれるよ。」
と繰り返し言っておきたかったんです。


少しして 6年生の修学旅行がありました。
息子の帰りを学校の校庭まで迎えに行くと
子どもたちが 大きすぎるリュックをしょって帰ってきました。
引率の先生は ひとりの生徒をつかまえて
がみがみと叱りながら 歩いていました。
見ると あの子なのです。
きっとよほど悪いことをしたのでしょう。
でも どの子も
迎えに来た親が リュックを持ってやったり
「どうだった?楽しかった?」と声をかけたりして
楽しく帰宅していく中
その子ひとりお迎えがいないんです。
そんな心細い状態で まるで見世物のように叱られているのです。

たまらなくなって その子のそばまで行って
「自転車にまだリュックを乗せれるから 乗せて送っていってあげるよ。」
と言いました。するとそばにいたさきほど怒っていた先生に
「あなた だれですか?」と冷たい口調で聞かれました。
「この子は息子の友達なので…。」と言うと
ちょっとイライラした様子で どこかへ行ってしまいました。
その日 とても辛かったのは
他のお母さんたちの視線が冷ややかに感じられた
ことです。でも おそらく この子についての嫌なイメージが
先行しすぎていたために 場の空気が凍り付いちゃった
だけだと思うんですが…。
悪意があったわけでもないのに しばらく落ち込んでしまいました。

その子の粗暴な行動は
発達障害にあるのか 環境のためなのかはわかりませんが
どちらも根本的にはその子に因があるわけではないと思うのです。

私は今も その子について 「本当に悪い子なの?」と
疑問に感じています。

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文章の中では触れていないけれど、当時は、自分の選択でわが子たちを苦しめているんじゃないか、

先々、わが子に危害が加わるようなことにつながらないか、

という不安が頭から離れませんでした。

 

それでも、そうしたのは、その子の子ども時代は、

今後、もう2度と体験しなおすことはできない、という焦燥感にかられたからですが、

心配が取り越し苦労に終わってほっとしました。

 

 

話を前回の続きに戻しますね。

子どもの頃、さまざまな方から、単に地域の子として構ってもらうだけではなくて、

人と人とのつながりや絆を感じるような可愛がり方をされていたのを思い出します。


高校時代、定期テストの前に「いっしょに徹夜でテスト勉強しよう」と誘ってくれる友だちがありました。

徹夜どころか、夜更けに散歩に出たり、繰り返し休憩を取ったりした挙句、

早々と寝てしまうのですが、

快く迎えてくれる友だちのお母さんに甘えて、度々お世話になっていました。


そこのお母さんは和装や手芸が得意な方で、ある時、わたしと友だちに浴衣の縫い方を

教えてくださることになりました。

美しい色の布地を裁って、いざ縫い始める段になると、わたしも友だちもたちまち飽きて、

仕事を放り出して

おしゃべりばかりしていました。

それで結局、2着の浴衣を仕上げていくのは、友だちのお母さんとなりました。

 

そこのお母さんは、何かたずねると、遠慮がちに笑って、穏やかな調子で、

よく練られた思慮深い返事を返してくださる方でした。

わたしは悪びれもせずに、

一針一針と自分の代わりにそのお母さんが縫い進めていく傍らで、

あれこれと自分が聞いて欲しいことをしゃべり続けていた記憶があります。

 

高校生にもなって、ずいぶん幼い振舞いなのですが、

家では母子の役割が逆転して、わたしは母の悩みの相談役であり、支え役と指南役も兼ねていましたから、

こんな風にわがままな子どもの状態で過ごせる場所を必要としていたのだと

思います。

結婚後、わたしと友だちはめったに会うことがなくなったのですが、

友だちのお母さんは時折、こちらに連絡をくださいました。

数年前に母が亡くなる直前にも、田舎に療養に向かう母のことを心配して

親身になって相談に乗ってくださったことをありがたく覚えています。

 

数駅先にある図書館の司書の女性も、

図書館に通い始めた小学校低学年の頃から、

ずっとわたしを可愛がってくださった方です。

図書館に顔を見せると、貸出の受付の仕事を他の職員と交代して、

わたしの本選びに長い時間つきあってくれていました

その方がたびたびカニグスバーグの作品を勧めるのに、

表紙の絵が暗いため、なかなか手に取りたがらなかったのですが、

ある時、思いきって読んでみたら面白かったということがありました。

他のカニグスバーグの作品も探していたら、

その方が駆け寄ってきて、

こっちの作品はこんな話、あっちの作品はこんな話と説明しはじめて、

その姿が本当にうれしそうで、はしゃいだ様子だったことが印象に残っています。

たまたまその方の新しい勤務先の図書館が高校の最寄り駅のそばだったので、

そうした関係は高校生になっても続いていて、

資格もないのに、司書の臨時アルバイトとして雇ってもらったこともあります。

 

こんな風に子ども時代に可愛がってもらった人々というのはまだまだいて、

挙げているときりがありません。

面白いことに、自分が大人になって子どもと接する時には、

そうして子ども時代に出会った大人の方々の語り口調や癖やユーモアや喜び方や好みなんかが

知らず知らず、自分の内に蘇ってきて、

自分の性格の一部のように感じられることがあります。

そんな時は、子ども時代の不思議に触れる気持ちになります。