筋トレを継続しているからなのか。
幼少期の運動に関するトラウマ的な思い出がよく浮かぶようになった。
小学3年生くらいの頃だったと思う。
体育の授業が嫌過ぎて、親にも先生にも相談して一時的にその授業だけお休みさせてもらった期間がある。
どれくらいの期間だったかは忘れたけれど、体育の授業が本当に嫌で苦痛で、しかし、解決策が休む以外になくて苦肉の策だったように思う。
私だって本当は、体育の授業楽しみたかった。
だけど、なんていうか。あの頃の体育は何をやるのもまずできて当たり前みたいな感じで。
運動音痴のできない子に対してのフォローなんてない体育の授業。
できる子は楽しく。
できない子はできないまま。
ただただ、運動のできない自分を突きつけられて終わる。改善する見込みが自分でもわからない。努力もなにも、毎回やる事も変わる。できないまま、ただ終わる。あの時間が悲しく虚しかった。
担任の先生と相談した際に。
体育の授業をおやすみするためには、先生とひとつのルールを守る事を約束していた。
体育を休むことを毎回、担任の先生に伝える事だ。
だから私は毎回、休みますと担任の先生に言っていた。
その先生は、女性の先生で。
とても親身になってくれる、良い先生だった。
だけどある日。
本当にたまたま、その日は、体調の悪い子がいて。担任の先生はその子を保健室に付き添い、そのまま教室には戻ってこなかった。
その次の時間は、タイミングが悪いことに体育の時間だった。
先生に休むって言わなきゃ。
そう思っているけど。
先生はどこにいるかわからない。
どうしていいかわからない。
このまま、体育に行くのは嫌。
でも、先生に言ってない。
どうしよう。
小学3年生の私は、教室の中でどうしたらいいかわからず。
その時間が終わるまで教室でオロオロしながら先生を待った。
体育の授業が終わり。その後だったと思う。
その後に戻ってきた先生から、ひどく叱られたのだった。
約束をしたのにどうして破ったのか。
なぜ、休むと言わなかったのか。と。
私はその時、あの親身で優しかった先生に叱られたことにひどく動揺して。
確か何も…言えなかった。
あの時、先生は居なかったから。
どこにいるかも、わからなかったから。
そんな言葉を、あの時。
先生のあの剣幕で、何もいえずに。
心の中で飲み込んで泣いた気がする。
とても、信頼してる先生だった。
心の中で、何も言わなくても気がついてくれるんじゃ無いかと期待して。
ただ謝ってしまった。
私は、悪くなかった。
でも、先生に言えなかったことは事実で。
先生は私が言えなかったという状況を知らず。気づかず。
これほどまでに怒るのは。
私がわざと言わなかったんだと思い込んでいるであろう先生に。
何を言っても無駄な気がした。
私は、悪くなかった。
でも。
先生からすれば。
私が悪かったんだと。
その時に思ってしまった。
そのまま、心の中で先生に失望して。
言い訳を全て飲み込んだような気がする。
その後は。
叱られた事がきっかけで、体育の授業には復帰をした。
体育が嫌なのは変わっていなかった。
しかし、私はあの時に。
このまま休み続けても、現状は変わらないのだと学んんでいた。
またイレギュラーな事が起こって休むと言えなければ、私のせいになる。
そして。
これからずっと体育を休んだところで、何かが解決できるわけでも無かった。
ただ気まずいだけ。
体育の授業がくるたび、嫌だという自分の心をねじ伏せていた。
私はあの時、言い訳も事情も言えなかった。だから、もう先生には頼れないのだと思ったのだった。甘え続けても意味はないのだと思ってしまった。
それから。
ずっと、運動が嫌い。苦手だった。
だけど、私の人生では。
何故か”運動”がずっと、ついて回っている。
苦手なら、やらなければいい。
そう思うのに。
私の場合は。それでもなぜか。
苦手なのに。嫌なのに。
何度も何度も、違う形でチャレンジするキッカケや出来事が起こり。
運動音痴でも、これならいけるか?と言う感じで課題として出てくる。
小学3年生のあの頃の出来事は。
私にとっては今だから言語化できるけれど。当時はただショックな出来事として記憶に残っている。
あの頃の私の感情を言語化するのならば。
あれは、ちょっとしたトラウマでもあり。
やっぱり先生に気が付いて欲しかった、ちゃんと言えれば良かったなーっていう心残りのような思いもあるけど。
でも一時的にでも苦手な体育を休めたことによって。気がついた事もあった。
結局あの出来事は、体育をずっと休ませない為に起こった事でもあるんだろう。
今思えば。
私は…ずっと。
運動を好きになりたかったのだ。
体育の授業を楽しめる自分になりたかったのだ。みんなと、ドッチボールや、縄跳びや、跳び箱、逆上がり。徒競走。
うまくなって、みんなみたいに運動が楽しいって、思える自分になりたかったのだ。
それができない自分が、いつもとても悔しくて嫌だった。改善できないまま終わるのが、とても嫌だった。
変わりたくても変われなかった。
だから体育の授業は、その後は。
自分を諦める方でこなしていってた。
アメトークの運動神経悪い芸人の気持ちめちゃくちゃわかるくらいには運動音痴だったから。
その頃の思い出が、最近ふとした時に蘇る。
あの時、先生に休みたいとヘルプを出したけれど。私が本当に変えたかった事は、望んでいたことは。休む事じゃなかったんだろうな。きっと。
その気持ちを誰かに理解して欲しかったんだろう。親身になってくれてる先生に、わかってほしかったんだろう。
だけどあの時、何かわからないけれど体育が嫌という事しか説明できなかった自分は。
あの頃から、自分から周りに理解してもらおうとする事を諦めてしまった気がする。