あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

「不具合」の原因について考えてみる

2021-08-13 | 半径30メートルの事件

マイナーながらいつも

どこかが少し不具合だ。

「いっつもどこかが痛いって言っている」

「私はどっこも何ともない。」

と10歳くらい年上の人に

指摘されてしまった。

痛いだのだるいだのが

あいさつ代わりになった。

腱鞘炎とかアレルギーとか

歯痛とか関節痛に神経痛。

不眠傾向やら逆に

眠くて倒れそうだとか。

なかでも神経痛は辛かった。

丸3か月、左背中から臀部

そしてふくらはぎまで激痛。

仰向けに寝ることもできなかった。

やっと神経痛から解放されたら

次は顎関節。

歯科医院で訴えてみたが

明確な回答はなく、

バランス整体でも治らなかった。

そんな時「病気になる原因」は

「はっきりしている」と言う人を

ユーチューブで目撃した。

体への感謝がないのだそう。

私の場合に限れば当たっているかも。

思春期からず~~~っと

ここがこうだったらいいのに

と思っている。

一か所ならず欠点を嘆いてきた。

マイナーな痛みだが

あちらこちらに続いた

この1年ほどを振りかえって思った。

身体はいつか暴走するんではないか?

自分自身でコントロール不能で

やっかいなモノだ!と

心の深いところで思っている

ふしがある。

この体が私を色々な場に

連れていってくれた。

この体があったから多くの

出会いがあったし

面白い体験をさせてくれた。

身体は私の夢を叶えてくれる

味方なのに。

確かに感謝が足りていなかったと。

折しも下半身の神経痛が

再発する前のように背中が

盛り上がり押さえると

ずきんと痛んだ。

鍼灸治療を受けた後、

背中をなでながら、

「いつもありがとうね~」と言う。

幸い酷くならずにおさまった。

現在ギターも不具合だ。

「遠因」は電気系統の不具合。

その前に買ったギターも

安易に買ったから私の体には

合わなかった。

20年使ったギターは

私にしたら高かった。

これから先活動できる年月を考えた。

もう同じレベルのギターは

持たなくてよいと思ったのだった。

結局は妥協した。

自分の活動を支えてくれるギターに

思いいれがなくて

一体どんな活動をしたいのか?

誰に向かって何を

歌おうとしているのか?

今は自戒の念を込めてそう思う。

つまり活動に対しての敬意がない。

自分への敬意がないのも同じ

ではないか?

不具合の「原因」はそこではないか?

600万円の楽器を買った友人を

思いだした。

その道に腹をくくったと言うこと。

自分はどうか?

自問自答するまでもなく

それならば当然

「ボチボチ」は超えられない。

「感謝」の先にある「本気」を

ギターが教えてくれた。

70代になってもギターを抱えて

歌っているおばあちゃんー。

それはそれで素晴らしい

生き方じゃなかろうか。

新屋まりはレジェンドに

なるのです。

 

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