●豪雪の共通一次と晴天の私学受験
独り暮らしの原因になる大学受験は大変だった。昭和58年1月の新潟県内は豪雪に見舞われ、早朝の柏崎駅前に雪を掻き分け徒歩で参集すると、貸切りバスで共通一次試験会場の長岡技術科学大学へ。雪壁で外が見渡せない車窓はギュウギュウ詰めの受験生の人いきれで曇り、試験を前にげんなりさせたものだ。
かたや私学の受験で小学生の頃以来で季節的には初めて訪れた真冬の東京は、連日嘘のような晴天で、人々は何と快活的かと目を丸くした。同じ受験生でも明暗のような環境の年々歳々が雪国育ちに大きなハンデを与えているに違い無い。味も食べ応えも淡泊な細麺の東京流ラーメンが何故か侘しさを増長させた。
豪雪と真逆の晴天乾燥のコントラストが強すぎたのか、東京での私学受験は全敗。兄に続き弟の大学進学など想定外だった町工場勤めの両親は表向き慰めてはくれたが、カネの掛かる私学の東京賃貸暮らしが回避できた安堵を隠さない。後は国立不合格ならばと、地元縁故の企業への就職の手筈を進めていたのだ。
国公立大学の文系は特長で選ぶというより偏差値で身の丈に合ったところに行こうと考えていた。頭の出来が悪い私は、スシ詰めバスで気分の悪い中の受験という言い訳もできるにしても、共通一次試験の自己採点結果のあまりの悪さに愕然とした。ボーダーラインの地元大学一本に絞り、神仏に祈るしかない。
2次試験は筆記試験で新潟大学の校舎で行われる。柏崎在住の私ら受験生は、新潟市内に前泊して午前からの試験に臨むのだが、キャンパスは郊外なので新潟駅前のホテルからバスで一時間弱も要する。一次試験のバス移動で気分を害した経験と不足の事態を思案していると、父が大学近くの宿を手配したという。
大学進学よりも就職しろなどと言ってはいたが、自動車関係の営業の仕事で顔の広かった父は新潟市在住の友人に相談して、その知人が経営するアパートの空き部屋を2次試験の宿に確保してくれた。新潟大学生向けで構内まで徒歩5分ほどという。バス移動に慣れていない私への気遣いに親の有り難みが沁みた。
(「新潟独り暮らし時代2「豪雪の共通一次と晴天の私学受験」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代3「大学入試2次試験のため空き部屋借用」」に続きます。)
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