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商標の広場

弁理士の福島が商標のお話をします。

高橋是清は商標制度の育ての親だった

2015-07-01 17:26:07 | 日記

総理を経験したことのある高橋是清は商標制度の育ての親だった。彼が商標を含む知財に興味を持つきっかけは、1874年(明治7年)ごろのことであったという。当時、彼は文部省に教育制度確立のため雇われていたアメリカ人モーレー博士の通訳をしていた。

かのヘボン博士が辞書を再版する際に、版権をとる方法についてモーレー氏に相談があった。是清が内務省に行って調べたところ、日本の法律は彼らには及ばず、それゆえ保護の途もないとのことであった。その際にモーレー氏が言いうことには、「日本には著作を保護する版権はあるが、発明・商標を保護する規定がない。

外国人は、日本人が外国品を真似たり、商標を盗用して、模造品を舶来品のようにして販売していることを非常に迷惑に思っている。米国では発明、商標、版権の3つを智能的財産(Three intellectual properties)と称して最も重要な財産としている。日本でも発明・商標を保護する必要がある。」とのことだった。この話を聞いた是清は知財の重要性を大いに感じ、法律制定に奔走したという。

以後、是清は商標制度について暖簾(のれん)と商標の混同を問題にした。東京商業会議所によると、暖簾とは永く忠勤した番頭に、その主家から分けて与えられるものであり、それを登録して登録者の専有物として、いっさい他人が使えなくするのは商習慣に悖るとのことであった。この事実から、暖簾と商標の区別を是清も理解できた。是清が育てた商標制度には長~い歴史があったとさ。