じんじんと欠けていく日を薔薇に感ず
ダイヤモンドリング空の闇裂く色涼し
白昼夢現れており柳絮(りゅうじょ)飛ぶ
コロナ涼しおろがむ我等古代人 (暮畦子)
【註(柳絮~綿毛をもった白い柳の種子)(おろがむ~拝む)】
7月22日は全国各地で部分日食を見ることができる。
奄美大島北部や屋久島などでは皆既日食を見ることができる。
昼の太陽光と夜の松明しか灯りのなかった古代人たちは、突然世界が暗闇になった時、一体どのような反応を見せたのだろう?
自分たちの日々の争いごとや不実な行いを省みて、懸命に祈りを捧げたのではないだろうか?
皆既日食は、1年か2年に1回くらいの割合で観測することができるらしいが、世界中のどこか遠いところで起きている現象なので、自分からわざわざその場所に行って見ない限り一生体験することはできない。
日本で観測されるのは実に46年ぶり、次回はさらに26年後まで待たなければならないという。
加えて今回の皆既食継続時間は今世紀中最長だというから、この珍しい天体ショーに注目が集まるのは当然だ。
皆既日食ツアーを募る旅行社のパンフレットをよく見かけるが、もし大枚をはたいて参加したとしても雨が降ったら一巻の終わり。
私も興味は尽きないが、自宅にて観察することで甘んじることにしよう。
この記事冒頭の皆既日食を詠んだ俳句の作者・暮畦子は私の父。
これらは1936年(昭和11年6月19日)の北海道女満別日食を詠んだ作品である。
父(27歳)が、当時どこでこの皆既日食を見上げていたのかは知らないが、自然への畏敬と深い感動が生まれたことが伝わってくる。
身びいきは承知で.......背景も大きいし瑞々しい感性と色彩感覚だ。
父はこんなに若くして俳句の本質を捉えていたのだろうか?
これらは私のまったく知らない27歳の父の素顔だ。
この時の皆既日食はかなり見事なものだったらしく、当時の新聞を調べてみたら見出しに『陽太い黒』と書いてあり、あれ何だろうと戸惑ったが......
ここはもちろん『黒い太陽』と逆から読まなければならないところ。
一説によると皆既日食が観測される国のその年は、まがまがしい出来事や災害などが起きると言われているが、昭和11年と言えば二・二六事件や阿部定の猟奇殺人などが起きた年である。
他方皆既日食を吉兆のしるしとする説もあり、昨年の北京オリンピックの時には、会期中に見事なダイヤモンドリングが見られたことは記憶に新しい。
さて今年は我が国で観測される皆既日食。
吉と出るのか凶と出るのか?
日食というと、なぜか小学校の思い出にリンクされます。
父親のことってなかなか話題にしづらい(忘れられている?)のですが、今回日食から連想して思い出し、ちょっと親孝行した気分です。
きっと喜んでいると思います。
>親譲りなんでしょうかnihaoさんの感性も
う~ん、今から俳句をやってみたらはっきりするかも.......。
でも正直言って意味はよく解らない(笑)
俳句や短歌に苦手意識を持つ人が多いのは、意味がよく掴めないからなのでしょうね。
自分で作るようになったら意味が解るようになるかしらね?
日食は5・6分で終わる天体ショー。
天気が気になりますね。
見逃さないように↓を参考にしてください。
【http://www.vixen.co.jp/se/info.htm】
じんじんと欠けていく日…
やっぱ、ご両親ともに素晴らしい感性の持ち主だったんだね。今更なんですけど。親譲りなんでしょうかnihaoさんの感性も。
きっとそうだよね。
若いときは全然興味がありませんでしたが、最近はとても心惹かれます。
でも自分で作れるかというと、それは全く別問題。
一方短歌は、字数が多い分だけ鑑賞が難しいような気がするのですが、うららさんはどのように感じていらっしゃるかなあと......いつか機会があったら教えてくださいね。
。
日食を見てこんな感性を抱けるなんて凄い感性ですね。
昔!いつ頃?だったか、太陽が欠けていくのを見ていた記憶が
眩しいのと黒くなっていくのを不思議な気分で見ていたような
でもすぐにあの眩しい太陽に戻ってしまったと思うんですが、天候は?今年は見れるのかしら?
ダイヤモンドリングが空の闇を裂く、というのも想像力をかきたてます。
なるほど、nihaoさんの文章力、文に対する感性はお父様譲りなのですね。
よくまあ、こんな表現ができたものだと、我が父ながら感心します。
又三郎さんの日食の思い出も愉快ですね。
キャッチボールで割ってしまった窓ガラスを、ちゃっかり観測用の道具にしてしまうなんて、当時の学校ってのんびりしていましたね。
そういえばガラスに蝋燭の煤をつけて観測グラスを作った記憶あります!
気温も10度ぐらい下がるかも......。
束の間の避暑気分を楽しんでください。
こまめさん、日食を観察する道具を作らなくっちゃ!
>お父様は俳人だったのですか
そうなんです。
でもこんなに若い時から作っていたとは私も知りませんでした。
父は亡くなるときも、枕元に辞世の句を残していました。
さすが明治の男ですね。
よき思い出ですね。
きっと百子さんにとっては、空が暗くなるよりもお婆ちゃんと一緒ということが楽しかったのかもしれませんね。
>お父様、ステキなセンスの持ち主ですね
ありがとうございます。
70年以上前の句にしてはなかなか新しい感覚ですよね。
私は俳句は面白いと思いますが、不調法で作ったことないんです。
この写真のようにきれいな黒い太陽は見られないでしょうけど楽しみです。
お父様は俳人だったのですか、nihaoさんもかなりお父様の影響を受けられたと思いますが・・羨ましいです。
吉と出るのか凶と出るのか・・これも見逃せないところですね。
「暗くなってきたね・・・」って。
あれは、いつのことだったんだろう。。。
お父様、ステキなセンスの持ち主ですね。
今回は、nihaoさんの俳句に期待しよう!♪
それはかなり暗くなりますね。
三日月型の木漏れ日も楽しみですね。
確かこちらは、40数%とかの数字を見たような気がします。
天気がよければいいですね。
私は部分日食なら数回経験しています。
小学生の頃は、ちょうど学校の授業と重なって、みんなで道具を作ったりして観察したことがあります。
子どもの運動会と重なったこともあり、その時はお弁当と一緒に黒い下敷きを持って行きました。
このお祭り気分がたまらないんです。
大枚払って観に行く根性も金銭も無いので…
月食は見たことあるんですが、日食は初体験。
関西でも70%くらいは欠けるらしいのでワクワクしてます。
木漏れ日が三日月型になるとか色々言われてますし♪
さすが、nihao様のご尊父、文章力が素晴らしいです。
相方に「日食、いつだっけ?」と訊いたら
「知らん」と言う興味無さ気な回答。
あ~あ。ったく。。。。。