100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

VOL49  明治の三陸名勝 2 「洞雲寺」 (気仙郡盛町)

2014-09-30 09:25:01 | 明治の気仙郡(大船渡市・陸前高田市他)

「洞雲寺」 (旧盛町/現大船渡市盛町) 

 洞雲寺も、前回の正徳寺と同じく気仙大工の代表的な建築物の一つです。左端に白く写る山門は、別名竜宮門とも呼ばれ、浦島太郎に出てくる竜宮城の門にも似た一層部の端部が丸み帯び白漆喰で塗り込められているのが特徴です。建造は文化年間(1804~18)で気仙大工である古沢氏が建てたとされています。写真中央に大きく聳える本堂も天保年間(1830~44)に同じく気仙大工の新沼幸作氏が棟梁となり建てられています。

 さてこの洞雲寺本堂には、明治29(1896)年のいわゆる「明治三陸大津波」により溺死した気仙郡内5678人全員の名前が刻まれた幅1.5m高さ2.7mの大位牌が安置されています。当時、同寺は臨時病院となって負傷者が運び込まれたそうです。懸命の治療及ばす亡くなられた方も大勢いたことと思われます。最期の場所となった洞雲寺門前に犠牲者の霊を弔う大海嘯記念碑が七回忌に当たる明治35(1902)年に建てられ、同時に大位牌が納められました。

 そして今回の東日本大震災の犠牲者を供養する「観世音菩薩像」及び記念碑・石碑が平成24(2012)年11月に、同じ洞雲寺の境内に建立されました(これ以上大津波記念碑が林立することは絶対に避けなければなりません)。

 

「明治の三陸博覧会」記念写真帳とは?