暦の上では立春を過ぎて2週間経過、日中は晴れても、真冬のような厳しい寒さが続きます。
風も強く、一層寒く感じられますが、二十四節気はその2番目の雨水(うすい)へ移行します。
雨水とは、降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃のことです。
山に積もった雪もゆっくりと解け出し、田畑を潤してくれます。
昔から、雨水は農耕を始める時期の目安とされてきました。
『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されています。
実際は積雪のピークであり、それゆえ、この時節から寒さも峠を越え、衰退し始めると見ることもできます。
春一番が吹き、鶯の鳴き声が聞こえ始める地域もあります。
雨水とは、この日から次の節気の啓蟄前日までをいう期間としての意味もあります。
西洋占星術では雨水を双魚宮(うお座)の始まりとします。
土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)
寒さもゆるみ、眠っていた動物も目覚めます。
霞始靆(かすみはじめてたなびく)
山野の情景に趣が加わる頃。
春に出る霧を霞(かすみ)と呼び、夜の霞は朧(おぼろ)と呼ばれます。
草木萌動(そうもくめばえいずる)
やわらかい春の日差しの中、草木が芽吹き、新しい命が生まれます。
旬のもの 野菜 春キャベツ
春キャベツ(写真下)は、他のキャベツ(写真上)よりも独特の丸みがあり、重なりや巻きが緩やかで葉が柔らかく、比較的中のほうまで緑が濃く甘みがあります。昔から胃腸の調子を整える保健食として食べられていました。
目で見る限りにはわかりません。
霞は「たなびく」と使いますが、霧には使いません。
霧は「たちのばる」と使います。
雛祭りや結婚式には欠かせない縁起のよい貝です。蛤の二枚の貝殻は対のもの以外とは合わないことから夫婦和合の象徴とされ、祝事に用いられる食材となりました。
辛子菜には特有の辛味と香りがあり、その種は和からしの原料となります。
種子は生薬としても効果があり、神経痛や捻挫などにも湿布として用いられます。
種を絶やさない「金沢の伝統野菜」に認定されました。
中国古代の天文学での七十二候では、雨水の初候は「獺祭魚(かわうそうおをまつる)」でした。
かわうそが捕らえた魚を川岸に並べている様子が、人が祭りのときに物を供える様子に見えたことから生まれた季節の名前です。
旭酒造の 日本酒「獺祭」の持つ由来はここにあります。
出典: この項 参照 出典: 暦生活 および ウイキペディア
https://www.543life.com/season/usui
閑話休題: 少しまともな私が 悩める私に意見する
長女が生まれたころ、郷里では一般にほとんどの人たちが体験する問題が発生していた。
母親の長期間の鬱病である。遠く離れているだけに心配はつのるが、けっして好転することはなかった。
やがて骨粗鬆症が悪化し、歩行に支障をきたすようになり、このまま一人で生活することも難しくなった。
郷里の母の身内に相談し、こちらに引き取り 我が家の別棟に住居を準備し住んでもらうことにした。
しかしほとんど病院と施設の往復に明け暮れ 準備した住まいでの居住期間は短いまま20年が経過していった。
20年間 家人の至れり尽くせりの献身的なサポートの後、 ‘19年11月9日 母は老衰で亡くなった。
親より一日でも余計に生き、親を見送ること。 身近で見送ることができて少しだけ安堵した。
私に替わって8代目を継承しようとしていた弟が果たせなかった任務を一つ 結局私が果たすことになった。
普通の家のように生まれた順番にこの世を去ること。3代にわたって果たせなかった我が家の悪弊を元に戻した瞬間であった。
この「普通の家のように」というフレーズが私には何より貴重なのだ。一個くらいは人並みもあってよい。
50代初頭 私の摘出された胆嚢のポリープは その時はまだ悪性ではなかったが切除された。
が、20年以上を経過して母の死を確認するや否や、思いもよらぬ場所から形を変えて姿を現した。
母を見送った翌年の定期検診で今度は自分の右の肺に癌細胞が発見されることになる。
担当医長の話では「あなたの肺は 肺気腫で もうボロボロですよ。」
それは女神のいたずらではなく試練を活かし切れなかった意志の弱い自分の生き様の結果であった。そして心にゆとりがないことからくる不養生、医師の忠告を無視した生活に原因はあった。 意志の弱さは誰のせいでもない自己責任である。
2020年の暮れ 右肺下葉が切除された。 ボロボロになった細胞はもろく気管支の縫合が容易ではなかった。このため気胸が発生し、2度の手術を受けることになった。 予想外の手術を経て2週間の入院のあと年の瀬に自宅へ帰された。
術後の生活は今まで体験したことのない時間の過ごし方の連続であった。 7年間続けたゴルフ早朝練習は続行不可能になった。 それ以上の問題は50年以上続いていた日々の喫煙タイムが消滅していたことであった。
消滅した喫煙タイムの時間は 替わりに自らの人生の愚かさに心を痛める懺悔と 底知れない不足感を味わうことで費やされていく。 自分の健康管理に配慮出来なかった自らへの戒めが始まった。
長い間生来の優柔不断と人のよさが元で俗にいう「損な役回り」をふんだんに背負い込むことになった。しかし情にほだされ自らの身を守るために非情に徹した決定を下すことはできなかった。情けないことに特に切る勇気・退く勇気については顕著である。それを躊躇なくできていればこんな時期に悩むこともなかったのだ。
神に望んだ自らを強くするための艱難辛苦 希望通り女神からは 生涯を通して次々と課せられた。 時に自分で背負うには重すぎるものに遭遇し 何度もつぶされそうになった。やがて人生最大の苦難に襲われるが、その内容は記述することすらできないものであった。
黙って耐えて触れることなく、心の奥底にしまったまま 永遠に封印していかねばならない。
そんな封印しなければならないような試練は積もり2件3件と増え続けていった。
これらは 人が独りで耐えぬくにはあまりに理不尽とも思えるもので ことあるごとに感じる不足感の源になった。
誰にも言えない悲しさ・辛さ・苦しさはみんな持っている。でもみんな笑って生きている。
笑って生きられるかどうかで人間のキャパの有無をいう。 キャパが足り無いので心に余裕が持てない。
不足感や人生に対する底知れぬ不満は心に余裕がないことから生じる。
不憫なことに自分は心に余裕がないまま生涯を生き続けた。
ハンドルに遊びがないと運転は窮屈である。 いつも心が狭くどこか窮屈であった。
仕えた偉い人たちに「遊びが足りない」と言われた。真面目過ぎて面白くないというのだ。
彼らの言う「遊びが足りない」とは「人間としての幅が狭くキャパが足りない」ということだ。
結果として自らを清濁併せ呑む大きな器に育てることができずそれが最大の弱点となった。
この点ばかり考えて続けているとさすがに自己嫌悪になる。
人によっては、長期間に渡って自己嫌悪に陥ったままの状態で過ごした経験がある人が意外にも多いという。自分もその一人かもしれない。
自分の中にはいつも「まともな私」と「悩める私」が共存していてその力関係は常に上下している。
心に余裕が持てないことについては 少し「まともな私」が いつも「悩める私」に対して言う。
「お前さんねえ、心に余裕のある人は、自分をしっかり持っているので人と比較することはしませんよ。 いいかい 自分の人生をとにかく大事に生きていりゃ、考え方や口からでる言葉も前向きなのですよ。」落語にでも出てきそうな横丁のご隠居さんの口調でもある。
「だいたいねえ 心に余裕がなければどんなに恵まれていても不満しか生まれてきませんよ。 これがわかんないかなあ、ほんと。
自分の人生がうまくいかないことを他人のせいにするのは、八つ当たりっていうんですよ。」 次第に説教めいてきた話が続く。
話はやがて孔孟の教えまで飛び出し、「どだい 器の大きな人というのは、感情に振り回されない人だと思っていますよ。 それに、器の大きな人はふだんから一喜一憂しない。偉い奴ほど頭を垂れていつも他人さまや環境に感謝しているね。 だから足るを知る者は富むと老子は説いたんですよ。わかりませんかねえ?」
「こんなに色んな目にあってきたのだから、他人より少しは苦労してきたと思うのなら、それを糧として自分を大きな器に育てるべきだったのに そうはいかなかったんだから、現実はね。」
「少しまともな私」は締めくくった。
・折角幸福を手に入れても、それはやがて霞んで見えなくなり、かわりに些細なことで不幸に陥りやすくなる(人間は万物の尺度である)
・自分がどれだけ頑張ろうとも、周囲の人間がそれ以上に頑張り、成果を残すと、結果も評価も伴わないことも自分には少なくない(禍福は糾える縄の如し)
・運命よりも心の力が勝てば、運命は心の支配下になる。
心のもち方一つが、結局、人生の運命を決定するのだ。
(中村天風)
運命よりも心の力が勝つこと。いつも「悩める私」は思う それができれば人生何の問題もない。
感情のおもむくがままに情に流されていては心は運命の支配下になる。 そして何もかも気づくのが遅過ぎることになる。
数奇な運命にもてあそばれた生涯。幼少時からそれが宿命だとわかっていたのだから 正直なところ他より少しはいい思いをなんて考えたこともなかった。ただ普通で平凡な人生を歩むことだけが望みだったのに結局叶わぬままに人生が終わっていこうとしている。
出自から原体験が普通じゃないので そう簡単に本性も変えられない。
いつも「ついていないし幸せじゃない」という思いは いつもついてくる不足感に起因する。
そりゃあ いつか「かつて挫折があってよかった。」と言ってやりたい。でもまだ言えない。「艱難辛苦が自分を成長させた」と言ってやりたい。でもまだ言えない。
・人生あまり難しく考えなさんな。暗かったら窓を開けろ。光が差してくる。(中村天風)
さすがにこの年になると ものごとがうまくいかない原因は常に自分の姿勢にあることがわかる。自分が変わらなければ周囲は変わるわけがない。人生すべて自己責任。うまくいかなきゃ何を言おうが要領の悪い不満の多い奴と笑われてしまう。
そんなところで ちょうど時間となりました。 人生はまだ終わったわけではないし クドクドいうと初老期の鬱と勘違いされる。とりとめもないきりのない話はこれでひとまずお開きにいたしましょうか。
ここまで長々とお付き合いいただき有難うございました。
Part.6 了
それにしてもあなた方ご夫妻のお心づかいにもかかわらず、お母様の体調がずっとよろしくなかったのは、とても残念なことです。あなたのお顔がお母様似だったことをしみじみと思い出しております。
予期せぬ病と出くわしてしまいましたが、とても良い手当を受けておられていると思います。ワクチン接種のスピードが遅かったせいか、感染者数の減少速度はあまり速くありませんが、そろそろ近くまでなら電車にも乗ってみようかという気分になられますように。そうなれば是非、連絡を下さい。
いつも心のこもったコメントを有難うございます。しかし出自や病の話にコメントするのはとても苦労するし難しかったでしょうね。
今回の回顧録は私を良く知る人たちを意識して執筆しているのですが、初めて公にすることも多くまた限りなく自分を赤裸々に出しており、まるで遺書みたいでいささか失笑気味でもあります。
封印している極秘案件のうち一件を執筆中です。これもはたしてどこまで出してよいものか思案中です。
それにしても早く公共の交通機関で容易に軽々と移動したいのですが、いつになるのでしょうか。生存期間中に気持ちを伝えたいのですが・・・。
詳しくは次回お会いしたときにでも
丼