本日は、真田山プールで1400m泳いだ後、地下鉄玉造駅の少し北にある玉造稲荷神社へ。
暑い、暑い。本日の大阪市の最高気温は、36.9度。
大阪市はこの3連休は、ずっと36度越えでした。
地下鉄玉造駅を少し北へ。
いつもの通り、玉造稲荷神社の西の入口に自転車を置き、そこから入りました。
境内には、露店がいっぱい。
ここの夏祭りの特徴は、子供の多いこと。多いこと。半数が小学生以下です。
浴衣を着た子供たちも多数。
本殿・拝殿へ。
おみくじ(100円)をひくと、44番吉でした。
横では太鼓をたたく子供が。
盆踊り会場のような提灯。
大河ドラマ・真田丸で、その存在が知られるようになった豊臣秀頼公の像。
豊臣秀頼公が奉納した鳥居。
玉造の地名の由来は、
このころの大坂は、日本の中心でした。
百済から渡ってきた人は、現在の東住吉区に住みました。
現在の東住吉区の大阪市編入前の旧行政名は、田辺町・北百済村・南百済村・矢田村。
福引コーナー。氏子に配られた券がないと抽選できません。
南の入口へ。
紀元前12年に作られた神社です。稲荷神社と言いますが、伏見稲荷神社より古くからあり、伏見稲荷の分社ではありません。
玉作岡 と書かれた石碑の裏には、
上町台地にある神社は、日本で最初の都・高津宮の頃からあり、だいたい1400年前にできていますが、
この神社は、2000年前と群を抜いて古い神社となっています。
大阪では、どこでも、神社の夏祭りは、子供が主役です。
夏祭りに行くのは、子供同士で行くのが大半です。
1400-2000年続いた伝統です。
私が幼稚園から小学生2年生まで住んでいた住吉区苅田町では、よさみ神社。
小学校3-4年の時住んでいた堺市海山町では、三宝神社。
小学校4-中学1年生の時住んでいた東住吉区西鷹合町では、鷹合神社。
中学1年生の8月から現在まで住んでいる東住吉区中野では、中井神社。
それぞれの神社の夏祭には友達同士で行っていたと思われます。
そして、自転車で玉造稲荷神社をあとに。
もうひとつの東の入り口を。
そして、長堀通りを西進。上町筋に向かいます。
途中、玉造稲荷神社の分社が。
清水谷高校の向かいです。
そして、長堀通りを西進。上町筋とぶつかるところから、南下。
そのあたりは、上本町1丁目。
上本町2丁目・3丁目。
上本町4丁目の交差点は、見覚えのある交差点。
そこから先は、いつもの真田山プールからの帰り道。
邪神麻原亡き後、貴重な天才準神様なのに、おちんちんの容積が20分の1であることが新たに判明した模様。
あんなにおちんちんの小さい日本人はいないとの理由で、またまた在日如来に認定されそう。
朝鮮半島由来の玉造神社のほんまもんの神様にあやかって、この際、準神様として棒造神社の御神体となり、棒を20倍にするご亀頭に没頭するのも一考でしょう。