(22) 日中関係 Ⅰ(幕末・近代前半)の描き方のちがい -6-
ⅱ 欧米列強国と東アジアの状況の描き方 ~幕末期~
■まとめと考察
1 欧米列強国と東アジアの関係の描き方
英国と清及びインドとの関係については、各社ともほぼ同じような内容を描いているようだ。他の点では各社各様。
※学び舎はいつものように独特・・・「反乱」や「抵抗」などが大好きのようだ。
2 同時期の日本の状況の描き方
この項の中で、日本の反応や対応をしっかり描いているのは、自由社、帝国書院。ここでは取り扱っていないのが4社(教育出版、日本文教、清水書院、学び舎)。
この時期、英国によるインドや清国などへの侵略はとても激しい。その状況を伝え聞いて ”衝撃” を受け、大きく国策を転換し始めた日本のようすは、やはりここで言及した方が生徒にはよく(※実感的に)わかるのではないだろうか。
~海外からの危機・・・日本の置かれた状況が似はじめているとおもいませんか? 日本を狙っている一番手は今度は ”清朝の後継国家” ですが…~
■帝国書院の「幕府は武力によって平和を維持していたため、・・・強い姿勢をみせなければなりませんでした。」という表現へのたくさんの大きな疑問。~いったい何を言いたいのだろうか?~
※もしかしたら、この本には書いていない、 ”「歴史学者」にしかわからない深い深い事情”や、”示されていない根拠” があるのかもしれないが、私は(中学生も)、”書いてあること”からしか判断・解釈資料はないのだから、書いてあることを丹念に読み取って推理するしかない。
①「平和」を「国際関係における非戦争・紛争状態」と解釈すると、(※これが普通だろう)
・幕府(日本)と欧米列強国の関係は、「平和」だったのか? ※ちがうよね?「打ち払い令」を出しているのだから。?????
・幕府が武力により平和を維持していたのなら、文の後半は、《強い姿勢をとることができました。》となるはず。しかし、実際は「…強い姿勢をみせなければなりませんでした。」と書いてある。
この後半の意味は、《強い姿勢はとれないのに、あるいは、とりたくないのに、とってみせなければ・・・》という意味だろう。
つまり、①の定義ではこの文は理解できない。そこで、
② 「平和」を「国内の平和=治安がいい」と解釈すると、(※少しおかしいけど) 直前の文との文脈関係から、
・《蘭学者などの反対者たちを処罰して国内平和を維持していたので(=ため)》、「…強い姿勢をみせなければなりませんでした。」となる。
「強い姿勢=異国船打払令」をとったから反対者が出たのに、これでは、順序が(=因果関係が)逆になってしまう。 ?????
それでは、前半を、《武力によって諸藩を統治して平和を維持していた》という意味と解釈して → だから、「強い姿勢をみせなければ…」 ?????
世界の真実は、《どの国も(主に、根本は)武力(軍隊や警察)によって平和:治安を維持している》のだから、これでは、《世界のどの国も、外国の圧力に対しては常に「強い姿勢」をみせる》ということになるが、それは史実(現実・事実)とはまったくちがう。
~蛇足(笑)~
ほかにもおかしなところはあるが面倒なので省略して、帝国書院(著者)が本当に書きたいことを ”忖度”して、推理・推敲すると…
・前半=「幕府は、武力によって平和を維持」するのではなく、武力はできるだけかぎり少なくして(あるいは「戦力」を保持せず、「交戦権」も放棄して)、自由と民主主義と人権を尊重すること「によって平和を維持していた」のならば、
・後半=「諸外国からの要求などに対して」、無理に「強い姿勢をみせ」なくてもよくなり、弱い姿勢をみせることができただろう。 (※「弱い姿勢」=開国要求の即時受け入れ)
歴史の if は禁物だが、もしもそうだったなら、日本列島は、おそらく欧米列強国による分割植民地になっていただろう。薩摩藩や長州藩が英仏に対して命がけで戦って、”時間稼ぎ” をしてくれたことは、とてもありがたく、しっかり評価すべきことではないだろうか。
昔も今も、とても残念なことですが、平和(治安)が維持されている最大要因は武力、というのが人間世界の真実。
ですから、「武力」を忌み嫌っていたら、亡国の憂き目をみることは確実です。(帝国書院は、武力を忌み嫌っているのではなく、《戦後日本に強い武力を持たせたくない外国勢力》の片棒を担いでいる(または、”洗脳”されて担がされている)のでしょうが…)
~次回、ⅲ 日清の正式国交開始のころ~
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