日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

第3回全国ドイツ語スピーチコンテストの出場記録が見つかりました「ベルリンの壁崩壊直後における日本でのチェルノブイリ救援活動」(2000.12.9)@(財)日独協会

2020年06月28日 | ドイツ語・独検
第3回全国ドイツ語スピーチコンテストの出場記録が見つかりました「ベルリンの壁崩壊直後における日本でのチェルノブイリ救援活動」(2000.12.9)@(財)日独協会




断捨離してたら 自分が2000年のドイツ語スピーチコンテストに出場した時の貴重な記録が見つかりましたので ここに再録させていただきます

これはまるでタイムカプセルのように突然現れ イタリア漬けの今の私には 変色した当時の書類は異様ですらありましたが 当時のすさまじいエネルギーが突如現れ 様々な思い出がよみがえりました


第3回とあり このあと日独協会主催のドイツ語スピーチコンテストは何回か開催されましたが その後なくなってしまい大変残念です (地方や大学ではやっているようですが)
審査員長は早川東三先生 (なつかしの...) 主催は(財)日独協会 後援はドイツ大使館 オーストリー大使館 スイス大使館 朝日新聞社
協賛は(財)ドイツ語学文学振興会 ゲーテ・インスティトゥート ルフトハンザドイツ航空です

場所は築地の浜離宮朝日小ホール 夫が聞きに来てくれました💛 当時は下の子が小学生で怪我等で大変だった中 私自身もまだドクターストップがありましたが内緒で出場しちゃいました!! ← 若いってエネルギーがある...今は無理です~

[年表]
1986.4.26     チェルノブイリ原発事故  この年の末に結婚
1989.11.9     ベルリンの壁崩壊     すぐさま夫と長男(1才)とベルリンに行く
1990.10.3     東西ドイツ統一 この年の3月に「チェルノブイリ救援募金」結成  
合計約4千万円の救援募金を送る
1992年~1994年  旧東ドイツの子供たちの支援活動 A.シュヴァイツァー子どもの村の支援・ザクセン州障害児学校の設立を日本から支援・ライプツィヒでの開校式に出席
2000年12月    第3回ドイツ語スピーチコンテストに チェルノブイリ救援活動のテーマで初出場
(ちなみにイタリア語を始めたのは2006年10月💕)

この年表を見ると ふたつの大きな救援活動を終え さすがに身体を壊し 治りかけの頃に今までの人生を振り返り 
スピーチにまとめたというわけなのですね...

さらに驚いたのは その2年くらいあとに出場された女子大学生のスピーチのテーマが 「旧東ドイツ子どもの村」での体験だったのですが
まさにその旧東ドイツ子供の村の支援活動を私も10年程前にやっていたので びっくりしてそのスピーチをされた大学生に
休憩時間に話しかけました

すると 「あなたのことをずっと探していました」と言われました 

当時まだネットもなく ファックスがせいぜいで その大学生は10年前はまだ小学生 
ライプツィヒに訪れた合唱団の一員として参加したとのこと それも覚えています 
立派になって... 今頃どうしているだろうか...

同じ目的のもとに集う人々が一同に会する場所 それがスピーチコンテストなのですね 

    *    *    *

さて 私の出場した第3回ドイツ語スピーチコンテストには 15名の出場者がエントリーし
(今のイタリア語スピーチコンテストは13名から10名なので多いですね!) 
優勝者はまだ小学校一年生くらいの女の子で驚きました 
自分がドイツに暮らし始めて言葉もわからない中で おままごとで犬の役から 最後は母親の役をするようになった
いきさつを語りました 賞品はルフトハンザのチケット 将来性を買われたのでしょう

2位は  安息日での日曜営業がテーマで話した大学生 (東京のゲーテでの研修費) 
3位は  ドイツでの交換留学の体験を述べた高校生 (図書券5万円)
4位は  旧東ドイツと色についてスピーチした社会人 (図書券3万円)
審査員の早川東三先生は 「旧東ドイツについて語るのは複雑な思いがある」と述べました 1990年にドイツ統一 
まだ10年目のことですものね
朝日新聞社賞は 文部大臣への手紙 教育の場での価値観について というテーマで語った大学生 (賞状と賞杯)

ちなみに総評では 「昨年より飛躍的にレベルアップしており 発言や内容も社会的事象を取り上げたものもあり 日本語でも難しいのにドイツ語で発表し...」等と述べてくださり それは私のチェルノブイリのテーマのことかな??と内心嬉しかった(#^.^#)

質疑応答も10問くらい準備していったのにまるで当たらず(;´∀`) スピーチの内容について聞かずに
いきなり 「日本にはなぜ50基以上も原発があるの?」と聞かれてしまいオタオタ...( ;∀;) 

ドイツは1998年の電力自由化が追い風となり 当時から原発はもう作らないという国家の意志を持っていたからね...
2011年の福島の原発事故よりも11年も前ですよ

原稿受付順なのでなんとトップバッター!!
足元のライトが自分に向かって照らされているのを見て足がすくみ
「将来認知症になってもぜったい忘れないくらい」暗唱してきた最初のフレーズをミスってしまい一生の不覚でした!!
なんでも最初は上がって失敗するものよね...(フィギュアスケートでも最初のジャンプはミスが多いでしょ)  
ドレスデンのペンフレンドにドイツ語を添削していただきました 当時はメールもなく手紙でのやりとりでした

ベルリンの壁崩壊直後における日本でのチェルノブイリ救援活動」スピーチ要旨:

『1990年3月に 私は日本発の市民救援グループ「チェルノブイリ救援募金」(Hilfsaktion für Kinder von Tschelnobyl/Japan)を発足させた
当時、日本でも多くの企業、団体、市民グループや政府が救援を開始し 当会でも1992年4月より千葉県を中心に
チェルノブイリの子供たちの受け入れを開始 これまでに募金活動(4千万以上)  医師の現地派遣を行ってきた

あれから10年 あの子供たちの健康 そして二度と再びあのような重大事故が起こらないことを願う』以上
 (でも起こってしまいましたよね...)


早川東三先生は 私が大学生の時に日独協会主催ドイツ語夏期講習で人生初のドイツ語の授業を受けた先生です(1979年)
夏期講座は10日間で文法すべて修了というハードなもので 明け方まで毎日勉強してましたっけ(;´∀`)

この時期 夫も夏期講習の手伝いをしていたそうで もしもここで出会っていれば...とは思いますが(笑) 
実際 日独協会に入会して夫と出会うのは1985年のことであります💛 
翌年に結婚した年に あの原発事故が起きたわけですね


 ←チェルノブイリの当時の資料

    *    *    *

では スピーチを再録させていただきます:

「ベルリンの壁崩壊直後における日本でのチェルノブイリ救援活動」
"Hilfsaktion für Kinder von "Tschernobyl" in Japan gleich nach dem Abbruch der Berliner Mauer"


Gleich nach dem Abbruch der Berliner Mauer am 9. Nov. 1989 bin ich mit meiner Famiglie nach Berin abgeflogen, um diesen geschichtlichen Höhepunkt direkt zu erleben.

1989年11月9日のベルリンの壁崩壊直後、私は夫と赤ん坊(長男)とともに この歴史的クライマックスを直接体験するためにベルリンへと飛んだ

Während dieser Reise habe ich den Verein "Mütter und Väter gegen atomare Bedrohung/Berlin e.V." kennengelernt.
Nach der Reise habe ich mit diesem Verein weiter Briefe getauscht, und im März 1990 habe ich ein Flugblatt erhalten,
auf dem folgende Worte standen:

"Wir haben die Hilfsaktion für Kinder von Tschernobyl angefangen.
Wir brauchen alle Hilfe."


旅行中に私は「(財)放射能の脅威に反対する母と父の会/ベルリン」という団体と知り合った
帰国後もこの団体と文通を続けていたが 1990年3月私はあるチラシを受け取った それにはこう書かれていた:

「私たちはチェルノブイリの子供たちの救援活動を始めました あらゆる援助を必要としています」

Ich habe überlegt, ob ich auch in Japan eine solche Hilfsaktion anfangen sollte.
Ich bin nur eine einfache Hausfrau, und habe ein 2-jähriges Kind.
Aber schließlich habe ich mich dafür entschieden.

Jemand muß jedoch anfangen, und viele Länder haben damals schon angefangen, z.B. BRD, DDR, USA, und Österreich, usw.

私は日本でも救援活動を始めるべきかどうか熟考した 私は一介の主婦であり 2才の子供がいる
けれど最終的に私は救援活動を始めることを決意した 

やはり誰かが始めなければならないし 当時すでに多くの国が始めていた: たとえば旧西ドイツ 旧東ドイツ 米国そしてオーストリア等が

Ich habe eine kleine Bürgergruppe "Hilfsaktion für Kinder von Tschernobyl/Japan" gegründet.
Wir haben mit nur 5 Personen angefangen, und innerhalb eines Monates konnten wir die allererste Spendengelder
aus Japan überweisen.

Danach viele Firmen, Organisationen, Bürgergruppen, und schließlich die Regierung haben auch angefangen,
den Opfern von Tschelnobyl zu helfen.

私は小さな市民グループ「チェルノブイリ救援募金」を設立した
私たちはたった5人で始め 一か月後日本から最初の募金を振り込むことができた

その後多くの企業 団体 市民グループ そしてついには政府までもがチェルノブイリの犠牲者たちを助け始めた

   *   *   *

Nach dem Abruch der Berliner mauer konnten die Bürger der DDR endlich richtige Informationen
über den schwersten Atomunfall der Welt bekommen. (今はSuperGAU という単語を使います)
Und im Juni 1990 haben viele Leute in der DDR und BRD 2,500 Kinder von Tschernobyl in ganz Deutschland aufgenommen,
um dort erholen zu lassen oder untersuchen zu lassen, damit diese Kinder wieder gesund werden können.


ベルリンの壁崩壊後 東ドイツの市民たちはようやく世界最悪の原子炉事故についての正確な情報を得ることができた
そして1990年6月に 東ドイツ及び西ドイツの多くの人々が 2,500人ものチェルノブイリの子供たちをドイツ全土で受け入れた
これらの子供たちが再び健康になれるように そこで保養をさせ あるいは治療を受けさせるために

Auch in Japan haben wir ab Abril 1992 die Kinder von Tschernobyl aufgenommen, haupusächlich in der Präfektur Chiba.
Bis heute haben wir über 40,000,000 Yen Spendengelder gesammelt, sowie Medikamente und nicht verseuchte Babynahrungsmittel
geschickt.
Auch Ärzte haben die Krankenhäuser im Weißrußland besucht.


日本でもまた 1992年4月から私たちはチェルノブイリの子供たちを 主に千葉県で受け入れた
現在までに私たちは4千万円以上の募金を集め 医薬品や汚染されていないベビーフードを送った
又 医師たちが白ロシア(ベラルーシ)の病院を訪問した

Tschernobyl war wie eine Hölle auf Erden.
Deswegen mußten wir diesen Opfern helfen, weil immer noch viele Kinder wegen Leukämie oder Krebs sterben.
Für mich selbst war es eine Berufung, diesen Kindern zu helfen.


チェルノブイリは この世の地獄だった
だからこそ私たちは この犠牲者たちを救わなければならなかった
なぜな今も まだ多くの子供たちが 白血病や癌等で亡くなっているからだ
私自身にとっては 彼らを助けることは私の使命でもあった

Das ist die Geschichte über die Hilfsaktion für Kinder von Tschernobyl in Japan gleich nach dem Abbruch der Berliner Mauer.
10 Jahre sind danach vorbeigegangen.

Und ich wünsche, daß diese Kinder gesund bleiben und besund werden, und auch,
daß so ein schwerer Atomunfall wie Tschernobyl nie wieder passiert.

これが ベルリンの壁崩壊直後における 日本でのチェルノブイリの子供たちの救援活動についての物語だ
あれから10年が過ぎてしまった 

そして私は あの子供たちがまだ健康でいること そして健康になることを願っている

そして又 直後におけるのような重大な原子炉事故が 二度と再び起こらないことを

Vielen Dank.

ご清聴ありがとうございました


Ende.


 1996.4.26発行の自伝漫画
『白い大地』より 日本初のチェルノブイリ救援募金を送るシーン(1990.4.26)と当時の新聞記事

国名は当時のものを使い 正書法も1997年一部修正した 新正書法が施行されましたが このスピーチ原稿は古い表記で書いてあります
(新正書法に切り替わった頃は 全くドイツ語に触れていなかったので...)

断捨離って すごいですね...(;´∀`) これでようやく安心できます(笑)


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