日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

歌舞伎座「基盤太平記」を見てきました(2015.4.6)歌舞伎座&忠臣蔵についてイタリア語で話す

2015年07月29日 | 日本文化紹介
歌舞伎座の一幕もの「基盤太平記 大石内蔵助の辛抱と本心」を観劇してきました&忠臣蔵についてイタリア語で話す



かねてより歌舞伎座観劇をしようと思っていたのですが 「東京にようこそ!」のレッスンで忠臣蔵についてイタリア語で説明できるように練習したこともあり 「四月大歌舞伎」の昼の部「碁盤太平記 大石内蔵助の辛抱と本心という縁目をひと幕だけ観劇してきました

先生が 「イタリア人は4時間も歌舞伎を見たら死ぬ~(ーー;)」とおっしゃっていたので(笑) 自分もこの日は迷わず「幕見席(一幕もの)」の当日券(1,200円前後)売り場に並ぶと 10時着で50人くらい並んでたけど まぁ11時開演には間に合いどうにか座れました やっぱり外国人観光客がたくさんいました!!

E' possibile acquistare un biglietto per un solo atto.

私が迷わずイヤホンガイドを借りると(500円+保証料1,000円返却) お隣に座った英語圏のひとり旅の女の子もやはり続いて借りて(笑) 思わず「忠臣蔵のストーリー」を語ってあげたくなってしまい あぁ~イタリア人だったら親切に説明できるように練習したのになぁ~と心の中で思ったのでした( *´艸`)

* 「歌舞伎」は通訳案内士試験の2009年度第2次試験に出題されました

以下はネタバレです:


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碁盤太平記」というタイトルは 人名や事件の名を使うことがはばかられていたためにつけられたものです これは忠臣蔵の討ち入り前夜の話で 討ち入りを画策しているのではないかと巷の噂が立つ中 京都の山科の閑居に暮らす大石内蔵助は 遊里通いで芸姑たちを引き連れて戻ります
ここで下僕として使える岡平(文盲との設定だがこれは真っ赤な嘘)は 実は吉良上野介の間者(spia/スパイ)で 大石内蔵助がいつ討ち入りに出るつもりか探ろうとします

「敵を欺くにはまず味方から」との言葉がありますが 内蔵助は遊んでばかりいる自分を責めたてる息子主税や 妻およしとも縁を切り家から追い出す始末 そして母千寿にも勘当されても決して真実を語らず 「討ち入りに出よとの密書すら読まずに破り捨ててしまう」という演技を間者である岡平の前で見せて 「遊興三昧でこれはもう討ち入りなどする気は毛頭ないだろう」との確証を持たせることに成功します

ところがその間者の岡平が吉良側からの密書を読んでいるのを 内蔵助の息子主税が見つけて実は文が読めることを初めて知り吉良側の間者だったと「正体」を暴き乱闘となります 手負いの岡平にとどめを討つ主税を止めに入ったのは内蔵助 
実はわざと敵方の間者である岡平を下僕として雇い入れ 討ち入りの意志なしとの誤情報を吉良側に流させていたというわけです 妻や母と縁を切ったのも討ち入り後に累が及ばぬためでした

傷を負った岡平もまた吉良側の武士として忠義を果たす身で 「吉良側が油断している今こそ討ち入りの好機」と最後の息を引き取るまで内蔵助に吉良邸の内部構造を碁盤を使って明かし息絶えます

そしてラストは 家を出るも不思議に思って密かに家に戻ってきた女房のおよしと母の千寿と 内蔵助と息子主税が「今生の別れ」を襖越しにする涙のシーン... 「親子の縁は一代限り」 次に生まれてきてももう親子として出会うことはない 忠義のために討ち入りを果たしても切腹は免れず(当時は仇討/vendettaは武士道で認められてはいましたが 幕府が主君浅野内匠頭に切腹を命じたため幕府の決めたことを覆すことになってしまい また徒党を組んでの仇討は禁じられていた) 母と子が今生の別れを告げる涙のシーンで幕が下ります...

この演目は40年ぶりの上演とのことで堪能しました 4階席は遠くからしか見えませんでしたが 私も一幕だけでお腹いっぱいになりました(#^.^#)

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忠臣蔵について(Wikipediaより抜粋):

Chūshingura (忠臣蔵) è un'opera teatrale giapponese.

Il Chūshingura è forse l'opera teatrale giapponese più nota di tutti i tempi.

Essa descrive le eroiche gesta dei quarantasette (47)rōnin(浪人): un gruppo di samurai(侍) che vendicarono(vendicare 復讐する、仇討ちする) la morte del loro signore Asano Naganori, costretto al seppuku (切腹/suicidio rituale) in seguito ad un duello (決闘) avvenuto all'interno del palazzo dello shogun.

In seguito alla morte di Asano, i suoi beni furono confiscati(没収される) e la sua famiglia finì in rovina (破滅する、お取りつぶしになる). I suoi samurai persero anch'essi il loro status diventando appunto rōnin.

Trascorso un lasso di tempo sufficiente (しばらくたって) a far allentare (緩める)la protezione su Kira, i samurai di Asano lo assalirono (襲いかかる)e uccisero (暗殺する).

Rifugiatisi successivamente nel tempio Sengakuji (泉岳寺)si suicidarono tutti compiendo il rituale seppuku come estrema dimostrazione di fedeltà (忠節) al loro signore.


Poco dopo i fatti, avvenuti dal 1701 al 1702, l'attacco al palazzo di Kira, in Edo, avvenne infatti il 15 dicembre del 1702, cominciarono a circolare (流行する)lavori teatrali che narravano la vicenda(出来事). Il teatro all'epoca era anche un mezzo di comunicazione di eventi, solitamente drammatici.



Tuttora (いまだに)il dramma è rappresentato e la vicenda commuove (感動させる) profondamente, i quarantasette eroi sono considerati i più puri interpreti del bushidō(武士道), l'insieme dei principi morali e comportamentali dei samurai, che sono divenuti col tempo patrimonio (遺産) etico (道徳の) dell'intero popolo giapponese.


     *         *         *

さてそして歌舞伎座のすぐはすむかいの永井画廊で6月30日までやっている「フェルメール 光の王国展」(火曜休館、6/30まで開催、1,000円)これは最新のデジタルリマスティング方式で原寸大で再現した絵を同じ額装で展示してあり いや~ゆっくり堪能できました 写真撮影もOK!!(フラッシュ×)

フェルメール光の王国展のリポートは こちら

歌舞伎座は こちら



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