時には、旅の日常

管理人:taろう/旅先で撮ったスナップにコメントを添えて、他にも気の向いた事を綴っていきます。

さようなら交通科学博物館-5~屋外展示

2014-03-22 14:07:38 | 近畿/日本
 交通科学博物館の屋外に展示してある車両を見に、館内から外へ出てきました。

 屋外展示車両も、日本の鉄道史的に意義あるものばかり…この交通科学博物館、いいチョイスしています♪

 晴天の日曜日、屋外展示も大勢の人で賑わっていました。

 <交通科学博物館>

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 EF52形電気機関車の内部見学を終えて、館内から外に出ました。

 まずは、博物館本館の北側の第2展示場へ。
 展示場の敷地では、まず2両のディーゼル機関車がお出迎え。

 左側の機関車は、操車場等での入れ替え作業が主たる用途であった、DD13形です。
 凸型の形状をしています。
 昭和33年(1958年)に登場して以降、大量増備されてポピュラーに目にする機会も多い機関車でした。

 右側の機関車は、DF50形。
 ディーゼルエンジンで発電機を回して発生させた電気でモーターを駆動する構造の、「電気式」といわれるディーゼル機関車です。
 昭和32年(1957年)に登場、地方の路線を中心に昭和60年(1985年)まで活躍しました。



 第2展示場の奥まった場所に、ひっそり佇むように展示されていた、DD54形。
 エンジンと変速機に西ドイツのメーカーからライセンス供与されたものを導入して、昭和41年(1966年)から製造され、当時の優れた技術を取り入れようと、意欲的に試みたディーゼル機関車です。
 そのせいか、先程の2両よりも、どこかヨーロッパを感じさせるスタイルをしていますね^^

 山陰地方の路線に投入され、この33号機は、東京と山陰とを結ぶブルートレイン「出雲」の、山陰本線の区間を牽引していたこともありました。
 ヘッドマークを掛けるための金具が正面中央部に設置されています。



 ヨーロッパ風のスマートな容貌のDD54形でしたが、外国の技術を意欲的に取り入れたことが仇となり、保守が難しくて故障が続発。
 製造初年から僅か12年後の昭和53年(1978年)までに、製造された37両全車が廃車となってしまった、悲運の形式でした(T_T)

 この33号機は、解体されずに現存する、唯一のDD54形の車両です。



 再び本館側へと戻って、本館に隣接する屋外展示スペースである、プラットホームプラザへとやってきました。
 この日は日曜日であったせいか、家族連れの方々が多かったですね。



 漆黒の鋼の、堂々たる姿も誇らしげな、蒸気機関車たち。

 「つばめ」をはじめとする、国鉄の看板特急を牽引してきた大型SLの、C62形や、「デゴイチ」ことD51形の雄姿を拝んできました。
 D51形は昭和10年(1935年)に、C62形は昭和23年(1948年)に、それぞれ1号機が製造されています。



 昭和35年(1960年)に登場した、日本初の特急形ディーゼルカー、キハ81形。
 ボンネット型の形状をしていますが、電車の形式のそれとはまた異なる、個性的な風貌をしています。



 今日の日本で活躍する高性能な電車たちの草分け的存在の、80系電車。
 昭和24年(1949年)に登場、東海道本線の東京~沼津の区間に投入されたために、初めて「湘南電車」と呼ばれる電車となりました。



 レトロな雰囲気の漂う、ホームプラザのプラットホーム。
 ヨーロッパの古いターミナル駅に通ずる、落ち着いた佇まいの空間が広がっていました。



 この上屋は、大正3年(1914年)に完成した、2代目京都駅の1番ホームの上屋部分の建材を再利用したものとのことです。
 スリムな鉄骨の軽快な感じが、京都らしくも思えました。

 歴史の生き証人が用いられているのであるから、この上屋に覆われた空間にレトロ感覚が自然と感じられる訳にも、納得です。



 これも、当時の駅名標であったのでしょう。
 ローマ字以外は右から読むのと、仮名遣いが、戦前を感じさせますね。

 Wikipediaに、昭和13年(1938年)当時の、京都駅のプラットホーム風景の画像があり、これと同じスタイルの駅名標も写っていました。



 実用的なデザインながらも、タイル模様が美しい洗面台。
 これも、当時のプラットホーム上に設置されていたのでしょうか。

 当時の乗客たちは、走行中に窓から入り込んでくる蒸気機関車からの煤煙で汚れた顔や手を、こうした憩いの場で洗い流していたのかもしれません^^



 屋外展示車両で、私が最も関心をそそられたのが、この客車、マロネフ59形寝台車。
 漆塗りを思わせるダークブラウンのボディに、青帯を巻いた、とてもシックな佇まい。
 元々は、皇族・貴賓専用車のマイロネフ37290形として、昭和13年(1938年)に製造された3両の内の1両で、敗戦後は米軍に接収された後に返還され、皇太子殿下(即ち現在(平成)の天皇陛下)の非公式車両として利用された車両です。
 昭和30年(1955年)に、マロネフ59形に改称されました。

 一等寝台と二等寝台の合造車です。



 プラットホームから、車内を見ています。
 マロネフ59形の、二等寝台の部分です。
 現在のA寝台と同様の、2段の「プルマン式」と呼ばれる開放型寝台ですね(もっとも、現在寝台列車自体がほぼ消滅状態ですが;)。
 流石に元貴賓車だけに、木目も格調高くて美しく保存されていますね。

 下段は、シートをスライドさせてベッドとなります。



 二等寝台を、座席にした状態。
 上段ベッドは上へ跳ね上げて収納されています。
 下段は、向かい合わせのシートとなっています。



 こちらは、一等寝台車のエリア。
 広々とした個室が1両の半分のスペースに僅か2室。

 一等と二等との圧倒的な差が、残酷な程に隣り合わせとなっていますね。。。



 一等寝台の個室には、寝台と安楽椅子とが設置されています。

 画像には写っていませんが、テーブルももちろん完備しています。



 一等個室内も、ゴージャスな木目の壁材が美しいですね。

 こんな素敵な雰囲気の個室で、優雅な旅をしてみたいものです。



 隣り合った個室同士、間仕切りを開放することで1室とすることができる構造のようです!

 こうすると、一々通路へ出ることなく互いのスペースを行き来できるようになります。

 一等なので、当然のことながら、床には絨毯が。



 洗面所も完全個室で、しかも広い!
 椅子まで設えてあって、ここでも貴賓車の「格」を見せつけられた気がしました。



 辛うじて視認できたトイレは、洋式でした。

 戦後に製造された多くの鉄道車両でさえ、トイレは長らく和式が圧倒的に主流であったのに、戦前製造のこの車両が洋式トイレを採用していることからも、この車両が特別な車両であることが分かります。



 反対側の車端部の扉上部には、「1等寝台」の表示が。

 本当に、こうしたゴージャスな設備の車両を、復刻でもいいから登場させて、走らせて欲しいものです。



 車端部の妻面下部には、国鉄の正式名称である「日本国有鉄道」と共に、戦前の製造当時の鉄道事業体であった「鉄道省」の名称が入った銘板がありました。

 戦前の国鉄は、「鉄道省」という官庁が管轄する、国の直営であったのですね。
 今日にも増して、重要な大量輸送機関であったことが想像できます。



 明治35年(1902年)から製造が開始された、230形蒸気機関車。
 日本で初めて本格的に量産された、国産の蒸気機関車です。

 まだスタイルに、英国というか、ヨーロッパの面影をとどめていますね。



 初めて「ブルートレイン」と呼ばれることとなった、昭和33年(1958年)から登場した寝台特急用車両の20系客車の食堂車、ナシ20形。
 かなり塗装が褪せて、お疲れ状態;

 平日はここで駅弁を販売して食堂車内で食事可能、土、日、祝日はレストラン営業…この日は日曜日、レストランで食事を摂ろうとする人で、長蛇の列ができていました。

 このナシ20形で、ホームプラザに展示の車両たちも、ひととおり見終えました。



 カモノハシのイコちゃんに見送られて、交通科学博物館を後にしました^^
 10時30分の開館と同時に入場、約3時間程の滞在でした。

 懐かしい0系新幹線や電気機関車の内部を見学するという貴重な機会を体験し、また、多くの貴重な車両たちを間近に見ることができた、充実の3時間でした!

 2年後の平成28年(2016年)春にオープン予定の京都鉄道博物館に展示物を移し、今年(平成26年 / 2014年)の4月6日、52年の歴史にピリオドを打つ、交通科学博物館。
 閉館間際に初めて訪れた博物館の展示は、思っていた以上に充実していた、どれも珠玉の展示ばかりでした。

 この充実した展示が、可能な限り新博物館へ引き継がれることを願いながら、博物館にすぐ隣接している、JR大阪環状線の弁天町駅へと向かいました。

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2 コメント

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Unknown (タヌ子)
2014-03-24 09:13:48
とうやき…一瞬分かりませんでした(笑)
ホームの洗面台、素敵ですね。
湘南電車、子供の頃、ミカン電車って呼んでました。
マロネフの二等寝台の上段ベッド、急カーブで電車が傾いたら落ちてしまいそう。
保護ベルトがあっても、子どもだったらするりと抜けてしまいますよね。
昭和初期~中期のものって本当に丁寧に作られてますよね。
現在こんな立派な建材を使い、ここまで丁寧な車両を作ったら、JRの赤字率は更にアップすることは確実ですね。
これだけの敷地を持つ、交通科学博物館、閉館後跡地はどうなるのでしょう?
まだまだ人気の博物館として活躍できそうなのに、開発の魔の手が伸びてきてしまったのでしょうか。
タヌ子さん。 (taろう)
2014-03-24 21:50:59
「とうやき」駅のホーム上屋は説明があったのですが、駅名標まであったとは…私も最初、無意識に左から読んでいましたw
紺地に白抜き文字のシンプルなデザインに、気品を感じました^^
この洗面台、今の駅に置いても全然遜色ないですよね!
私も子供時代の数年間を横浜で過ごしているので、この湘南カラーに慣れ親しんできました。
そのオリジナルに触れることができて、感無量でした!
上段ベッドの保護ベルト、確かに心許ない太さですね;
もっとも、昔なのでスピードも出なくて、貴賓車ということで一層ゆったり走って、転げ落ちるのを防いでいたのかもしれません(^^;)
完璧なメンテナンスを施しているとはいえ、元の車両がしっかり造り込まれているからこそ、惚れ惚れする程の艶やかな輝きを今なお放っていられるのだと思います。
昭和の生き証人がまた一つ、間もなく姿を消してしまうのは惜しいけれど、2年後京都に、このDNAを引き継いだ新博物館がどの様な姿で誕生するのか、楽しみに待とうと思います。

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