〈八道江山・食の旅 8〉さすがは冷麺の本場/八田靖史
平安道
1849年に書かれた『東国歳時記』という本がある。著者は洪錫謨という朝鮮時代後期の学者で、朝鮮半島における年間の行事を詳細にまとめたものだ。現代の食文化を振り返るうえでもよく引用される本だが、中でも有名なのが11月の項目に書かれた冷麺の話である。
今でこそ冷麺は盛夏に味わう涼味との扱いだが、かつては冬の季節料理であった。オンドルの効いた室内は暖かく、乾燥もするため、キンと冷えたスープの冷麺は格別のご馳走であった。現代でも好きな人は冬にこそ好んで冷麺を食べる。
そして、もうひとつよく知られるのが、『東国歳時記』に書かれた「関西地方のものがもっともよい」との記述である。
関西地方とは平安道(現在の朝鮮では平安北道、平安南道、慈江道の一部)を指す表現で、これは江原道の鉄嶺という峠を基準にしたものである。同様に咸鏡道を関北、江原道を関東とも呼び表す。この当時から冷麺といえば平安道と高く評価されていたことがよくわかる。
もちろん現在も冷麺といえば平安道、それも平壌冷麺の名声が広く響き渡っている。冷麺の本場といえば咸鏡道の咸興も有名だが、咸興冷麺がジャガイモのでんぷんで麺を作るのに対し、平壌冷麺はそば粉を中心に作るとの違いがある。
スープはトンチミ(大根の水キムチ)の汁でも作るが、最近はしっかりと肉を煮込んで作ることが多い。
一流店では牛肉、豚肉、鶏肉(またはキジ肉)を煮込んでうま味のエキスを複合させ、かつ徹底的に脂をとり除くことで、キリッと締まった味に仕立て上げる。個人的に食べたのは有名な「玉流館」と、「高麗ホテル」1階レストランの2軒だが、いずれもさすがは本場と唸らされるものであった。
また、朝鮮には「先酒後麺」という言葉があり、こうした冷麺店ではまずサイドメニューで一杯飲み、ほろ酔いになってから仕上げに冷麺を味わうのが粋とされる。その流儀に従ってまず大同江ビールで喉を潤し、同じく平安道の料理であるロクトゥチヂム(緑豆チヂミ)などをつまんでみたが、確かに酔いを含んだほうが冷麺はうまい。ほどよくほてった身体に冷たいスープと麺が染み渡り、さらには定番であるデザートのアイスクリームまでもより美味しく味わうことができた。
このほか平壌の名物料理といえば、平壌温飯(平壌式のスープごはん)、プルサムパプ(葉野菜包みごはん)、タッチリャンチム(鶏肉の七香蒸し)、スナンプルコギ(牛焼肉)などがあげられる。かつては平壌市内を流れる大同江でボラがよくとれたため、ぶつ切りにしてスープに仕立てたスンオクッが名物であった。
今でも大同江スンオクッの名前で親しまれているが、1986年大同江の河口へ開閉式ダムの西海閘門を建設したことで、ボラの遡上に影響が生じた。現在は河口付近の港町である南浦のほうが有名であるそうだ。
南浦といえばハマグリの名産地でもあり、浜辺に並べた殻ごとのハマグリに、ガソリンを振りかけて焼くという豪快な調理法でも知られる。特にガソリンのにおいが残るということもないとのことで、ぜひ1度試してみたいと思って平壌でリクエストしてみたが、準備がたいへんなのか、代わりに出てきたのがバーナーで殻ごと焼いたハマグリだった。
ガソリンよりも均一に火が通るとの説明もあり、実際に食べてみても実にジューシーな仕上がりであったが、どちらかというとガソリン焼きは見た目の迫力こそが魅力であろう。
いつか南浦に行って本場物を体験したいと思う。
そのほか平安道の名物料理として、鴨緑江を挟んで中国と国境を接する平安北道では新義州を中心にマンドゥ(餃子)や、マンドゥクッ(餃子スープ)が有名。対して、平安南道ではナスが特産品であり、カジキムチ(ナスのキムチ)、カジスンデ(具を詰めたナスの蒸し物)といった名物料理がある。
慈江道の中心都市である江界はブドウの名産地。そのブドウで造った江界ブドウ酒も有名である。
(コリアン・フード・コラムニスト)