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高麗王朝(918-1392)の首都だった開城市の12の遺跡が世界文化遺産に登録された。

2013-06-25 | 韓国・朝鮮の旅

     〈ルポ〉遺跡の宝庫、開城めぐり  「高麗の文化遺産は全民族の宝」

【開城発=姜イルク】高麗王朝(918-1392)の首都だった開城市の12の遺跡が世界文化遺産に登録された。平壌市中心部から南に約180km、開城市民族遺産保護管理局員のリ・グァンチョンさん(32)の案内で開城市一帯を巡った。

繁栄した商業都市

高速道路を降りて開城市中心部に向かっていると、十字路の中心に厳かに立っている南大門が目に入った。1391-1393年の間に建設された南大門 は1950年12月に米軍の爆撃を受けたが、1954年に復元された。南大門と同時に目に入ったのは、ローラースケートを楽しむ子どもたちや住宅などの建 設現場。現代朝鮮の姿と古都の遺跡が調和を成していた。

開城市の人口は現在、約30万人だが、高麗の首都として栄えた時期には70万人もの人々がくらしていたという。諸外国との貿易も活発で、遠くペル シャ、インドからの大型使節団や近隣の中国、日本からの商人などが訪れ、繁栄を極めた。史料によると、当時、礼成江河口の貿易港から首都中心部まで商店が びっしりと連なり、雨の日も濡れることなく来れたという。リさんはこう説明しながら、開城がとても発展した豊かな商業都市だったと誇らしく話した。

敷地面積が125㎡にもなる高麗王朝の皇宮、満月台を通しても、それをうかがい知ることができる。現在は皇宮へと登る4つの石階段(33段)と城壁 の一部が残っている。排水システムがいかに整然だったかは、現在もその水路を通じて雨水が抜けていくことから知ることができると、リさんは説明してくれ た。

石階段に向かって左方に進むと、皇室で使われたと見られることから「王水」と命名された泉がある。大きなイブキの木の下にある泉の水は、白く濁って見えるが、実際にくみ上げると透明そのもの。冷たくおいしい。王様になった気分でしょ、とリさん。

日帝による盗掘と破壊

開城には高麗時期の陵が43基あり、34代の王のうち18代の王の墓が保存されている。

今回世界遺産に登録されるのは、王建王陵(初代)、恭愍王陵、29代王・忠穆王を埋葬した明陵群、七陵群だ。これらはすべて海仙里に集中している。 小川が流れるこの一帯は当時の自然がそのまま残されており、高麗時期にタイムスリップしたかのような気分にさせてくれる。とくに恭愍王陵は保存状態がとて も良いという。

恭愍王陵は、恭愍王と王后の墓が並んおり、1365年から372年にかけて建てられた。建設は恭愍王自らが直接監督したと伝えられている。建設を指 揮しながら座ったとされる石もそのまま残っている。あまり知られていないが、恭愍王陵のふもとには湧き水がある。良質な飲料水で、空のペットボトルを持参 して訪れると、係員に「以前に何回来られましたか」と聞かれる。

恭愍王陵と王建王陵との間に位置している明陵群は、3つの墓が西側から約25m、50mの間隔で並んでいる。西側の「1陵」と呼ばれる墓が忠穆王(1344-1348、恭愍王の甥)の墓だ。幅は8m、高さ2.1m。真ん中の「2陵」、東側の「3陵」もつくりはほぼ同じだ。

しかしながら、この2つの墓が誰の墓なのかはいまだに解明されていない。リさんによると、植民地時代に日本人が墓の中の遺物を盗掘し、石碑まで破壊 したため、それを考証できる資料がないという。リさんは、「墓の盗掘など日帝が犯した文化遺産に対する破壊・略奪行為は、朝鮮民族の文化と歴史さえも徹底 的に抹殺しようとした悪らつな蛮行の一部に過ぎない」と、憤慨していた。

七陵群は群れをなしている7つの墓を言う。王建王陵の裏山から見える。

これも、日帝の破壊と盗掘行為によって、誰の墓なのかまだ分かっていない。

開城の有名な遺跡のほとんどは朝鮮の「国宝遺跡」に登録されている。が、明陵群の「2陵」「3陵」をはじめ「国宝遺跡」に登録されていない未解明の遺跡が少なからず残っている。

市民の誇りと願い

開城市の一部地域は、朝鮮戦争時に米国と南朝鮮政権の統治から解放され朝鮮の領土となった「新解放地区」である。朝鮮の他の都市にくらべ戦争の被害は小さく、原形を保っている遺跡が多い。

開城市民族遺産保護管理局という機関があるように、市ではこれら遺跡を保護するため大きな力を注いでいる。王建王陵だけでも管理員は20人を超す。 約300年前の家屋がほぼそのまま残っている民俗保存区域には、大型車両の通行が禁止され、一般車両も速度を出せないよう道路に障害物が設置されている。

北南を隔てる軍事境界線に接して暮らす開城のひとびとの統一への願いはひとしお大きい。彼らは、朝鮮の初となる統一国家である高麗の歴史について、とても誇らしく思っている。知識も豊富で、歴史を語る際の表情はいきいきとしていた。

当時の最高儒教教育機関であった成均館は現在、高麗博物館になっており、高麗の歴史全般を知ることができる。高麗博物館の案内員は、「コリア」とい う世界共通語は初の統一国家である高麗に由来すると説明しながら、「当代の民族文化とその優秀性を物語る開城のすべての文化遺産は、全朝鮮民族の誇りであ り、統一祖国の財宝だ」と強調した。

(朝鮮新報)