NO.7享保の通信使と芳洲
第9回1719(享保4)年の時2度目の通信使を護行して江戸まで行き来していま
す。この時芳洲は52才でした。将軍吉宗のお祝いの使節でした。
前回の改革が元に戻されたこともあって穏やかな交流が行われました。
通信使は毎回、日本訪問の記録残しています。
この時の記録は、使節の中の製述官申維翰の紀行本「海遊録」に詳しく残されて
います。
申維翰は芳洲のことを「雨森はすなわちかれらの中では傑出した人物である。
よく三国語に通じ、よく百家の書を弁じ・・・よく漢語に通じ、詩文を解し日東国の
ぎょう楚(抜群の人)である。」と賛辞を表しています。