羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 202日 203日目

2020年06月02日 09時29分03秒 | Weblog

5月30日にオンラインレッスンを行った翌日、日曜日は、以前ほどでないものの疲れがあって、散歩には出かけたものの、体操と坐禅の組み合わせの時間をとる気力が失せていた。

オンラインレッスンは、機材の準備に加えて内容を整理し「もの」を選び出し、資料を揃える。

その上で、新井さんとの打ち合わせを何度も行って、当日までに相当な時間がかかっている。

当日は、テンションが上がっていること、普段は使わない脳の部位を働かせるからか、疲れはあまり感じることはない。

そんな事情で、月曜日になってようやく体操はできたし、坐禅もできた。

二日分を本日、ご報告。

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「野口体操の会」オンラインレッスンを終えて

2020年05月31日 06時55分17秒 | Weblog

昨日、5月30日土曜日の午後、無事に会員向けのオンライン野口体操レッスンを終えました。

北海道・長野・京都、と遠方からのご参加は、オンラインでなければ叶えられないことでした。

スタッフも含めて25名の参加で、個人的に声をかけられなかった方もいらっしゃったことが心残りでした。

 

終了後、夜になって抜粋映像を見せてもらいました。

何回かのオンラインレッスンや「野口体操ch」で気づいたことを改めようと臨みましたが、新たな改良改善点を見つけて、こうしたやり方ならではの気づきをたくさんもらうことができました。

野口三千三先生ご存命の頃、最後の10年間でしたが、ビデオ記録を中心とした「野口三千三授業記録の会」を立ち上げました。

授業を撮影するたびに、ダビングしたものを先生にお渡ししました。真剣にご覧になって、反省という言葉はお出しになりませんでしたが、撮る回数が増えていく毎に、進化し続けていらっしゃったことを思い出します。

先生の進化の段階までには程遠いのですが、当事者としての思いとあり方が、今になってわかるようになりました。

ことに「反省しすぎない」という先生の姿勢は、とても大事です。次にまた繰り返す気持ちを高めてくれますから。

 

レッスン中にことですが、直に接していない分、また参加の方々の声はミュート状態にあって、息遣いや心の動きやちょっとした声による反応がわからないことが、最初のうちは気にかかっていました。ところが昨日は、画面を通して伝わってくる雰囲気で、少しですが想像することができるようになっていたかもしれません。

そのことを踏まえながら、「御免なさい」状態で、マイペースで進めさせていただきました。

 

何より、映像を見ながら、オンラインのいちばんいいところを発見しました。

みなさんそれぞれのプライベートな空間で体操をなさっているので、より個性が際立っていたことです。

動きのリズム、動きの速度、動きの質感は、良い意味でバラバラ。教室で行うときは、何気無く隣人の呼吸を感じられるために、全体としてバラバラでありながら、次第に揃ってくるんです。

それがオンラインの場合は、自由度が高い。それぞれ、なんです。

昨日のテーマは「体操による人間変革」を選びました。

『野口体操 からだに貞く』の本文冒頭の文章をお聞きいただきました。その効果かはわかりませんが、「野口体操」の「野口」が消えて、「◯◯体操」になっていたような印象を受けました。一つには、オンラインの画面に、それぞれの名前が「名札」のように添付されて、個人識別ができることにも関係があるかもしれません。

野口先生が求められた「個の自由の世界」が、画面から垣間見られたことは収穫でした。

ここには書ききれないほど、気づいたこと、考えることを、たくさんいただきました。

 

最後になりました。

ホスト役に徹してくださった新井英夫さん、本当にご苦労なことです。新井さんなしには実現しない「オンライン野口体操レッスン」です。

事務局を一手に引き受けてくださっている近藤早利さんには、会員の皆さんへの細かな連絡に助けられています。

佐治嘉隆さんには、私の懸案だったライティングの問題を、しっかり見てくださって、終わったと同時に改良方法をイラスト付きで知らせてくださいました。

ディレクターとして羽鳥のそばにいてくださった二階のぶ子さん、様々な事柄に対処して新井さんに寄り添ってくださっている板坂記代子さん。

スタッッフ側にいてくださったお一人お一人、参加くださったお一人お一人の方々、全員の熱い思いに支えられた1時間半でした。

ありがとうございます。

 

一夜明けてふと思いました。

「高円寺お蔵スタジオ」に、ようやく野口三千三先生をお呼びできたような気がしています。

では、また、お目にかかりましょう。

ありがとうございました。

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坐禅 ふたたび 200日、201日目

2020年05月27日 09時24分47秒 | Weblog

どんよりした朝。

なのに、不思議とからだは軽い感じであった。

昨日、本日と変わらずに体操し坐ることができた。

5月も残すところわずかとなった。

朝日カルチャーの「野口体操講座」が休講になって3ヶ月、さらに7月まで加わって4ヶ月になる。

今朝、流石に自宅での一人体操の限界を感じた。

それなりの意味があるオンラインレッスンだけれど、どこか違うんだよなー、とからだの底から誰かが呟く。

 

それじゃ、7月には始まるであろうリアル教室のレッスンは、どうかな?

マスクして、距離をとって、二人で組む動きはご法度、そうした状態で何ができるのかは想像もつかない。

やってみて初めて新しいあり方が見つかるのだろうか。

 

もう元には戻らない、とわかっている。

戻らない日を懐かしんでも始まらない、と自分に言い聞かせている。

言い聞かせても、本当には納得できない自分がいる。

 

これからどうなるのか、案じてみても始まらない。

なるようにしかならない、と言ってみてもどこかスッキリしない。

 

坐りながら、グタグタと心の中で繰り言を言いながら、呼吸を数えて、100回。

さぁ〜て、30日のオンラインレッスンの準備にとり掛かるとしよう!

下腹に力をこめて立ち上がった。

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野口体操ch 第5回配信

2020年05月26日 16時14分08秒 | Weblog

本日、野口体操ch第5回を配信しました。

今回は、回す動きをテーマにしました。

「もの・ことば・うごき」

ものはニューギニアの魔除をご紹介しています。

ご覧いただきたくお知らせいたします。

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坐禅 ふたたび 119日目

2020年05月25日 09時26分49秒 | Weblog

努力ではどうにもならない。

118回目からしばらくあいてしまった。

オンラインレッスンの準備のために、気がかりなことを解決しないと、体操も坐禅もやり始めてみたものの、「仏作って魂入れず」状態になってしまった。

それでカウントするのをやめていた。

 

今朝は、落ち着いて体操と坐禅の時間を過ごした。

全てが解決したわけではない。

ただ、こんな風に思えたからだ。

“野口先生の戦後は、自己矛盾の葛藤の中で、およそ半世紀を生きられた”

名言に『力を抜けば抜くほど力が出る』がある。

抜けば抜くほど、いちばん大事な力の入れかたがわかってくる、というわけだ。

 

昨年の晩秋から、自分自身の過去のものを全てと言っていいくらい手放した。

自分のもので残したものは、ピアノと一部の楽譜と、わずかなレコードだった。

本はこれから「私家版 野口三千三伝」にどうしても欠かせないものだけを身の回りにおいている。

抜けば抜くほどいちばん大事な集中するものが見つかった。

 

そして、今、ウィズ・コロナの時代を否応無しに生きるしかない現実と向き合っている。

ああしてください、こうしてください、三密を守って解除されたからと言って気を抜かないでください。

一見するところ、丁寧で柔らかなお願いと称する強制の中で、時代は始まっている。

 

そう言われたって、野口体操の一つのあり方に、(あえて誤解を恐れず書かせていただけば) ”他者との濃厚接触”が大切なのである。

このことは野口体操の問題に限らない。

とりわけ苦境に陥っている「教育・文化・芸術・・・」テレワークに置き換えられない本来の人間としての活動すべてに関わる重大事なのである。

 

確かに、オンラインでできることはある。

確かに、オンラインからもたらされたよきこともある。

それはそれ。

人間にとって大切な基本を忘れてはならない。

 

書いているうちに、道をはずれてしまった。

坐りながら思ったこと。

野口体操は、野口三千三の自己矛盾の中から生まれてきた。

その言葉を、のどの奥から引き出して、声にしてみた。

すると、今までにない落ち着いた境地(おこがましい言い方ですが)が得られた。

ということで、119日目、とカウントする気持ちになったというわけです。

気づく、分かる、解ける・・・・、それにはものすごく時間がかかる。

同時に経験の裏付けがあって、思いがけずにもたらされることと合点がいった。

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朝日カルチャーセンター「野口体操講座」再開

2020年05月22日 19時39分43秒 | Weblog

早々にお知らせいたします。

休講になっている朝日カルチャーセンター「野口体操講座」は、7月から再開することになりました。

それに伴って、3月に休講となった2回分を7月に繰り越し、その後を9月まで7月期とする案をいただきました。

土曜日クラスは、7月11日から始まります。

日曜日クラスは、7月5日から始まります。

「新しい生活・習慣」のもとで、今までと同じ条件ではなくなりますが、何十年と長年のおつきあいをいただいている皆様方、お一人お一人にお目にかかれることが嬉しく、同時にほっとしています。

それまでには、1ヶ月半ほどありますが、どうぞお元気でお過ごしください。

再会を楽しみにしています。

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坐禅 ふたたび 116、117、118日目・・・・コロナと共に生きる道

2020年05月22日 09時05分41秒 | Weblog

モヤモヤした気持ちで、116、117日の二日間は体操と坐禅を行っていた。

本日、118日目にようやく落ち着いた。

本当のところ、これから先の見通しについて全く見当がつかない。

今朝は、見通しがつかない中でも腹が据わった感が芽生えてきたからだ。

一昨日は、ある方に電話相談した。

昨日には、FBのメッセンジャーで、思いを吐露した。

話すうちに、一つ得られた答えは、ただでさえ風前の灯だった野口体操の火を消さないこと。

ただそれだけ。

そのためにはできることは何でもしてみよう。

それにはコロナと共に生きる覚悟を持つことだ、と改めて坐りながら具体的なあり方を考えていた。

至極、当たり前な答えだけれど、いちばんは、自分自身が罹患しないこと。

運悪く罹患したら、他人にうつさないこと。

そのために行動が消極的になっても、それはちっとも臆病ではないってこと。

この際、積極的に何かをする⇄消極的な生き方をする、矛盾の海を泳ぐ感覚を磨こうではありませんか。

 

坐りながら去来した、これって雑念。

いや、正念でしょ!

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Twitter「野口体操ch」開設

2020年05月19日 16時43分21秒 | Weblog

YouTube「野口体操ch」に動画を公開するようになって、回数も増えてきた。

そこでTwitter上にも同名「野口体操ch」のアカウントを取得して、発信することにした。

イメージ写真には、野口三千三先生の最晩年、亡くなる6ヶ月前の秋にアジアンカルチュアルのメンバーを迎えて行われた特別レッスンの時の横長写真を使わせてもらった。

もう一つのロゴ的写真には、薇の写真を載せている。

興味を持っている方、野口体操を知らなかったが面白そうと感じてもらえる方など、少しでも「知る人ぞ知る人」を増やすことができればよいと願っている。

これでLINEを抜いてSNS表現媒体のほとんどのアカウントを取得したことになる。

こうした作業も少しずつ慣れてきたような感じがしている。

おかげさまです。

 

 

 

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野口体操ch 第4回配信を終えて

2020年05月19日 09時48分21秒 | Weblog

5月15日にYouTube「野口体操ch」配信した第4回は、「やすらぎの動き」だけに焦点を当てた。

実は、2回目から撮影を1日に2回分行っているので、実質3回目の収録だった。

ご覧いただいた方々から、初めて好評をいただいたことは嬉しい限りなのだけれど、見直してアラばかりが目立って、反省することしきり。

反省すれば次に、改良されるのかというとそうとも限らないところが辛い。

 

さて、野口体操の伝え方の難しさは、「ことば・もの・うごき」三位一体の表現にある。

つまり、理論を話し、野口三千三先生によって集められたイメージ喚起用“もの”を見せ、もちろん実技を披露する。

当然、時間が長くなってしまう。

稚拙な表現でも途中で切らず、おつきあいいただける方がいらっしゃることに救われている。

 

おかげさまで、貴重な気づきをいただいている。

オンラインでは、対面の90分、100分、120分・・・・と途切れのない全体の時間のなかでやってきたことのなかから、一つの要素を抽出し、抽出したことを膨らませて、見えない相手や画面の向こう側の人に伝えるので、より精確であること・より具体的であること・より選んだことばであること・より丁寧な動き方であること等が求められる。

その上、絵としての映り具合、音声の問題、機械操作のこと等、もう一つのハードな表現への気遣いも相まって、これまで使ったことのなかった脳の部位を働かせているのではないかと思う。

「神様は、老化防止の贈り物をくださった。感謝すればって、恨み辛みなど言ってはいけないよ」

野口三千三先生の泉下からの声が聞こえてくるような、こないような・・・・。

 

あえて一言。

オンライン撮影やオンラインレッスンの当日は、興奮冷めやらず疲れを感じることはない。ところが、翌日は電池切れ状態で何も手につかずじまいである。

いかにして慣れるか、今、一番の課題である。

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坐禅 ふたたび 116日目

2020年05月18日 09時16分35秒 | Weblog

「高円寺お蔵スタジオ」の外構(最近はエクステリアの方が通りが良さそう)の一部を、4日間かけて整備してもらった。

造園業の人にたのんだので、塀の脇にあった木瓜・紅葉など残してもらえた。

その間、「野口体操ch」4回、5回の撮影を行っていた。

先日、4回目はYouTubeにアップし終わった。

そうしたことの準備や、新しいMacBook Airの初期設定、様々なアプリ導入といった慣れない作業に勤しんでいた。

ここまでは言い訳。

というような事情で、せっかくはじめた坐禅も中断状態であった。

本日、何日ぶりかに体操し坐ってみたのだが、いまひとつ落ち着かない状態であった。

毎日、とはいかなくても、時間をおかずに継続することの大事さを感じながら、100回の呼吸を数えた。

 

デジタル疲れか、夜中に目が覚めた時には、起き上がって体操し、床に入り直して仰向け姿勢で坐禅の時の呼吸を試みる。そのうちに再度眠りが訪れて朝までぐっすり。

「寝坐禅」と、名前を勝手につけている。

からだというのは正直で、1日の過ごし方がそのまま睡眠に反映される。

願わくば、体操と坐禅もどきを義務としてでばなく、日常の中で自然に行えるようになりたいもの。

「継続こそ力」

世間でよく言われることだが、まったくその通りだ、と身にしみた116回目の今朝のことでした。

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YouTube「野口体操ch」第4回配信

2020年05月15日 13時05分33秒 | Weblog

昨日、高円寺お蔵スタジオと、新井秀夫さんのご自宅を結んで、Zoomr録画を行った。

その第4回「野口体操ch」を本日YouTubeにアップしました。

取り上げた動きは「やすらぎの動き」です。

10分で終える予定が、少し伸びてしまいました。

体操音痴で、始めた26歳当初はガチガチに硬かった私でも、こうしたやり方をすればかなりいい線まで辿りつきますよ、ということをお伝えしたかったのです。

おそらくここまで丁寧に説明しているサイトはないと思います。

ご高覧くださいませ。

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あれよあれよの1ヶ月・・・・お蔵スタジオに笑い声が・・・・・

2020年05月09日 15時01分06秒 | Weblog

高円寺お蔵スタジオは、3月いっぱいで完成して、4月はテスト期間としようと算段していた。

数名の方にお越しいただき、野口体操のレッスンを試みたり、語り合ったりしながら、何ができるのかを探ってみたかった。

ところが外出自粛である。

人をお迎えするのも、公共交通機関でおいでいただくのも、叶わなくなった。

 

ところが、3月末には、YouTubeに「野口体操ch」を立ち上げる話が出て、スタジオとしてもってこいの空間であることが証明された。

まさかである。

微塵も想像しなかった使い方で、もっぱら撮影スタジオとして活かすことになっている。

しばらくは、人が集い、直に触れ合って、野口体操を楽しむことは当分の間できないことだけははっきりしている。

 

たった1ヶ月で、世界が変わってしまった。

何かのショックを受けて、一瞬にして血が逆流したような衝撃を受けている。

アナログな部屋として考えていた高円寺お蔵スタジオを、デジタル化すべく変更を余儀無くされている。

なんてこった!

一夜にして風向きが変わった。

こんなことってあるんだ!

 

思えば、巣篭もり生活で、助けられている一つにSNSがある。これもデジタルである。

例えば、7日間 「ブックカバーチャレンジ」なるものが展開されていて、それぞれが本を紹介している。

表紙の写真を載せるだけで説明文はそえない、という規則だが、だれも守らない。

短い文でご自身と本の出会いを書かれている。

おかげで自分の知らない本の世界の広がり、深さ、面白さが伝わって、楽しいことこの上ない。

 

それぞれがさまざまな分野をシェアして、それを読みながら社会の情勢、コロナの問題、補助金の受け方等々、新聞やテレビラジオではわからない情報をたくさん得ている。

そしてお友達同士の「いいね!」やコメントで、つながりも得られている。

 

こんな時、こんな状態の時、その上、「音楽」で救われている。

「落語」で救われている。

YouTubeで多種多様な演奏家の音楽を耳にし、名人の芸能を楽しむことなど考えられないほどの量である。

 

学びもある。

おそらく一生出会えなかっただろう先生のお話を聞くこともできる。

大学のオンライン授業のお流れを頂戴している。もぐり学生気分である。

 

あげたらきりがない。

こもりながら、逆に拡張現実を目の当たりにしている毎日である。

 

でも、でも、母に会いたい。

でも、でも、教室で直に野口体操のレッスンをしたい。

あの方に、この方に、会って、手を取り合って、近況を確かめたい。

いつになったら「高円寺お蔵スタジオ」に、笑い声が満ちるのだろう。

待つしかない。

その日はかならず来ると信じて、待つしかない。

かならず・・・・かならず・・・・

「負けて・参って・任せて・待つ」名言。

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坐禅 ふたたび 114日 115日目 雑念ってなんだ!

2020年05月08日 09時20分12秒 | Weblog

昨日、本日ともに、湿度が低くて気持ちがいい。

体操の動きも軽くなる。

坐っていても気分が良く、時間がたつのを忘れる。

坐り終えて足を崩し、しびれ感もすぐに解消する。

 

坐りながら雑念に捕らえられた。

呼吸を数えながら、雑念を思い続けた。

それは、今朝の朝ドラ「エール」をみて考えさせられたこと。

家を守ることと個人の幸せを求める難しさ。

この物語は最初から成功した人物を描き、昭和の戦争がそこに絡んでくる。

時代背景が現代とは異なっているにしても、家族というものには変わらぬ問題があるようだ。

ドラマの演出も、オリンピック賛歌で始まった当初とは、少し変化した感じを受ける。

コロナで亡くなった志村けんさんも山田耕筰として登場し、若い才能ある作曲家にどのような嫉妬を見せるのか、そこまで撮影されていたのか、などと思いはつきない。

「カーネーション」以来、興味いかんにかかわらず時計がわりに見ている朝ドラだが、自粛生活の時間割の中に、すっかり定着してしまった。

 

いやはや、掃除して、料理して、朝ドラを見て、体操して、坐禅もどきをして、散歩して、ピアノの稽古をして、読書して、オンラインレッスン・YouTubeのためのレジュメを考える繰りかえし。来週には届く予定のMacBook Airの種々の初期設定をイメージしたり、中断している「私家版 野口三千三伝」も書き始めたい・・・・と思ったり。

 

日は暮れて、また日は昇る。

緊急事態とはいえ、こんなことでいいんだろうか。

体操のリアルレッスンができるようになるのだろうか。

不安を覚える。

本日の雑念、ではなく正念。

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坐禅 ふたたび 112日 113日目

2020年05月06日 09時23分32秒 | Weblog

気がつけば、いつの間にか鼻呼吸になっていた。

しばらく前までは、口からスーツっと音を立てながら息を吐いて、その度に回数を数えていた。

 

流石に町は静かだ。

そのために、突発性難聴を患った右耳の奥で、「サ」と「ザ」の中間の音がなっているのが聞こえていた。

今でも聞こえているけれど。耳鳴りという現象で、周りが静かだと聞こえやすくなる程度の耳鳴りで助かっている。

罹患した当初は、言葉で表せないほどの不快感であった。

この状態が一生続くとしたら、そう考えて悲嘆にくれていた。

「時間が経っていけば慣れますよ。それに難聴が少しでも治ってくれば自然に耳鳴りも気にならなくなります」

医者の言葉通りに、1年、2年、3年とすぎるうちに、少しずつ楽になっていった。

今年で、17年が経過して、いつの間にか忘れてしまっている。

ただ、高音部に関しては、以前のように戻ってはない。

それでもなんとか折り合いをつけて音を聞いている。

「まっ、そんなものか」

日常は事足りているから、よしとしている。

 

本日は、鼻呼吸が身についてきたことの報告。

随分と時間がかかったものだー。

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野口三千三のことば

2020年05月04日 15時55分04秒 | Weblog

YouTube「野口体操ch」に紹介する野口先生のことばを探している。

どなたがご覧になるのか、わからないから、誰にでもわかりやすいことばということを条件にしている。

含意、言外の意味、前提条件、あらゆることを削ぎ落として、視聴してくださる方の胸にズバッと届くことば、それを探している。

視覚的にも読みやすく、長すぎず、短いフレーズでも、味わい深いことばとを選び出そうとしている。

内容が素晴らしいと思っても、画面におさめるには長すぎる感があったり、少しだけでも噛み砕いた表現にしてみたくなる衝動に駆られることもある。

対面のレッスンや、授業や、長年習っていらっしゃる方を対象としたオンラインレッスンならば、そのままのことばを選べるのだけれどなぁ〜。

本日のつぶやき。

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