羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

学生掲示板

2008年04月16日 08時30分35秒 | Weblog
 唐突な話だが、大学によって、校内の雰囲気は非常に違うことを実感している。
 この写真は学生掲示板のようだった。
 あまりたくさんのビラが貼られていて、何が何だかよくわからない。
 そのなかに一際目立ったのは、大物政治家二人の講演会のお知らせだった。

 さて、昨日の授業で困ったことが発生している。
 二コマ目の授業は、柔道場で行っているが、隣り合わせて剣道場がある。
 授業も三分の一ほど進んだとき、突然に耳を劈くような大声の塊が聞こえてくるのだ。どうやら剣道の部活練習が始まったのだった。
 生まれてはじめて聞くその独特の気合ともいえない、なんと表現したらよいのか言葉を失う声なのだ。
 しばらくすると今度は竹刀なのか木刀なのか、打ち合う音が、これまた、ものすごい。

 こちらが話す声は見事にかき消されていく。
 学生たちとも必然的に距離が縮まって、肩を寄せ合うようにして、話を聞いてもらった。
 授業を終えて部屋をのぞいてみると、30名は超えるだろうか。大きな剣道場一杯に学生が打ち合いを行っている
 あの勢いで、夢中に打ち合って声をだしたら、相当ストレス解消になるのだろう、と思った次第。

 驚いたの一言である。

 終わってから、別の部屋が使えないかをたずねたが、果たしてどうなることか。
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Campus life

2008年04月15日 19時53分32秒 | Weblog
 今日から新しい大学での‘野口体操’の授業が始まった。
 午前中、朝日カルチャーセンターのレッスンをして、その足で大学まで直行する。
 新宿から明大前は、準特急で一駅で、なんと5分で到着してしまった。
 授業までは時間がたっぷりあるので、学生食堂で昼食を済ませ、学内のコンビニやその二階にある三省堂書店に立ち寄って、本を物色したりして、すっかり学生気分になってしまった。

 この写真は体育館の入り口に向かう橋の上からグランド方向を撮影したもの。
 立派な体育施設がこの大学には整っている。

 授業が始まってみると、今期はなかなかいい学生が揃っていた。
 というわけで、二コマの授業をこなしても、疲労を感じなかったのは、なぜなのかよくわからない。

 今回は、教科書に『マッサージから始める野口体操』を使うことにしてあった。
 自分で言うのもおかしいが、第一章の「消費される健康」をテーマに、野口体操のガイダンスと現代社会における問題点を取り上げて、動き等々も行ってみた。

 学生の反応が非常に良かったことが、疲労感が少ない一つの理由かもしれない。
 本を造る醍醐味と、出来上がってから授業で学生がキラキラと目を輝かせてくれる二重の喜びに出会った。
 いい日だった。
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京劇「三岔口(さんちゃこう)」映像

2008年04月14日 08時58分00秒 | Weblog
 昨日のブログ「宗匠」をお読みくださった、宗匠のお弟子さんから、京劇のイメージが変わったという映像を、個人のメールにいただきました。
 野口三千三先生は、「孫悟空の側転」について話されたことがありました。
 一番近いところに、むしろ自分のからだの真下に手を着くイメージで、側転をすることだと、言っておられた。
 とにかく見事な切れ味の動き、身のこなしが見られます。
 重さが、作用反作用が生かされた、などと簡単にはいえない動きです。
 二人が暗闇で手探りしながら闘うシーンです。

 ご覧になってください。

Three-Road Junction(三岔口、三叉路):
> http://www.youtube.com/watch?v=ztaIXNAtgRk
>
> chinese opera " fight in dark ":
> http://www.youtube.com/watch?v=KmyaY2OCzSE
>
> Beijing Opera - Act 1:
> http://www.youtube.com/watch?v=_Q65zojXk9c

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花とSUCCESS

2008年04月14日 07時53分13秒 | Weblog
 写真に注目していただきたい。
 花と花の真ん中にあるものは、花王の‘SUCCESS’のビン。
 MORNING HAIR WATER の文字の下に、‘Mist type’と小さく文字が添えられている。
 以前、いただいたもので最近使い切って、今度は水道水を入れた。
 Mist type とあるだけに、霧は驚くほど細かい。
 吹きかけたときに当りが非常に柔らかいのだ。

 この写真の花は、先月29日(土)に朝日カルチャー‘野口体操講座’に助手として20年その後10年の計30年通い続けたご褒美にいただいた大きな花束と、4月に入っていただいた花籠の花を合わせた花瓶に、誕生日の祝いに届けられた花籠。83歳になる母が、とことん枯れるまでだんだんに小さく活けなおしたもの。
 実は、ここ数日の間、彼女の朝の仕事として、生き甲斐になっていた。
 毎日、花の組み合わせや形が変化する面白さは、助手をしている私も楽しかった。

 で、この細かい霧吹きが重宝する。
 ガーデニングや盆栽用、料理用、アイロンかけ用と、霧吹きはさまざあるけれど、このビンほど柔らかな霧が出るものはない。活け直しの仕上げに、霧をかける。

 整髪料として私は使ってこなかったが、何でも取り置く大正生まれにビシッと備わった「勿体ない精神」がいかされた。
 というわけで、我が家には空箱や籠や板切れ、その他いろいろしまわれている。
 それらが思いがけないときに、用途とはズレた使い方で役立つのだ。
 戦争を体験した人の習慣といいたい知恵である。

 トイレットペーパー、ティッシュペーパー・石鹸、タオルは、一定の場所に常にストックされている。
 その山を見て、多少、あきれる事があるのだが……!?
「物々交換もできるし、困っている人には少しでも分けてあげられるじゃない」
 母の弁に、ごもっとも。
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宗匠

2008年04月13日 19時15分40秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーセンター土曜日クラスのレッスンだった。
 気候が定まらないので、出かけるまでに、時間がかかってしまった。
 何を着て行ったらよいのか、迷ってしまったから。

 で、いつもより少しだけ遅くカルチャーセンターに到着した。
「羽鳥先生、『マッサージから始める野口体操』を、10冊も買ってくださったんですよ」
 福担当のMさんが駆け寄って、報告してくださった。
「待っていらしたんですけれど、お見えにならないから……」

 そこで、ロビーの入り口が見える場所に陣取って、お茶をいただきながらお待ちしていた。
 実は、野口三千三先生は1時間前には、現地に到着する習慣をお持ちだった。私も自然にその習慣が身について、いつもは早めに着くように時間を測っている。
 しかし、昨日に限って、先に書いた理由から家を出るのが遅くなってしまった。

 待つこと20分ほど、3時少し前に戻っていらした。
「ありがとうございます」
 二言三言、言葉を交わした。
「いい、本ですよ。明日は地方の支部に土産でもって行くんです」

 あっちこっちに配って下さるという。
 有難いことこの上ない。
 以前も『アーカイブス野口体操』を教科書として使ってくださった。
 実際のところ、他のものを認めるということは、なかなか出来ない。
「このことだけでも本を書いた甲斐があったというもの」
 一人でもわかってくださる方がいて、その方とじかに接することができるということ。
 同じ時間を生きていることの実感を持つことができることこそ‘生き甲斐’だと思う。
 その上、その方がその道の達人なのだから、嬉しさも一入である。
 
 ところで、和歌や俳諧や茶道といった伝統文化の世界には、‘宗匠’と呼ばれる方がおられる。
 身体系の世界では、そういった呼びか方はしないけれど、はじめてお目にかかったときの印象が「宗匠」とお呼びするに相応しい方とお見受けした。
 それ以来、ずっとそう呼ばせていただいている。
 他のものを認めるだけの器量の大きさをお持ちの方なのだ。
 いいものはいいとおっしゃれる確たるものをお持ちなのだ。
 今、そうお呼びするのは、この方だけである。
「宗匠」
 お呼びするとき、私自身、気持ちがいい。
 太極拳の名手であられる。
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お知らせ 「野口体操公式ホームページ」更新

2008年04月12日 08時29分42秒 | Weblog
「野口三千三授業記録の会」で、撮りためてきた映像のなかから、抜き出してHP上で公開しています。
 昨日、新しく「からだで描くーいろは文字」を追加しました。
 改名して『アーカイブズ野口体操』です。
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くれない新芽

2008年04月12日 07時36分49秒 | Weblog
 あるものの美しさにふと目を奪われる瞬間がある。
 このくれない色の新芽も、そうだ。
 何日も前から新芽が伸びはじめていたのに、今朝ほど美しいとは感じなかった。
 
 朝、5時。
 めっきり日の出が早くなった。といっても今朝は薄曇りだったので、周りの風景はくっきりとした輪郭ではなかった。
 そのせいか、一際、鮮やかな新芽がフォーカスされて目に飛び込んできた。
 
 この鉢植えは、今現在は九州在住だが、その前に広島に転勤になったIOさんのお連れ合いの方が下さった苗木だ。
 彼女は‘安達流’の華道をなさっておられて、そのつながりからこの写真にある‘椿’を下さったのだった。‘何とか太郎’というような名前でなかったかと、正確な名前を思い出そうとしているのだが、はっきりしない。
 いただいたときには侘助に似た花をつけていた。
 色は桜色だった。花の形と色の記憶は鮮明に残っているのだが。

 自宅に持ち帰って、育てるための素焼きの鉢に植え替てえからも枯れずに、くれない色の新芽を毎年楽しませてくれる。
「こんなに大きくなりました」
 しかし、肥料をやらないせいか、あるいは肝心の土の種類と混合が合わないのか、花が咲くことがなくなった。残念。
「ごめんなさい」
 ところが春の葉は花と見紛うほど、紅く色づく。

 ところで、今年、植え替えた鉢植えの木は、枯れた様子はない。
 バックに写っている向かって左手前の木は‘真柏’だ。芽摘みすることをしないので伸び放題になってしまった。伸び放題になっている木はこれだけではないのだけれど。
 多少は枝を落とすことはあっても、なかなか大胆に鋏を入れることが出来ない。
 父が亡くなって今年の12月で七回忌を迎えるが、その間、植え替えのみでしのいできたので、どれもぼーぼー状態になってしまった。
 
 というわけで、今年も無事に春が巡ってきた。
 今朝、仏壇にようやく新刊本を供え、植物が一応のところ元気であることを報告した。
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手触り

2008年04月11日 14時21分33秒 | Weblog
 大学の授業で、講義の場合は、ほとんどパワーポイントを使っておられる先生が多い。
 学生は一生懸命話を聞いて、自分でノートをとる必要が少なくなってきた。
 したがって眠くなる。解ったつもりにはなれるが、身につかないみたいだ、というのが大方の先生の思いだ。

「やはり、自分で手を動かしながら、大事なところを自分の判断で書き取る事がいいみたいですね」
 アナログ情報の中から、要点を聞き取り、抜書きする行為は、学生とて手仕事のうちだった。

 いまやデジタルが世界を席巻している。マニュアル化された指導が多くなってきている。
 時代に逆行するわけではないが、問題は多々あると日々感じているのだが。

 さて、昨日の象彦の手箱も手触りは抜群だ。滑らかでありながら、編みこまれた竹細工の凹凸が、滑り止めの働きをしている。持ったものが落ちないという安心感は、快感のひとつである。
 そして今日の写真は、新刊本だが、このカバー紙も手触りがよい。掴んだ感じに安定感がある。それは紙の材質による。
 編集者曰く「光沢紙を使うと、持ったときのしっとり感が失われるし、ピカピカした感じでは、内容と合わないと感じましたから」
 本の楽しみは手に持ったときの肌触りや厚さや重さといったモノとしての‘存在感’の基礎になる感性も大切な要素であることは間違いない。

 話を最初に戻すと、ボールペンの書き心地、HB鉛筆の書き心地、今では少数派の万年筆の書き心地、それぞれに紙との相性もあって、筆記時の手触り感も含めて、内容が身につくのが人間が学ぶということなのだ。
 世の中‘五感ブーム’である。まず、講義を聴くとき学生の手仕事を奪ってしまってはいけないと思うようになった。
 わかり易いということと、本当に身につくということは、相容れにくいことなのかもしれない。

 最近の東京では桜が散る頃に、授業が本格化する。
 そのころは気候も良くなって、眠気君とも仲良くなるんですよね!
 手触りからは話がずいぶんとはずれてしまった。
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象彦の手箱

2008年04月10日 19時22分32秒 | Weblog
 かれこれ7・8年前に、小学校時代からの親友からいただいた手箱を使う決心をした。
 彼女は日本ではじめて「デス・エデュケーション」を専攻し、ホスピスを紹介した女性だ。

 この写真の手箱は、京都の漆司「象彦」のものだ。
 ここは寛文元年(1661)創業で、三代目が白象と普賢菩薩を描いたものを菩提寺に奉納し、それが都人の評判をとったということで、この名前があるという。
 東京の支店は麹町は番町一丁目にあって、静かな佇まいの店に見事な漆工芸の品が置かれている。ほとんど見るだけで満足の世界だ。

 いただいた手箱は大まかに編んだ竹に漆の素朴さが残った名品である。
 象彦の製品としては、珍しく普段使いできる雰囲気のものだ。
 なんといっても漆の臭みはまったくしない。いただいたときからだ。
 そして漆の朱は、落着いていて身と蓋では少しだけ蓋の方が鮮やかな色に仕上げてある。この逸品をおいただけで、部屋の中の空気が変わるのだ。
 そしてなにより軽い。だが、しっかりしている。

 掃除の時にパソコン環境をきれいにしても、その状態が保たれるのは三日。
 そこで細かいものを入れておくのに、この手箱を思い出して、使わせてもらうことにした。
 勿体なくて、傍におけずしまいこんでいた。
 モノを新しくおろすのに、これほど悩むというのは、年のせいかしら?

 因みに、1661年は徳川家綱の時代。家綱は、家康・秀忠・家光に続く四代目の将軍。江戸期がようやく江戸時代となっていくとき。西洋では、23年後の1684年、バッハが誕生する。フムフム……!である。
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祈り……‘メタボ差別・メタボいじめ’無きように!

2008年04月09日 08時05分15秒 | Weblog
 昨日の日経新聞で、もうひとつ切り抜いた記事があった。
 それは「肥満と負債、強い相関」と題してメタボ検診・新制度導入に制度上の問題として警鐘を鳴らすものだった。

 社会問題化している肥満は、経済学的な観点からも分析できるとして、「負債行動と同じで、せっかちで、後回し傾向が強く、将来の損失を利益と同じように割り引く人ほど、肥満傾向が強い。四月から始まった新しい検診制度は資源分配の効率性と公平性の観点で設計をさらに検討すべきだ」(大阪大学 池田新介)
 8段組の記事で、へんに納得させられてしまう。

 読み進むうちに笑っちゃうのは「宿題を夏休みの最終日までやり残したと答えた最も後回し傾向の強い回答者は、宿題を真っ先にすませた回答者より、重度肥満率で六十二・四%、負債保有確率で十七・二%高い」というくだりだった。
 これは「負債保有と肥満の関係」という05年阪大COEアンケートの設問から得られた結果だそうだ。

 いやはや記事を読んで出かけた凡人には、‘肥満と負債’の相関関係などと指摘されると、困った目が脳のなかに生まれてしまった。
 だって、朝日カルチャーのレッスンを終わって、新宿駅に向かう地下道を歩きながら、でっぷりと太った御仁とすれ違うと、この人も負債があるのかなぁ、なんて、お腹の出方加減と負債額を想像してしまう。あるかどうかわからないのに、である。

 あげく歩きながら太目の友人知人を思い浮かべて、まずいッ! と思った次第。
 いやはや健康についてお上にとやかく言われたくない、というのが本音かも。

 その日の夕方、‘メタボ差別・メタボいじめ’が、増えないことを祈りつつ、誕生日祝いにいたチョコレートを、二つ三つ一気に口に運んでしまった。
 美味しかった!
 
 
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花をいただく

2008年04月08日 15時17分02秒 | Weblog
 ブログの送信をしているとき、届いたお祝いの花。
 決して、来年もよろしく、というわけではありません。
 ありがとうございます。
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誕生日……潅仏会

2008年04月08日 14時09分38秒 | Weblog
 プレ還暦、59歳の誕生日。
 絵と花とチョコレート、プレゼントはいくつになっても嬉しい。

 で、今日の新聞紙面から、2008年4月8日の時勢を。

 日経新聞朝刊:
 「やさしい経済学ー21世紀と文明ー未来の読み方 関西学院大学 奥野卓司
3、本当の覇者」より。
 
 産業革命は蒸気機関を基盤に、十八世紀イギリスで起こったが、結果的に農耕社会の覇者イギリスの没落の契機となった。本当の覇者はアメリカだった。
 (次に)情報革命でアメリカがその先人を切ったものの、結果的にアメリカ没落の契機になりつつあることも納得できる。情報化社会の最終的な覇者が工業社会の覇者アメリカや日本でないことが現実になってきた。
 遊牧社会のような農耕社会と工業化を体験しなかった民族と地域が、情報社会の覇者となる予兆が見えてきた。
 
 つまり、こうだ。
 工業社会はモノの大量生産、流通、消費によって成長した。ところが情報社会は「モノづくり」ではなく「モノ語りづくり」、農耕民的性格ではなく、遊牧民的性格が価値を持つ、と筆者は言う。遊牧民や非定住民は、移動が生活の中心になるため、巨大なモノを維持できない。重さも体積もない共通の情報で結ばれることの意味が明確になった。
「その代表がヘブライ語とユダヤ教という情報だけで結ばれているユダヤ民族で、彼らがコンピューターやインターネットの歴史をつくってきた」
 さらに筆者は、情報社会としての未来をみれば、これまで世界史の視野に入っていなかった遊牧社会や非定住社会がリードしていくことが予測できると言う。
 最後に、工業社会の覇者がそこで生き残る道は、先端型の農耕社会に変容することであろう、と結んでいる。
 確かに、タタ自動車(インド)によるジャガー買収があったそうだが、かつての植民地が宗主国イギリスを超えたという意味で地球規模の工業社会の幕引きの象徴だという記述にもうなずける。

**********

 さて、来年の今日、果たしてどんな社会になっているのだろう。
 十年後、プレ七十歳の今日、果たしてどんな社会に変貌を遂げているのだろう。

 そのひとつの記憶に、ひとつの短い文明史観を、ブログに書き残しておきたかった。
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『マッサージから始める野口体操』……一皮剥けた本当の顔

2008年04月07日 16時16分38秒 | Weblog
 今日は、嬉しいメールをいただいた。
「この本は、とっても読みやすく、解りやすく、読ませる工夫がしてあるけれど、一筋縄ではいかない内容なので、ゆっくり熟読します」
 見抜いてくださっている。

 さらに、いただいた言葉の通りではないが、野口三千三は社会性が稀薄だったが、ここには野口体操の社会性を探る方向性が書き込まれているのではないか、というようなことも添えられていた。

 実は、1998年秋、はじめて鴻上尚史さんにお目にかかった。
 その後、翌年だったと思うが、『テアトロ』に鴻上さんと私の対談が掲載された。
「野口先生の思想と価値観を、世の中の片隅でもいいから、残しておきたいのです」
「羽鳥さん、それはムリです。片隅だったら、潰されます」
 対談を終えて、オフレコでの会話である。

 遡って、1975年、初めて野口三千三に出会った私は、それほど時間がたたないうちに‘野口体操の社会化’というテーマを持ったようだった。
 実際には、没後になってから、ようやく行動になっていたと思うが、しかし、先生が亡くなる10年前にはじめた「野口三千三授業記録の会」で、記録を残していくことからすでに始まっていた。

「授業記録の会」で残した記録を生かすには、ある程度の社会的な認知がなされていなければ、残した意味が半減し、いやそれどころか記録が無に帰すると思えていた。そこでけして多いとはいえないが、いただいた仕事やマスコミとの関係をお断りすることなく続けていった。
 しかし、未だに社会の常識の壁は厚い。
 
 今回の本は、その意味からしても、本当は過激な内容も含まれているのだが。
「一筋縄ではいかない」
 その言葉をいただいたことは、非常に嬉しい。

 これまで5冊の単著共著を残してきたが、今回のものは社会性というテーマを隠し持ったはじめての本だ。一見、実用書で‘健康’と‘身体’を扱っているようでありながら、それだけではすまない問題を書いたつもりで、序の口だけれど。

 しかし、果たして私が何となくのイメージとして持っている‘野口体操の社会化’を、探ることが徒労に終わるのではないだろうか、という漠然とした思いも抱きつつある。
 それは思いがけずもらった電話による。
 安易な形で権威に追随しないと思っていた人が、権威に弱い人だったということを知ってしまったことだった。
「今までのあなたのおっしゃていたことは、なんだったのか?」
 
 一冊の本を世の中に出してみると、一皮剥けた‘本当の顔’が見えてくるものだ。
 それは自分自身にも当てはまることで、実に恐ろしい。
 没後十年、さて、これから始まる。

 因みに、鴻上尚史さんとの対談は『テアトロ』1999年10月号№686ー【身体を考える】鴻上尚史対談シリーズ①野口体操ーです。
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繭のビル

2008年04月06日 13時19分25秒 | Weblog
 朝日カルチャーセンター日曜クラスが始まる前、ロビーから見ていた風景。
 繭をイメージした新しいビルの完成が近い。左側の大きなビルに半分隠れているけれど。

 今日は、別れの桜日和。
 見ているうちに、心の漣は何処かへ抜けていった。
 
 本日のレッスンは、我ながら非常によかった、と思う。
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もう、やっていられない!? でも……。

2008年04月06日 08時14分06秒 | Weblog
 『マッサージから始める野口体操』、この新刊本にメールや手紙や電話が入ってきた。
 今までになく早いご連絡だ。
 すごく褒めてくださるものは文字として残るメールである。

 一番困ったのは「定価が安すぎる」というご意見だった。
 そうおっしゃられても私が決めるわけではない。
「アマゾンで買うと、1500円以上は、送料無料なんですよね」
 仰せの通り。
 そこで一言。
「教科書に使う場合は、助かるんですが……」
 意味のない返しかもしれないと内心思いながら、空しく言葉を発している。

「内容はとてもいいですよ。わかりやすくて」
 かと思うと
「ところどころ飛躍があって、難しいんですよね。わかっている人間には想像で補えるんですが、何も知らない人にはどうなのかなぁ~」
「論理の展開がまずいので、義務教育レベルですからご容赦を、今後に期待してください……」
 弱弱しく答える。

 カバーデザインがいいという人は、たった一人。
 中の写真のレイアウトのセンスが今一だとか、電話の方が概して厳しい。
 話し言葉は消えてしまうから、言えるのかも知れない。
「タイトルが悪くて、これじゃハウツー本で、書店のなかでもろくでもない棚に置かれて野口体操は終わりだ!」
 開き直って
「まず、‘野口体操って聞いたことがあるわ’って人がいなければ始まりませんから。でも、これで義務教育卒業です。私の仕事は終わりました。ろくでもない棚に置かれるわけですから」
 この辺になると切れそうになるのをジッと我慢。

 極めつけは母の一言。
「この本が最後の本じゃないでしょうね。私の目に触れるところには置かないで頂戴ッ」

 これまでこれほどけなされた本ははじめてだ。
 いいたい放題である。
 これってもしかして‘ぼやき’かな?
 
 ‘批判は宝です’って言いながら、せめて私だけでも愛してあげようと、昨晩は枕元に本をおいてお休みしました。
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