今回、はじめて味わった‘ヨガの逆立ち’のお話。
とにかく逆さまになってしまってからも、まっすぐな軸をからだのなかに実感するのに、呼吸が誘導していてくれることをはっきりと掴むことが出来たのであります!
「そんなこと今頃になって気づいたの?」
やってはいたのだが、明確に意識化できたということ。
それは息を吐くときに、からだの軸が鮮明に実感できるということだった。
何回か吐くときに軸を感じていると、その結果として‘吸う息’の道が、からだのなかに出来てくることだった。そして踵までは行かないが、骨盤底にスーッとつながる道だった。
まだまだ確率は低いが、かなりの実感としてつかめるところまで、行き着いたような気がしている。
「衆人は咽喉で、哲人は背骨で、真人は踵で」とかかれたものを読んだことがあるが、ヨガの逆立ちで‘骨盤底’で、というのは、何人になるのだろう?
決して力まず、からだの内側の圧力変化感で、バランスを感じ取るという言葉に置き換えられるのだった。
この方向で探っていきたいと思っている。
ヒトの呼吸(肺)は、魚類の‘浮袋’につながっている実感かもしれない。
からだの内側、胸郭という閉鎖系ゆえに可能な‘外気圧’と‘内気圧’の微妙なる調整能力による‘呼吸’の不思議なる世界だ。
そのことで古から言われている‘丹田が、明確になっていく実感でもあるのかも。
とにかく逆さまになってしまってからも、まっすぐな軸をからだのなかに実感するのに、呼吸が誘導していてくれることをはっきりと掴むことが出来たのであります!
「そんなこと今頃になって気づいたの?」
やってはいたのだが、明確に意識化できたということ。
それは息を吐くときに、からだの軸が鮮明に実感できるということだった。
何回か吐くときに軸を感じていると、その結果として‘吸う息’の道が、からだのなかに出来てくることだった。そして踵までは行かないが、骨盤底にスーッとつながる道だった。
まだまだ確率は低いが、かなりの実感としてつかめるところまで、行き着いたような気がしている。
「衆人は咽喉で、哲人は背骨で、真人は踵で」とかかれたものを読んだことがあるが、ヨガの逆立ちで‘骨盤底’で、というのは、何人になるのだろう?
決して力まず、からだの内側の圧力変化感で、バランスを感じ取るという言葉に置き換えられるのだった。
この方向で探っていきたいと思っている。
ヒトの呼吸(肺)は、魚類の‘浮袋’につながっている実感かもしれない。
からだの内側、胸郭という閉鎖系ゆえに可能な‘外気圧’と‘内気圧’の微妙なる調整能力による‘呼吸’の不思議なる世界だ。
そのことで古から言われている‘丹田が、明確になっていく実感でもあるのかも。
昔々、WIND IN THE TREE という曲を聞いて感動したことを思い出しました。当時は曲が私のからだになじんだこと以上のことを感じることはできませんでしたが、先生のブログを読んでこっちのイメージも鮮明になってきました。樹の中を吹き上がる気!
体操をしていてからだをめぐる気を感じられたら、
ながれ、とおり、つながり・・・を感じられたらいいな!
柔らかさって、そういうことなのですね。
からだの中の感覚は、時間と共に陳腐になるのではなく、その時々に思いもかけないことを感じることができる可能性へのワクワク感が野口体操にはあります。
モンジローさんが最後に書かれている‘柔らかさ’への指摘、おっしゃる通りだと思います。
脊椎と呼吸の関係なのですが、吸気の時に、脊椎は長くなるのではないでしょうか?
最近読んだ、音楽家向けの体についての本に、呼気のときに長くなるとあるのですが、これは、間違いのように思うのですか・・・
p.s.知りたいな~と思っていると、羽鳥先生のところに関連記事があるのが常で、よろこんでおります。
横隔膜呼吸の場合は、膜状の筋肉の横隔膜が収縮して下がります。
胸郭式呼吸の場合は、肋間筋や肩首にかけての筋肉が肋骨を引き上げて容積を広くします。
そういった働きをする筋肉との関係で、自覚的に脊柱の変化を感じているのかもしれませんね。
今日のところはわかりかねます。