羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

Fascia から思い出された「筋肉は感覚器である!」

2017年10月01日 10時29分42秒 | Weblog
 9月30日のブログに加えて、野口三千三の語録から。
 
『筋肉が運動器であるということは、「筋肉が感覚器である」ということにおいて運動器なのである』
 
 私は、第一回「野口体操の会 “早蕨塾”」で、國廣哲也さんの「Fascia」の講義を聴いてから、この語録を読み返し、全身に戦慄が走った。わなわなと震えるほどの感動を覚えた。 
 先を読むと、“感覚器として働く運動器としての筋肉の役割に”について、次のようなことばが続いている。
『その主な役割は、からだの中の比重・硬度・密度・圧力・張力・温度などを感じとり、その総合としての重さの感覚や動きの感覚を生み、平衡状態(バランスとアンバランス)の変化を調整することである。空間・時間の感覚もそれらを通じてつくられていく』
 そこで「筋肉」を「Fascia」に置き換えて読み直してみる。

 実は、講義ではじめて知ったことだが、「Fascia」には、内耳の前庭器官と連携して、筋肉の約10倍もの動きを感知するセンサーがあるという。
 野口の語録は、筋肉のことであると同時に「筋膜」のことでもある言える。
 語録出典は、1987年8月30日「野口手書きのノート抜き書きⅠ」である。
 1987年にまとめられた語録抄だから、発想はその前になる。
 この頃、 Fascia の知識は一般には殆ど知られていなかった。
 ましてや研究が深まるには、それから数十年の時を待たなければならない。
 
 今でこそ認識が変わって来たが、当時は中央集権としての「脳」が指令を出し、すべてを司る時代だった。
「感覚器としての筋肉」などという発想は、殆ど受け入れられない。
 皮肉なことに、『唯脳論』の著者でもある解剖学者の養老孟司先生と野口対談を1991年1月朝日カルチャーで行った。その時に、養老先生が「筋肉は、感覚器であることによって運動器として働く」という野口の発想を、かろうじて肯定されておられた記憶がある。
 昨晩のことNHK「人体」を見ながら、その程度の認識しかなかった時代を振り返っている。

 さて、「Fascia」について専門的な講演と実習を通して得たひとつの結論を言うと、野口三千三のすぐれた感覚と大胆でしかも緻密な論理思考に、改めて脱帽し、新しく見直している。
 が、しかし、こうした発想はどこから来たのだろう、と考えずにはいられない。
 野口は当然にことに「Fascia」についての知識をもっていなかった。
 そのなかで『原初生命体としての人間』の発想が生まれた。

 1960年代は、狭義の「筋・筋膜」ついての研究論文が、ぼちぼち出始めて時期である。
 いずれにしても、その後にあらわれる本質的な「Fascia」について知見は、『原初生命体としての人間』の具体的な裏付けの一つである、と言える。
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2 コメント

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懐かしの野口体操 (伊豆メガネザル)
2017-10-02 23:55:57
初めて、コメントさせてもらいます。
私は、38年前下落合で羽鳥さんと一緒に野口先生から、野口体操教わってました。今野口体操を進めた、父も他界し、癌になり、民宿のおばちゃんとして、学生たちに、野口体操をやっては、力抜いてね、と。この頃、もう少し、勉強したかったなと思うようになりました。どこかで、教えていらっしゃったら、教えてもらいたいのですが。野口体操と検索したら、羽鳥さんの写真があったので、懐かしく、コメントさせてもらいました。
野口体操、動画でも、あるのを、今日知りました。懐かしく見てます。
普段はあまり、携帯使わないので、置きっぱなしですが、時々ブログみさせてもらいます。楽しみにしてます^_^お身体気をつけてください。
ありがとうございます! (羽鳥)
2017-10-03 08:24:58
38年前、ですか。
コメントを読ませていただいて、お顔はわかりませんが、懐かしいです。
学生さんに野口体操は、いいですね。
ブログを通じて、ご縁がありますように。

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