羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

文化学園服飾博物館「世界のビーズ  Beads of the World」

2014年06月22日 07時17分11秒 | Weblog
 それらは、とても懐かしかった!
 野口三千三先生が装身具について話される声と姿と様子が、沸々と目の前に、いや展示されているビーズの品々に重なって見えたから。
 新宿駅南口を初台方向に、坂を下って5分ほどで、この博物館に到着する。甲州街道沿いのビルの中にある。

 朝日カルチャーのレッスン前に、時間の余裕をみて立ち寄ってみた。
 どこの国の民族が、どのような衣服に、つけていたのかわからなかった。この会場でその使い方や出所が判明していく楽しさに時間を忘れてしまった。

 野口体操になぜビーズなのか?
 始まりは数十年前に催された『6万年前のネアンデルタールとクロマニョン人展」だった。
 スンギル遺跡から発掘されたクロマニョン人の埋葬に、たくさんのビースが残されている展示品への驚愕だった。野口先生はさらに飢餓状態にあるアフリカのある民族の母と子が、配給される食料をもらうために並ぶ写真を見て、ここでも驚きの声をあげた。早晩、砂漠の砂に横たわって最期の時を迎えるだろう、というからだには、首や足首に装身具が見られたからだった。
「装身具とは何か」
 その疑問が野口先生の全身を閃光のごとく駆け巡った。
 それがすべての始まりだった。

 さて、beadsの語源を辿ってみるとアングロサクソンのbiddah 祈る。あるいはbede 祈る人だそうだ。
 ビーズの歴史は古く、紀元前にまでその源をたどることができる。
 太陽と月を象徴する球体をつくった、という説をWeb上でみつけた。神に祈る道具ということになる。
 それが権力や富、大航海時代には貨幣として用いられていく。15世紀以降ヨーロピアンビーズが貿易によって流通していく。
 いったい人々は、どんな思いでビーズと物物交換したのだろう。

 この展示の中に、びっしりビーズを施した子どもの帽子やジャケット、ベストを見た。一針、一針に込めた親の愛情が痛いほど伝わってくる。美しいだけではない。楽しいだけではない。いつ起こるかわからない不幸な出来事、いつ命をもさらす危険に遭遇するかもしれない。びっしりのビーズを縫い付けることで、それが防弾チョッキの役目を少しは果たすかもしれない?気休めでもいいのだ。
 とりわけアジア、中東、アフリカ、東欧、紛争地域の民族衣装には、見事なビーズ意匠が見られる。
 私たちができることは僅かしかない。それは、まず、祈ること。
「beadsとは祈りである」ことのいちばんの証明。
「体操とは祈りである」という境地に達した思いを、もう一度うけとめたいと、展示物を見ながらしみじみと思った。
 それはそのまま映画『NOAH』が最後に描き出した慈悲と愛に通じる、といってもいい。
 人間ほど恐ろしいものはない。救いがたいものはないかもしれない。しかし、しかし、……である。
 祈りと希望を失ってはいけない“一針に一縷の望みをかける”のは、あまりにも非力で甘いと言われるかもしれない。としてもそうせざるを得ない思いを大切にしたくなる。一方に虚飾・権力や富をひけらかす虚栄があるとしてもビーズはビーズなのだ。
 すべてはコインの裏表。そこに救いがある筈だ。
 
 尚、拙著『野口体操 感覚こそ力」』「 体操とは祈りー装身具」で、野口三千三先生の思いに少しだけ触れています。

 文化学園服飾博物館6月18日にはじまったばかり。9月13日(土)までやっています。一度、ご覧あれ。
 この建物ロビー正面に、石の壁画があります。化石が入っています。さまざまな石を眺めるのもお楽しみかと……。
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