昨日、朝日カルチャー土曜日クラスのレッスン中のこと。
「写生、写実ってなんだろう」
思い始めた。
丸山応挙の絵の話をテーマの一つにしていたことが大きい。
さらに、久しぶりに70年代に藝大の美術学部日本画の学部から院まで在籍して、6年間を通して野口三千三ファンだった画家さんが参加されていたことも作用していた。
「写生図巻」に描かれている、花、草、犬、猪、猫たちの写生は、動きを捉えた見事な写生。
よく見ていると、写生であっても写実ではない。
まして西欧絵画のレアリズムでもない。
応挙とその四条派の画家は写生を基礎に、襖や障壁、屏風に描き上げると、一見すると世俗的なわかりやすさの中に、よくよく見ると実にシュールな作品となって生まれ出るものがある。
ことに、川、滝、海、雨といった「水の表現」は見事で、ドビュッシーの交響詩「海」を聞く趣である。
描きかけか、と思わせる「間」に込められた「無の空間・無の時間」表現に鍵はありそうだ。
消すこと、無くすこと、そこから立ち上がる「存在するもの」。
写生から始まり超現実に至る、画家の意識の変遷を観せてもらえる作品がある。
実に、実に、面白い。
だから応挙は足のない幽霊を描いたのか?
そんなことを思いながら、2時間のレッスンは終わった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます