羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

神様からもらった三日間

2019年10月29日 05時11分51秒 | Weblog

この前、このブログを書いたのは、いつのことだったかしら。

随分と時間が過ぎてしまった。

会報「早蕨」の準備をしたり、授業に出かけたり、ダビングされて戻ってきた古い記録を見たり・・・・何かと気忙しくしているうちに、もう11月が目の前に迫っている。

 

さて、と。。。。。。

 

神様からもらった1日目・・・・

先週、金曜日、あれは25日の朝のことだった。

しばらく前から母の5本ブリッジになっている歯が、外れかかって話す時・食べるときに不自由そうになっていた。

不自由だけならまだしも、痛みが出始めていた。

ということで、口腔ケアを受けている訪問歯科の女医さんが決断。

「支えになっている歯を抜けば、一番早く、一番安全に、ブリッジの歯を取ることができます」

相談する相手もなく、一人で考えた。

これといって病気もなく、これといった薬も飲んでいないうちに、抜歯してもらうのがいいかも。

一挙に決まって、決行の朝。それが先週の金曜日であった。

母は歯の治療が受けられることにホッとしていた。

施設の一人部屋の自室で男性二人が支え、女医先生が後ろから抜歯、助手の若い女性、私は母の目の届くところに立つことになった。

抜歯は神業だった。

3秒の出来事。

出血も少なく、無事に終了。

しばらく私だけが母のそばに残った。

だが、母は大声で叫ぶ。

「痛ーい、嘘つき。痛くないっていったー」

その繰り返し。

「ヤブ医者だー」

女医先生が1回目に見にきてくれるまでの30分、騙されたとばかりに騒ぐ母と二人。

そのうちに急に静かになって、眠ってしまった。

明かりを半分に落として、そばにいるまま様子を見ていた30分。

再び、女医先生がやってきて、母が目覚める。

ニコニコして手を振ってお別れ。

ケロッとしているのが不思議だ。

その後、ミルクティーとお茶をすすり、昼食を食べている。

出血したら、食事は取れるのだろうか、全てが杞憂にすぎなかった。

 

神様からもらった二日目・・・・

翌朝、同じ階の家族が集まる茶話会に出席。

四十人中、出席者は8名。

施設の方の報告からユニット長の女性が自分の話を皮切りに、家族が一人ずつが自己紹介を兼ねて入所者のことを語る。

妻であったり、母であったり、それぞれが語る言葉は重みがあった。

この施設に入所するまで、全員がなかなか大変な経験をしている。

「よくわかるわー」

本音を語る。同感が得られる。

妻や、母に対する愛情が、みなさん深い。

今の親や妻のことは、そのまま自分自身の近い将来の問題であることを言葉にしなくても、そう思っていることが伝わってくる2時間だった。

茶話会の前に、母をたずねると、一晩で歯のないおばあさんの表情に変化していた。

「私も茶話会に行くわ」

きっぱりとした言葉で告げた母をなだめたのだった。

終わって母と話をしたかったが、午後の朝日カルチャーの野口体操講座があったので、そのまま施設を後にした。

 

神様からもらった三日目・・・・

日曜日の午後は次第に晴れて、秋晴れになった。

母を近くの「四季の森公園」に連れ出した。(警察学校の跡地を再開発整備した)

太鼓や笛や音、掛け声が遠くから聞こえる。

中野区が東北応援のために開催しているお祭りのようだった。

青森の黒石花笠踊りに続いて、ねぶたがやってきた。

 

終着点に近いところだったので、人も少なめで、よく見えるところに陣取った。

踊り手さんや、地方さんが、母を見つけてそばによってきてくれる。

その度に手を振っている母。

気がつくと、私の横にご夫婦が立ってこちらを見ている。

「99歳の実母を亡くしたばかりで、思い出してしまって・・・・」

女性は目に涙を浮かべて、話しかけてきた。

夫さんは、静かに見守っている。

結局、そのご夫婦と母と私の4人でしばらく踊りを楽しんだ。

だが、母の様子を見ると、時々、孤りの世界に入り込んでるようだ。

踊りの集団が目の前にやってくると、その時だけは反応を見せていた。

「金太郎」「桃太郎」・・・・おとぎ話の主人公をかたどったねぶた。

施設に戻っても「金太郎」「金太郎」と何度も口ずさむ。

母が施設にいなければ、他の家族の方の苦労話に共感し、預かってもらえることからゆとりが生まれることで、注げる愛情を知ることはなかっただろう。

まして東京にいて東北の「ねぶた」や「花笠踊り」を垣間見る機会も持ち得なかっただろう。

抜歯という痛さは気の毒だった。

一晩で、一気に、すごいおばあさんの顔に変化してしまったことは悲しいけれど・・・・。

私のことは、娘である認識を、時々持ってもらえる程度でも・・・・。

この三日間は、神様からもらった時間のような気がしている。

生きているかけがいのなさ、切なさ、幸せ感。

この三日間は、母と過ごす時間だけは、ゆっくりと静かに流れていたような・・・・気がしている。

神様かもらった時間は、その時だけは、日常とはかけ離れたゆとりに身を任せてしまえるような・・・・気がしている。

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