羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 213日目・・・告白

2020年06月22日 16時38分36秒 | Weblog

あいにくの雨だったが、体操も坐禅も順調に終了。

本日は、呼吸回数を数えていた。

 

ふと、疑問が浮かんだ。

藤田一照さんは、坐禅の前に様々なボディワークを取り入れたのちに坐る時間を持っていらっしゃるようだ。

理由の一つとして、アメリカでの体験を挙げていらしたことがあったような記憶がある。

ただ、坐ることが難しい身体的条件のため、とだけは思えない。

そのうちに伺ってみたい、と思っている。

 

ところで、私が「坐禅ふたたび」を始めたのは、20年遅れの50肩を患ったことからだ。

左肩は3年前の初春のこと。

あまりの痛さに体操の最後に行なっていた野口ヨガの逆立ちができなくなった。その代わりだった。

左肩が良くなり始めた一年半後には、右肩が痛み出した。

この時の痛みは、左肩の比ではなかった。

神経痛がキューっと心臓にまで達する痛み。左の時も起こっていたが夜間痛はズキーッと刺されて目が覚めていた。

何れにしても、右の場合がひどかった。

 

これは、冬の終わりに予兆が見られ、初春にははっきりとした痛みの領域に入ってしまう。

大学の授業が始まる4月、そして5月にかけては、実技をすべて自分一人で、学生に見せなければならないために、痛みを殺して無理を押し、行なっていた。

6月の梅雨時は、湿気がさらに痛みを強める。

真夏とて最悪。

それが湿度が下がってくる、秋になると痛みは少しずつ薄らぐ。

その頃には、夜間痛も消えかかってくれる。

友人が曰く「絶対に治るから!」

その言葉を信じた。

どれほど救われただろう。

治る、という未来は明るさとゆとりをもたらしてくれた。

「痛みと付き合っていこうじゃないの!」

腹を括った。

 

言葉通り、今年春すぎには、両肩から痛みが消えてくれた。

そうした事情で始めた坐禅であった。

最近になって、野口ヨガ逆立ちを再開したのだが、3年半の空白は如何ともしがたい。

スッキリ立つところまでしばらく時間がかかりそうだ。

そこで、気づいたこと。

野口三千三先生に教えられたヨガの逆立ち、つまり頭の一点にからだの重さを流し込み、腕でこじあげない、というあり方をするには、胴体・背中が本当にほぐれないとできない。

そのやり方で立てると、背中がさらにほぐれてくれる。

からだの長軸が鉛直方向に一致する、というからだの自然が持っている道理にあってくる。

楽に立つことが可能になる。

野口ヨガの逆立ちも坐禅も直立もすべて共通していることが実感できていたのだ。

これまでは。

これからどうなる。

 

20年遅れの50肩から解放された今から、初心に還って我慢強く・ごまかさずやり直してみようと思ったのは、今朝のことだった。

何より、両肩から痛みが消えてくれたことが嬉しい。

「ひれ伏す動き」は、以前より楽にできるようになっていた。

問題は力抜けて、本当のバランス感覚を新しく見つけることだ、と思っている。

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