羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 二十八日目

2019年06月08日 13時12分21秒 | Weblog

今朝は、途中で呼吸を数えられなくなった。

呼吸していることだけは意識にあった。

数える意識が飛んでしまったのか。

ふと浮かんだことを、いつの間にかずっと追い続けてしまった。

今、言葉にしてみると・・・・・野口三千三先生が、体操の教師をやめることをすすめられるほどの腰痛症や胆石・胆嚢炎の痛みに対峙しているうちに生まれてきたのが、人間の体は水。水のイメージを持つことだったのではないだろうか。

そのことの大切さが、はじめて自分のこととして捉えられそうだ。

しばらくの間、それをもとめてみた。

 

皮膚に包まれた液体・水を想像しながら坐っていると、余分な力が抜けていくのをわずかながら感じられるような気がしてきた。

ついでに背骨に重さを任せてみる。すると手足の筋肉の力が抜ける。

内臓の重さも感じてみようと試みる。

 

液体的なイメージ、液体の重さが、どっしりここにある。

皮膚の内側に、間違いなくある。

 

そう思えた途端に、野口先生の疲労は極限に達していて、ストレスは野口三千三を丸ごと捕獲してがんじがらめにしていた。

原初生命体のイメージは、疲労やストレスに勝つことも負けることもできない、それでも生き続けるために、(言葉は悪いが)苦肉の策から生まれたイメージに違いない。

追い詰められて悲鳴を上げているからだが到達したイメージだったのではないだろうか。

しかし、現実には、痛みは繰り返される。それも長期に渡って繰り返される。

皮膚に包まれた液体・水のイメージは、痛みやストレスで分裂していくからだをまとめていく「総合感覚」を取り戻す、キーワードかもしれない。

 

ある空手の名人が語った。

「野口先生の水のイメージは、空手にとってすごく大事なイメージなんです」

なるほどねー。

 

ここまできて、坐るのをやめた。

とうとう数はわからなかった。

世迷言を書いているようだが、自分の中では大事なことが得られたような気がしている。

二十八日目の朝のことであった。

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